彼の話に沢山の人が共感と感謝と溜飲を下げている様子が伝わって来る。日本人として本当の話をしてくれて嬉しい。一言でまとめると、そういう心境なのだろう。

 

彼がどういう切っ掛けで日本を好きになり、部屋の中に日章旗まで掲げたくなるような心境に至ったのか興味深いが、ぼくの興味は、彼のその振れ幅の大きさにある。

 

日本人にも韓国大好き人間がたくさんいるのだから、韓国人にも日本大好き人間がいるのが自然だろう。

 

そもそも政治やイデオロギーを離れたら、日韓の間に大きな問題はない。人々はお互いのカルチャーや人間に関心を持っているし、太古より自由に行き来し、しかも同じ人種なのだから当然と言えば当然だろう。

 

相手が嫌いだとこちらも相手を嫌いになる。それが人間というものだ。では、逆に相手がこちらを好きだとこちらも相手を好きになるかというと、これがそうでもない。

 

日本と韓国の場合、韓国が日本を好きだとしても、日本が韓国を単純に好きになるとはならないだろう。まずは悪い気がしないか、ヨシヨシという満足感が先行するのではないだろうか。

 

そこに「歴史」があるのだ。日本はこれまで韓国という国や人に対する優越感を抱いて来たが、既に中国に対しては「ない」のではなく「持てない」状況になってしまった。もはや国力的に勝てない相手になってしまったからだろう。だから陰口は叩いても面と向かっては言えないのである。

 

しかし韓国にはまだリードしている感が強い。実はそうでもないのだが。だからこういう日本大好き、韓国おかしい、という青年が現れると、まさに「してやったり、ほれみたことか」と、溜飲を下げるのだろう。

 

なぜなら、日本人の多くは(この21世紀に於いても)世界を知らない。ずっと極東の島国の中で、列島民にしか通用しない情報を信じて生きているからだ。

 

だからその内容に関係なく、日本人が好きな韓国人(=外国人)を見ると気分がいい。しかし、この韓国人がこれからも変わらず日本人に敬意を持って扱われるかというと、この日本で英語を教えている下心に満ちた白人よりも、その可能性はかなり低いのである

 

彼の話は普通の話以上でも以下でもない。日本人の中にも自国の政治に厳しい意見を持つ人々は多々いる。当然韓国にもいるだろう。例えば、韓国メディアがWWUK君と同じような日本人青年を取り上げたとして、それに溜飲を下げる何十万人もの韓国民を見たとしたら、やはりぼくはその偏重さに気持ちが悪くなるだろう

 

日本が良くて韓国の政治が悪いこともなければ、韓国の政治が良くて日本が悪いという比較も成り立たない。政治とは権力である。日韓両国、いや世界の政治そのものに、様々な闇が存在するのだ

 

近年、日韓の間に横たわっている慰安婦問題や徴用工問題にも「行間」があることに庶民は目を向けない。といった目線でこのWWUK君の話を聴くと、やはり「行間」に滲み出るものがない。彼が何を好きで、何を信じているかは彼の自由だが、話が平面的すぎて立て横方向への広がりがなく、本質へと迫る情報レベルではない。

 

日本人はなぜこんなにも韓国を意識するのかと考えとき、それはやはり同じサイズ感があるからではないかと思う。しかも、かつては支配した側としての優越感を持ちやすい相手だからだろう。ただ優越感を持ちやすい相手は、劣等感をも持ちやすい相手でもある

 

ボクシングで喩えるなら、曾て勝ったことのある相手であっても、既にヘビー級と化した中国には手も足も出ないが、同じライト級クラスの韓国にならまだ負けないと思っている。だから韓国に主導権を握られるのは許せない。そういう感情が働いているのではないか。

 

曾てぼくはソウルである韓国人と歴史について話し合ったことがある。韓国人の多くはWWUK君の言うように、反日教育によって正しいと言うよりも客観的な判断ができない人を個人的に多く感じたが、それはぼくから見て、この国の噓だらけの歴史教育を信じて疑わない日本人と大して変わらない現象と見ている。

 

日本軍の閔妃暗殺に話題が及んだ際、ぼくの一言に彼の顔色が変わった。何を言ったかというと、「隣国の日本が着々と近代的な軍備を整えているのに、自らの栄華に現を抜かし、国政を疎んじ、貧しい民を蔑ろにしてきた酬いでしょう。そんな王朝など潰れてしかるべきです」だった。

目上のインテリに若かりしぼくがよくも言えたものだと、今考えると生意気な自分が恥ずかしくなるが、正直、いまでもこの主張そのものを変えるつもりはない。これはぼくの差別心から出た言葉ではない。ぼく自身、この世で尤も忌み嫌うものが「差別」だからだ。

 

差別がこの世を戦争に陥れているのだ。だから、権力者達は市民に徹底して差別心を植え付けてきた。しかし、その差別の根源だけは徹底して覆い隠してきたのだ。その根源こそが、天皇や世界的な国王制度であることは言うまでもない

 

国民が溜飲を下げるとしたら、こういう「権力」をこの世から一掃し、一般労働者も、政治家も、役人も一つの職業、一つの職責として同程度の報酬を受け取り、上下のない社会を築けたときではないだろうか。自由とか平等とかを真に唱えるなら、国王とか天皇を「人間としての別格」として見ている自分にこそ一番に疑問を抱かなくてはならない。

 

ぼくはこれを「共産主義」とは思っていない。自分的には「宇宙律」に則っているだけだ。そもそも共産主義とか民主主義とか、凡そこの社会に於ける〇〇主義と名の付くものにはすべて意図が見える。結果として、その両方の主義が国民を支配し、家畜扱いしているからだ。自由主義も共産主義も、結果的には全体の1%が99%を支配する構造なのだ

 

国民の政治に対する正しい姿勢とは、「常に注視する」ことだろう。権力は腐敗する、絶対権力は絶対的に腐敗する、と昔から言われてきた。日本の政治も韓国の政治も、またその他の国の政治も、この法則に違いはないのだ。

 

WWUK君も韓国人なのだから、きっと郷土愛があるだろう。韓国のいい面もあるだろうに、かなり偏って見えるのが辛いところ。彼が日本の立場に立てば立つほど、それはこの国の一部のマニアを擽るだけの代物でしかなくなる。

 

ゲーテがこんな言葉を残している。

知っていることは深い。

考えることはさらに深い。

しかし、直感はさらにさらに深い。

 

この意味するところを、ぜひWWUK君に熟考してもらえたら嬉しいね。