今日は「建国記念の日」。
敗戦間もない昭和23年(1948年)に制定された「国民の祝日に関する法律」には、
「第一条 自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞつて祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。」とある。
「国民の祝日」としての「建国記念の日」の制定は、左翼イデオロギーの抵抗もあってようやく昭和41年(1966年)に定められた。
「建国記念の日」には、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」と法律にはある。
法律の制定からすでに半世紀を過ぎるが、その制定趣旨を認めず未だに反対する勢力があることは『共同体国家』という意味において誠に残念なことである。
彼ら左翼の主張に親しい共産主義国家や社会主義国家においても、みなそれぞれに運命共同体的な意識を涵養するために国の誕生を祝っているのである。
日本においても同様に日本国家の歴史的連続性や文化的共通性、国民の一体性などを再認識するいい機会ではないかッと思う。
あるいは「国生み神話」を通じてその当時の人々の夢や理想に思いを馳せることは、その延長上にある今日の我々の生活と比較することにもなり、今昔の長所や欠点を考えてみることも決して無駄なことではないと思う。
塩野七生は「神話は史実ではないが、「その時代の社会的な思いの真実」を語っている」と述べている。つまり、史実でなくとも価値があると言っている。
私が一番学びたいことは、「日本の共同体精神」である。
「共同体精神」…『国の調和と絆』に一番障害があるのが「貧富の格差」である。
今の政治はアメリカ社会を理想のように追随しているが、アメリカ社会の癒し難い断絶振りを見逃すわけにはいかない。
安倍元首相は総裁選初心で「瑞穂の国の資本主義」と理想を語った。
岸田首相は「新しい資本主義」と理想を語った。
いずれも「助け合う共同体資本主義」を歌っていた。
両者とも看板だけで「強欲資本主義」に負けすぐ放棄されてしまったが・・・。
少し話がずれてしまったが、例によって今日の新聞は何一つ「建国記念の日」にちなんだ特集を組んではいない。
テレにも、そしてNHKも全く音なしの構えである。
政治家を筆頭に日本の指導層は、それぞれが「カネの生る木」ばかりを求めて生きている・・・。
「こんな日本に誰がした‥‥」・・・。