裏金総額が6億円に及ぶというのに、安倍派幹部国会議員が誰一人責任を取ろうとする者もなく、かつ検察も逮捕・起訴することもなく、結局、執行部の指示命令に従う立場の事務職にある普通人を人身御供にして一件落着を図った。

 

安倍派幹部は自ら作った歪んだ法律を盾に身を守り、検察は歪んだ法律を盾に幹部の立件を見送った。

法の陰に真実が隠された構図だ。

相手が一般国民なら状況証拠を盾に自白の強要に邁進する検察司法権力が、粘ることもなくいともあっさりと政治権力の前に再び首を垂れたように見える。

 

私が一番心配することは、政治家たちがすべての行動の基礎たる「国民のための政治」という本分、つまり「初志・初心・目的・理想」を忘れたか、或いは捨て去ってしまったのではないか…と思われることである。

 

6億円に及ぶ法律違反の裏金作りを組織的継続的上意下達的に進めながら安倍派では幹部の誰もが責任を取ろうとしないばかりか指示命令がなければ動けない事務担当を人身御供にして官憲に引き渡し我が身を守るという江戸時代でもあるまいに凡そ今どき考えられない理不尽なことが我々の目の前で起きた。

 

国家秩序の荒廃である。

 

選挙で選ばれたエリート政治家でありながら、この自分さえ良ければいいというような「強欲資本主義」あるいは「新自由主義」に毒された・・・強いものが都合のいいように、弱い立場にあるものが常に馬鹿を見るような歪んだ法律構造が・・・歪んだ政治構造、或いは歪んだ経済構造、或いは社会構造を作り、歪んだ国家を作りかねない・・・。

 

これらの動きを特に保守本流と自ら称する安倍派の面々が主導してきたことに驚きを隠せない。

 

この正月の能登半島地震もそうだが、遠くは3.11東日本大震災もそうだったが、この混乱の最中にあっても国が乱れない精神的秩序を底堅く支えているのは、日本の歴史的連続性、文化的共通性、国民的同一性に基礎づけられた伝統的な「助け合う共同体的文化風土」に対する期待感・安堵感にあることを忘れてはならない。

 

言わずもがななこととは思うが、これらの特色を持つ日本国家の有り様を規定しているのが、「日本国憲法第1章第1条」にうたわれる「天皇制の心」である。

 

第1条… 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」の規定である。

 

昨年の暮れに広島市長が職員研修で「教育勅語」を取り上げたことが問題とされたが、市長は「明治時代と言えども今の民主主義の世の中においても受け継ぐべきいいところがある」と主張し、「教育勅語」というその形ではなく、その形の底に流れる「心および志」を学ぶべきだと言った考え方は、私も同感である。

 

今の政治家には「志」がないとは、巷間よく聞かれることである。

 

私の「天皇制観」は次回に譲るが、天皇規定が第1章第1条に来ていることは日本を考える場合の大前提に天皇制の理解が必要であることを占領軍アメリカも認めざるを得なかったほどに重要なことであったのである。

 

「天皇制」とは、日本の歴史的連続性、文化的共通性、国民的同一性を象徴するとともに、それらに基礎づけられた日本的風土、つまり伝統的な「助け合う運命共同体社会」の上に築かれた国家であることを表わしている・・・と私は考える。

 

「人間宣言」をされた天皇は固より神ではないが、「聖」と「俗」とに架かる橋の上で「聖なる神意」を預言し、巫女や神主と同じように神に祈る立場を確保し、時と状況に応じて精神的で文化的な「神意」を国民に伝え、励まし、癒し、祈るのである。

 

それが「教育勅語」に示された「父母に孝行をつくし、兄弟姉妹は仲よくし、夫婦は互に睦び合い、朋友は互に信義を以って交わり、人々には慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、社会に有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に憲法や諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい社会の為につくせ・・・」の一節である。

 

大切なことは「形」ではなく「心」である。

解決は「派閥解消」の形などにはなく、「裏金を作ったやましい心」を本当に誤った心と認め改心し、その新しい心で二度と繰り返さない政治資金の法制度が作れるかどうかにこそ問題の本質が横たわっているのである。

日本保守を自ら称する面々には、解決において今一度、「保守の心」の神髄を見せて欲しいと願う。

 

他人を犠牲にして自らの身を守るなどということは、保守の哲学にはない。

金儲けなどは、国民に尽くすべき政治家の考える事でもすることでもない。

 

釈迦に説法のような次第だが、只今の混乱する政治状況にあっても能登地震災害状況にあっても日本秩序が乱れないのは、無意識の内にも国民の深層心理を流れている歴史的で伝統的な「助け合う運命共同体の心」によるものである。

 

政治家はこれらの事実をよく認識し、自らの行動における「恥」を知らねばならない。

日本が守るべき伝統の心・・・助け合う共同体の心…その日本精神を今一度「天皇制の心」を通して政治家たちは学び噛みしめるべきである。