今日は郵政記念日/ オテガミ三題 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

最近、手紙書いた?

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

プをGETしよう
 
*その1 「飛脚」
  各藩お雇いの「大名飛脚」、庶民が使った「佐川急便・・・町飛脚」にわかれていましたが、
 幕府お雇いの、「宿場ごとに飛脚がリレーしていく<継飛脚つぎひきゃく>」のシステムもありました。
 宿場には専用の給料(といってもコメの現物支給ですが)が支払われていました。
 この飛脚は「江戸ー京、東海道492kmー通常の旅行では12-14日かかるところを3-4日で走破したと
されます。3日ですと 492÷24÷3=6.8kmm/hr 4日ですと5.1km/hrとなります。
 
なんだ、たいしたことないぢゃないか!!-ではありませんよー1日中走ってコノスピード
53の宿場町がありますので、受け持ちは「52区間」です。つまり492/52=9.5km.
多分この距離を60分程度で走っていたと思われます。1時間 x 52区間=52時間
4日で運ぶもであれば(96-52)時間÷4=11時間・・・1日半分だけ走っていればいいのです。
3日の場合、(72-52)÷3=1日6時間40分の休憩。往路と復路はおそらく同じ走りてでしょうから
返事が返ってくるまでは余りハメ外して遊べなかったかもしれません。
今と違って「箱根」もあれば「大井川」もあります。途中山賊に襲われたこともあり、護身用に「短銃」や「種子島=シュナイダー銃の日本版ライフル銃」を持たされたといいます。
 
飛脚制度は、明治に入って以後も、関係省庁が整うまでの間、明治5年まで機能していました。
 
*その2 「〒マーク」
はじめ、「郵政省(現:JP)」は「逓信省ていしんしょう」を名乗っていましたので、「かたかな<テ>」の図案化したものです。
「逓信」には「伝える・宿場」などの意味があり、「駅逓」なる言葉もあるほどです。
この言葉、今は死語となりつつありますが、「宿場から次の宿場まで次々に荷物を送り伝えること
という意味で、「逓」とともに飛脚に通じるものが色濃く反映されています。
 
*その3 「郵便ポスト」
この話は私は「都市伝説」と思っています。
明治初期、東京の中心部に登場した郵便ポストは黒塗り。
田舎からでてきた「おじさん連中」が、「郵便」を「垂れ便=公衆トイレ」と勘違い。
投函口を
「やけに高いところからXXするだね?」といったとか??
 
#ふろく「あかがみ」
TVドラマの戦争モノで、「召集令状」として出てきます。
お気づきかと思いますが、予定召集ではなく、突然やってくる臨時招集です。
よく太平洋戦争末期は「根こそぎ動員」とされますが、本邦の場合の動員数は9.6%。
軍事的「根こそぎ動員の定義は「10%以上の戦闘年齢に達した男性の損失=戦死、戦病死、生活に支障をきたすほどの戦傷」となっていますが、皆さん、敗戦直後の焦土の日本の写真を一度はご覧になったことはおありと思いますが、あれはやはり、根こそぎ以外の何物でもありませんでしょう・・・
 
最後はまた迷路に踏みkんですいません
お付き合いくださいましてありがとうございました
 
 
今日は郵政記念日/ オテガミ三題 

 了

 

  カラスのクンセイ 拝