皆様
今まで、2回にわたって「感染症の100年毎の恐怖」
前々回:1918-20年に流行した「スペイン風邪」を
前回は:1823,1858,1862年と3回にわたって流行した「コレラ」を
ご紹介してまいりましたが、実はまだお伝えすべき「病魔」がありました。
それが今回の主眼であります。
●1 江戸期、コレラと同じくらいかもっと恐れらrていた伝染病とは?
●2 1300年前の・・・やはり「100」で割り切れるぢゃないか!!・・・
状況をお伝えして
今度のシリーズの最終回としたいと思います。
●1 江戸時代「コレラ」と同等、いやそれ以上に恐れられていたのが、
「痘瘡(天然痘)」です。
江戸時代、美濃国のある村の宗門改帳を基にした調査によると、1831年からの10年間
平均で、5歳以下の乳幼児の5人に1人(=100人に20人)は痘瘡で死んでいました。
ところが種痘が49年に日本にも導入され、村の医者が実施したところ、1851年には
100人に3人[20%⇒3%]に激減!!
この医者が亡くなると、再び元の死亡率になったそうです。
こうした子どもの死亡率を除くと、江戸時代でも平均寿命は約60歳ほどでした。
■ところで天然痘って?
皆様ご存じのように、天然痘は1980年にWHOによって根絶宣言が出ています。
ワクチン開発前の致死率は、20-50%でした。
人類が制圧した感染症として知られていますが、WHOの奥深くには、天然痘の
原株が厳重に保管されているのも事実らしーヨネ!・・・・・・?
実はこの病気、起源ははっきりしていません。
「ラクダ」に端を発している?といわれ、文献的に「死亡者」が確認されているのは
エジプトの王様「ラムセス5世」ではないかと?(いったい何者?)
紀元前1100年頃お亡くなりになったようで(ざっと3100年前!!)、ミイラには
痘瘡の丸いぼつぼつがあったそうです。
日本では、はじめなかったようで、6世紀半ば、朝鮮半島から渡来人がやってくる
頃から(538年ー百済から仏教伝来・・・日本史選択していた方、懐かしいでしょ?)
徐々に広がっていったようです。
●2聖武天皇(701~56、在位724-48?)の苦悩
疫病の蔓延や天候不順による飢餓、大地震などに悩まされた天皇の
一人でありました。即位が724年と今から1300年前。
すでに戦いの火ぶたは切って落とされていました。
***聖武天皇激闘の記録
天平9年(737年)に天然痘の大流行
725年 平城京を中心に大地震
732年 近畿地方を中心に大干ばつ
733年 近畿地方を始め各地で飢饉
734年 大和・河内で大地震:畿内七道地震M7
737年 疫病大流行(貴族も死ぬ)
740年 藤原広嗣の乱
※聖武天皇が平城京から離脱→恭仁京→紫香楽宮→難波宮と転々
742年 大隅(鹿児島)の海底で火山噴火
743年 盧遮那仏(東大寺の大仏)の造営を命ず⇒749年に完成
744年 肥後で地震
745年 美濃で地震:天平地震M7.9(=関東大震災と同じ強度)
※再び平城京へ戻る
***
そして人身一新を図る究極の国家的プロジェクトとして東大寺の
大仏造営に着手し、仏法の威霊によって天地が安泰となることを
祈ったとされます。
神仏に頼る機運は人々の間にも高まり、「節分」の「鬼は外」の
鬼とは、「疫病神」のことで、「感染症は国外に出ていけ」の
意味だったそうで、当時の宮中、民衆の深刻さが伝わってきますね。
歴史は繰り返されると申しますが・・・感染症の100年毎の恐怖・・・補遺 了
皆様3回にわたる長丁場、お付き合いくださいましてありがとうございました。
早くコロナも退散しないかな~・・・
カラスのクンセイ 拝