プーチンが、昨日9日、対ドイツ戦勝記念日に「赤の広場」で演説した。

私は政治というものの持つ理想顕現の権力的機能に素直に期待する一人である。

が、昨日のプーチンのような演説に出会うと、その国の為政者の選び方を間違うと国全体が、つまり国民全体がとんでもないことに巻き込まれるということを今さらながらに思った。

 

プーチンは、ウクライナ戦争を「戦争」と呼ばせないで「特別軍事作戦」とよばせてきた。

この戦争は、プーチン流に言えば「内戦」であり、3,4日で終わらせられると思ったからであろう。固より世界が認めない「嘘」である。「嘘」である。

 

ところが、予想もしなかった独立国家としてのウクライナの反撃にあい、3,4日どころか、戦争は先の見えない長期戦に突入しつつあり、ついに昨日はプーチンも戦時体制構築のため「戦争が始まった」と初めて「戦争」と表現し、国民の覚悟と協力を改めて求めざるを得なかったようである。

 

そもそも「ウクライナはロシア領」などと言うプロバガンダが世界で通用するはずもない。

そして自ら侵攻して戦端を開いた責任を「ロシア崩壊を画策する欧米から戦争を仕掛けられた」とする下りは、余りにも明からさまな嘘である。

 

ロシア兵士の死は最大7万人に及ぶかもしれないと言われているが、ウクライナによる反攻を前に人間を消耗品のように扱い徴兵を行う様は異常としか言いようがない。

そのようなことに対する批判は一切許されず、国家反逆罪も最高刑が無期懲役に引き上げられている。

強権弾圧による専制主義国家の秩序維持である。

 

これも笑い話だが、昨日の演説で「他国を侵略し蹂躙したナチズムを倒したこと」をプーチンは誇っていたが、つまり、ナチズムを否定するならプーチンはナチズムのしたことと同じことをしているのであるから直ちに戦争を止め、撤退すべきであろう。

でなければ、倒されて丁度ということになる。

それが歴史に学ぶということでもあろう。

 

プーチンはさらに「神聖な祖国を守る戦いである」とし、イスラムの戦士がよく口にした「聖戦思想」「愛国心」を訴え、国民を戦争に駆り立て、犠牲を強いようとしていた。

国家的な大義のない戦争に駆り出される国民こそいい面の皮である。

プーチンの個人的な手柄話に駆り出されては、国民もたまらない。

 

プーチン一人が為政者の中の例外であればいいが、専制主義国、民主主義国を問わず、為政者という立場の属性として、ともすれば権力に溺れ、そのような個人的な傾向に公共の仮面をかぶせることがあることは、政治学者の強に指摘するところである。

 

プーチンの極端な「嘘まるけ」の演説を聞きながら、時代の大きな曲がり角に立つ日本においても、為政者選びを間違っては困ると…強く強く思った。