歴史とは数奇である。

ある者が正義を掲げると、

ある者は必ず地獄を見ることになる。

正義とは、

その正義たる立場に立って、

初めて正義たる意味を持つものであり、

正義を掲げる者から見ると、

その正義を否定する者はすべて不義でしかない。

しかし、相手を不義という決めつけは、

自らを正義だと信じる者の思い込みであって、

不義と云われる者もまた正義を掲げているのだから、

結局は正義と正義の戦いとなる。

では本当の正義はどちらかと言えば、

勝てば官軍、何のことはない、

数に勝るものが正義となるのだ。

かくして凡人・愚民は、

その正義に酔って狂喜乱舞するが、

数で手に入れた本当の正義は、

実は真の正義から程遠いことを、

ここまでの歴史が証明している。

この世を正す定規は一つしかない。

それは…

「自分がされたくないことは他人にもしない」

これだけだ。

しかし、この宇宙律はある者によって壊された。

この世は祝福された者と呪われた者に分けられた。

祝福された者は時間を経てさらに力を増し、

呪われた者は時間を経てさらに無知蒙昧となった。

小さな富と、小さな幸福にしがみつき、

大きな富と、大きな幸福を手放してしまった。

その結果、悪魔の掌の上で延々と操られている。

コロナ禍は悪魔が仕掛けた罠だと何人が気づくだろう。

これまでの戦争然りである。

気づけなければ、やはり一掃されるかもしれない。

手放さなければ気づけなくなった呪われた者に、

神はその準備を始めたのかもしれない。

手放すための大きな手段を。

ミスター・サンシャインというドラマが伝えている。

正義とは個に宿るものであると。

もう一度記そう…

「自分がされたくないことは他人にもしない」

この掟を破った者は、

この掟を破った者に、

明日を奪われることになる。