今日は「憲法記念日」である。

 

立憲主義を主張する人たちは、しばしば「国家を縛る憲法」という言い方をする。

確かに憲法には、国家権力を握る人たちに勝手をさせないための権力行使のルールが決めてある。

しかし、同時に国民の権利と義務も決めてある。

 

主権在民の本質から言えば、国民が国家を運営するに際し国民自らが国家運営における国民自らの義務と権利を明らかにするとともに、統治の権限を委託する権力機構にも「国民の幸福を実現するための存在」であることを規定し、その道から外れないように大きなタガをはめている訳である。

 

日本国民は、戦後70余年という長い間、概ね現体制で平和を享受し、豊かではないが世界に比べればまずまずの生活と自由を実現してきた。

 

しかし、今日、ご案内の通り、アメリカの後退とともに軍国主義的で暴力的な専制主義国家群が、つまりいずれも日本の隣国である中国、ロシア、北朝鮮が台頭著しく、世界秩序を揺るがすまでになった。

ロシアによるウクライナ戦争は、専制主義国との新たな戦争の世紀の始まりを告げるものかもしれない。

 

話は変わるが、今日の朝日新聞・世論調査報道によると、「日本政治を信頼している」は44%、「信頼していない」は55%とある。

「国民所得倍増政策」の放棄や「統一教会の処遇」など、国民に対する説明は何もないままに政策の朝令暮改を続ける現岸田首相などは特に「国民の為」を信じられない一人である。

 

が、こと「日本の安全保障政策」においては、日本を取り巻く中国、ロシア、北朝鮮との緊張の度合いは増す一方であり、現政府には本腰を入れて取り組んでもらわねば「日本の安全保障」は脅かされる一方である。

 

今日の朝日の朝日の世論調査を見ると、「憲法9条を変えた方が良い」は37%、「変えない方が良い」は55%とある。

憲法9条は「戦争放棄」を規定した条項であるが、それは「侵略戦争」を放棄した条項で、正当防衛に当たる「自衛戦争」を放棄した条項ではない。

それが未だに「自衛戦争」までを否定するような自殺的解釈が罷り通り、日本の安全保障を混乱させ著しく遅らせてきた。

 

しかし、目の前で「専守防衛」できたウクライナが簡単にロシアの戦争の餌食になった現実を見て日本国民の考え方も変わってきた。

「敵基地攻撃能力」賛成が52%、反対は40%と出ている。賛成が多い。

 

変わらない部分もある。

「専守防衛を見直す」36%、「今後も維持する」59%。

「専守防衛」とは自国領土で防戦することを意味するから、「敵基地攻撃能力」とは厳密に言えば矛盾しているのだが…。

 

ところで、考えなければならないことは、日本国民の安全を保障することである。

つまり、目的は国民の安全を守ることであって、条文を守ることではない。

 

国民の多数意見は、理想として「専守防衛」を望みつつも、現実には「敵基地攻撃能力」に賛成し十分な自衛力を持たざるを得ない、というところだろう。

国民の多くは、国民の命を守るためには「攻撃能力が必要」と判断している。

 

国民の命を守るためには「必要最小限度」などと言う言葉遊びに捉われることなく十分な防衛能力を身に着けるべきであり、そうした力を持つことが相手への抑止力にもなるのである。

つまり、十分な攻撃能力を持つことは相手の戦争意思を挫き、結果的に戦争を避けることにつながるのである。

 

現在、国民の防衛意識は統一されているとは言い難い。

憲法9条が国民の防衛意識の統一を妨げているのであれば、世界の常識に合わせて自衛隊を軍隊と規定し、自衛のためには交戦することを明確にすればいい。

本当は憲法改正すべきであろう。

 

立憲民主党や共産党の言う「立憲主義」は、軍隊である自衛隊の本質を隠し、軍隊ではないと「嘘」を強弁しているに過ぎない。

立憲主義を言うのなら、自衛隊を廃止するか、憲法を改正するか、どちらかしかない。