「うちの子は小学5年生なんですけど、漢字が読めないんですよ。それ以外の教科はどれも普通にできるんですけど、漢字だけはどうしても読めない。色々病院に行って調べてもらったんですけど、学習障害って診断されたわけではないですけど、疑いありって感じなんですよ。成績もよくないし、地元の公立に入れるつもりでいるんですけど、正直、悩むんですよね。そういう子だから、ちゃんとケアしてくれる私立に入れた方がいいんじゃないだろうか?とか、そこまで神経質に考えずに公立の方がいいんじゃないだろうか?って。どう思いますか?」
昨日、私の自宅に相談に来た友人の言葉です。
「そういえば、テンちゃんも小学生に上がるまで時計が読めなかったし、4年生くらいまで時間割表を読めなかったよ。それと文章問題が全く解けなかった」
そうなのです。
実は、小学4年生くらいまで、私たち夫婦もテンちゃんのことで悩んでいました。
そのことを知ったのは、4歳か、5歳の頃でした。
どうしても時計を読めない。
特にアナログ時計は全く理解できない。
「もしかして、学習障害があるのかな・・・・」
そんな風に思ったものです。
「でも、病院に行って調べたりする必要はないよね。病院に行ってしまったら何かしらの病名がつけられちゃう。そうなると、もう病気になっちゃう。苦手なことは誰にでもあるよ」
そう夫婦で結論しました。
どうしても時間割表が読めないことがわかったときは驚きました。
表の横のラインの月火水木金土と、縦の1時間目、2時間目、3時間目・・・・。
そして、四角の中に書かれた「国語」「算数」「体育」「音楽」。
これらの文字がどう関連して、どう読んで、どう理解すれば良いのかがさっぱり理解できませんでした。
「やっぱり学習障害なのかな・・・」
と、思いました。
そして、テンちゃんにそれが理解できないことが普通じゃないということを悟られないようにして、優しく何度も説明します。
それでも、全く理解してくれないのです。
でも、「あれ?」と、思うところは、そこだけで、あとは気になるところは一切ありません。
だから、私たちは、
「深く考えるのはやめよう。わからないことはわからない。どうしても理解できないことは理解できない。それでいいじゃん」
「そうだね。明日の準備は毎日、寝る前に私とテンちゃんで一緒にやるようにする。時間割表を見ながら声を出して、一つ一つランドセルに入れていく。それで支障はないわけだし」
「そうそう。できないことにベクトルを合わせたって仕方がない。できることにベクトルを合わせていこう」
「そうね。時間割が読めなくても絵が人よりも上手だし。それでプラスマイナスゼロだよね」
時間割が読めない状態は小学4年生まで続きました。
そして、その4年生の頃から、テンちゃんは人より算数が得意だということがわかってきました。
しかし、一つだけ欠点がありました。
計算問題はスラスラ解けるのですが、文章問題が全く解けないのです。
例えば、
A地点から10キロ離れたB地点に向かって時速5キロで歩き始めたタカシさんと、B地点からA地点に向かって時速10キロで走り始めたトシコさん。二人は何分後に出会うでしょう?
と、いう問題があったとします。
テンちゃんは、
「何を答えればいいのかわからない」
いつもそう言って、悲しそうな顔をしました。
「どうしてもわからないの。なんでだろう・・・」
そう言って泣くこともありました。
「つまり、問題の意味がわからないってこと?何を聞かれているのか、わからない?」
「うん」
「そうか〜」
「テンちゃん、頭悪いのかな〜?バカなのかな〜?」
「そんなことないよ。パパやママだってわからない文章はたくさんあるよ」
「パパでも?」
「そうだよ。特に文章問題の文は難しいんだよ。だから、何度もちゃんと読めばいつかわかるようになるよ」
そんな時、NHKで、ある優秀な外科医のドキュメントをやっていました。
その先生は、スケジュールが全く読めないのです。
だから、1枚の大きな紙に1つのスケジュールを書いて、床に置いて、それを床に並べて、順番に頭に叩き込むのです。
その先生は、時計も読めなくて、時計を見たらダリの絵にある歪んだ時計のように見えるそうです。
彼はそれを克服しようとはしていませんでした。
「こんな天才医師だってそうなんだ」
ちなみに、私もスケジュール帳を持つのが大の苦手で、スケジュールだけは全て頭の中に記憶しています。
約束しても、一切メモを取りません。
奥さんが小説を探してきて、テンちゃんに読むように薦めるようになってから、少しずつテンちゃんは文章問題を理解するようになりました。
そして、気がつけば、テンちゃんは時間割も読める。問題の意味もわかる子になっていたのです。
昨晩、テンちゃんに聞きました。
「テンちゃんは4年生くらいまで時間割表読めなかったじゃん。覚えてる?」
「覚えてる覚えてる。そんなことあったね〜」
「なんで読めなかったんだろう?」
「なんでだろうね?ただ、四角の中に字が書いてある。だから何?って思ってた。これ何?って」
「説明聞いてもわからなかったんだよね?」
「なぜかわからなかったんだよ。なんでだろう?」
「文章問題もわからなかったじゃん」
「うんうん」
「いつからわかるようになった?」
「小説読むようになってからかな〜。たぶんそう」
そのエピソードを友人に話しました。
「でも、うちの息子はテンちゃんのレベルじゃないからな〜。で、本を読むのも嫌いなんですよ」
「でもそれは漢字が読めないから嫌いなんだと思うよ。漢字が読めなかったらきついもん」
「じゃあ、どうしようもないですよね〜」
「『どうしようもない』とか、思わない方がいいと思うんだよ。俺は学習障害のことも詳しくないし、専門的なことはわからないけど、医者でもその疑いがあるってだけでよくわからないんでしょ?」
「そうなんです」
「だったら、『どうしようもない』かどうかなんて誰にもわからないんだから、『どうしようもない』って思わない方がいいよ。息子さんにも得意なことはあるでしょ?」
「ありますね。勉強じゃないですけど」
「得意なことがあるならそれでいいじゃん。そこをたくさん褒めてあげた方がいいよ。そして、できること、得意なことをもっと増やしてあげた方がいいと思うな。その中で、何かがきっかけで、漢字が読めるタイミングが見つかるかもしれない」
「でも、漢字が読めないのはキツいですよ」
「音痴な人だってそれを気にし出したらキツい。空気が読めない人だって、空気が読めるようになりたいと思ったらキツいよ。方向感覚のない人だってキツいよ。あ、それ、俺ね。人との協調性がないのもキツいよ。それも俺。でも、それ治らない。ま、治すつもりもないんだけど。だから、ぜんぜんキツくない」
「俺も協調性ないな〜」
「そう思ってるでしょう?でも、俺より全然あるよ」
「確かに、俺の方が協調性あるな〜」
「でしょう?親はなんでも心配するのが仕事だから、子供のことを心配してもいいんだけど、長い人生の中で考えたら大したことなかったりすることもあるんだよ。息子さん本人は気にしてる?苦しんでる?」
「ぜんぜん。なんとも思ってないです。だから困ってるんです」
「困る必要ないじゃん。悲しんでたり苦しんでたら親も焦るけど、子供が気にしてないだったら、もっと余裕を持っていろいろな方法を考えられるじゃん」
「でも、中学受験には間に合いませんよ」
「そんなことないよ。漢字読めなくたって、なんとかなるよ。息子さんに合った学校は絶対にあるから」
「中学受験はどう思います?やった方がいいと思います?」
「それは知らない。やった方がいいかなんてわからない。やりたいならやった方がいいし、やりたくないならやらない方がいい。親がどうしてもやらせたいんだったら、塾と子供と何度も話し合った方がいいし、どの学校にしたらいいかわからないんだったら、塾に相談して、子供にあった学校をいくつか選んでもらって見学に行って、親子で決めればいいと思う。学習障害かどうかは、あまり関係ないと思うな。でも、これはあくまで素人の俺の意見。友人の中の一人の意見」
「俺はやらせたいんですけどね」
「だったら、塾の先生にちゃんと相談した方がいいね」
「また、相談に乗らせてください」
私は、学習障害が何か?医学的なことは全くわかりません。
しかし、
マイナス面、できないことにあまり焦点を合わせない方がいいと思うのです。
それを解決する方法を探すことは大切です。
親の務めなのかもしれません。
でも、探しても見つからないことはたくさんあります。
例えば、テンちゃんはアトピーです。
奥さんはずーっとテンちゃんのアトピーを完治できる方法を探し続けています。
だいぶん良くなりましたが、完治はしていません。
ゴールの見えない長い旅です。
でも、
「掻きたい時には好きなだけ掻きなさい。我慢は一切しないでいいよ」
テンちゃんにずっとそう言い続けています。
だから、アトピーなのに、テンちゃんの肌はすごくキレイです。
時間割が読めなくても、文章問題がわからなくても、アトピーでも、
それは決して人より劣っていることではありません。
そういう特徴があるってだけのこと。
それが個性です。
あまり伸ばしたくない個性は無視すればいい。
伸ばしたい個性を頑張ればいい。
我が家はそういう方針です。
最後まで読んでくださってありがとうございました。