前月、4月18日にホルムズ海峡を、一隻の大型日本タンカーが通過した。

 

その船の名は「出光丸」。

 

日本政府は、外交交渉の結果通過した、と声明を出した。

 

メディアの中にはペルシャ湾から脱出できた、と報じた局もある。

 

そうではないだろう、

 

出光興産とイラン政府の間に独自の交渉ルートがありそれが反映されたものではないのだろうか。

 

 

今般は、ホルムズ海峡の真ん中の水深が確保できる水域ではなく、イラン側のコースを通ってペルシャ湾外にでたようである。

 

大型タンカーが通り抜けるには大変難しい航路と見做されている。イラン当局の協力なしに安全航行は困難な海峡と考えられる。

 

 

ここは駐日イラン大使館のコメントのように、多年に渡る両者の友好関係の結果安全航行が可能になったとみるべきだろう。

 

1953(昭和28)年の日章丸事件の精神は生かされていたのだ。

 

イラン・モサデック政権がイラン国内の油田や製油所を国有化して、英国から経済制裁を受け窮地に陥っていた時、石油購入のため赴いた「出光」の日章丸の一件を、今もイランの国民は忘れてはいなかった、ということに尽きると思う。

 

日本政府が、大国に怖じて躊躇している間に、民間企業家が真の国益を体現した気概を忘れてはならない。

 

それは遺産として今に伝えられている。

 

出光丸がペルシャ湾から外洋へ出て、行先が「名古屋」と表示された時、久方ぶりに高揚感を味わった。

 

 

5月18日に、出光丸は伊勢湾岸の「出光興産愛知事業所」のシーバースに到着するものとみられる。

 

18日未明の伊良湖水道航路で、その雄姿を見る機会に恵まれた人は、その輝きに魅せられることになるだろう。