通勤沿線のことはもっと知らなくては/岩見沢駅パンフレット+異端単端車付き | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

マズ、私の通勤路線図ですー全線JR<手稲ー美唄>

[手稲・自宅/札幌西郊]-10.6km-[札幌]-40.6km-[岩見沢/札幌北東]-16.6km-[美唄・職場/岩見沢北東]

           **************

先日、函館線の信号・電気指令系統がダウン、岩見沢で足止めを食ったことがあり、暇なので

久々、岩見沢駅の待合室をぶらついてみました。

ご提示いたしましたのは、待合室のパンフレットでありますが、よくみると

「本日のおすすめ。おしながき」と書かれており、

イカニモ<時々出してるゾ>とゆーフンイキ・・・かもしれない?

・・・をかもしだしている様子・・・

だいぶ地域のうまいもの・名所案内を見逃したのではないかと・・・

 

今度から少し余裕をもって通勤をしましょう、と思いました

・・・もーがっついて仕事する歳すんだしね・・

***岩見沢駅;酒のパンフレット

##########

*実際の位置関係、距離感覚は↓こんな感じ(日本鉄道旅行地図①北海道から)

[室蘭線自治体境界線]

/岩見沢-栗丘/岩見沢市ー/栗山/栗山町(1町1駅)-/由仁-三川/由仁町-

/追分-遠浅トアサ/安平町-/沼ノ端-苫小牧/苫小牧市

********************

[室蘭線単/複と駅間距離/算用数字 および 交換可○ or  不可X]

岩見沢-7.1-○志文-4.3-X栗沢-3.8-X栗丘ー4.2-栗山=5.1=由仁-4.2-○古山フルサン-3.4-三川=

=8.0=追分=6.8=安平=5.7=早来=5.4=遠浅トアサ=8.9=沼ノ端=5.4=苫小牧

☆志文ー栗山間の単線区間は12.3kmも続きます  

☆☆苫小牧・沼ノ端は千歳線を経由し札幌へ向かいます:ここだけ交流電化

 

****室蘭線・いらんこと怪説

●岩見沢市の

 ■酒;「ゆあみさわ」の由来は

    岩見沢は北海道では、数少ない和名の都市で、開拓使は、明治11(1878)年、幌内煤田開採の

    ため、 札幌~幌内間の道路工事人たちに、当市の北部、幾春別川の川辺に休泊所を設け、

         ここで浴(ゆあみ)して疲れをいやしたといわれており、当時当地区唯一の憩いの場所として、

    「浴澤」(ゆあみさわ)といわれ⇒「岩見澤」(いわみざわ)になったとか・・・

 ■酒:「ゆあみさわ」の説明文中「岩見沢市毛陽」とありますが

     「毛陽町」は室蘭線・志文から分かれていた、運炭鉄道「国鉄・万字線」美流渡駅付近の

     ことであります

          ただ、

    「毛陽」の由来については追い切れず、どなたかご存じの方、ご教示お待ちしております

   ☆また、美流渡からは・・・

    ◇美流渡専用線:最終正式名称は「北星炭礦美流渡礦専用鉄道」が出ていました

      <北星炭礦>は北炭の子会社

      大正7(1920)年、馬力で上美流渡まで開業、大10,蒸気動力化、昭和42年廃止

      美流渡(省)0.0km-(社)美流渡ー桜-若葉-上美流渡炭山2.8km-緑(末端区間のみ1957開業

 

 ■栗山:「北の錦」小林酒造

      この中で「栗山町・小林酒造」は別格で、その赤レンガ倉庫群は、国の歴史的産業遺産ー

      登録有形文化財ーに指定されています

      ところで、

      栗山町の人口は本年3月末日で、約11700人と最盛期(1960年、23000人)の51%程度で

             あります

           *****栗山町人口推移、縦軸対数表示の片対数グラフ

 栗山町の人口は昭和40(1965)年から一貫して減少中であります

   この間の、人口流出の傾向として、50-40年前の、人口のヘリが早かった1965-75年,

 少し緩徐になった1975-2005,

 再度人口流出が大となった2005-現在とに分けられるようです。

 栗山町にとって。人口流出の速さを変える社会現象としては

 夕張鉄道の①段階的廃止や、②地元企業の倒産などがあげられるかと思います。

 ①夕張鉄道(上図で栗山で国鉄線と栗山で十字に交わる(実際にも平面交差)緑色の路線

   1971.11:栗山ー鹿ノ谷(夕張から一つ栗山より、上図ご覧ください)の旅客運輸廃止

   1974, 4:栗山ー野幌の旅客廃止

   1975. 4:上記全区間<野幌ー栗山ー鹿ノ谷ー夕張本町>貨物輸送も廃止⇒全廃

 ②「木の城たいせつ:本社・栗山」倒産(2008.3.5営業停止処分)、。従業員566人全員解雇

   資本金2億2000万円。

   翌年、2009.3。大阪の住宅販売の会社が、旧「木の城」の施設、敷地など引き継ぐ形で、

    同名で新会社を復活させました。しかし、資本金は2200万円。

 ☆栗山の人口流出には、札幌方向にバスの便があるためか、鉄道の、それも道都方面

 (野幌行)の鉄路の喪失はほとんど影響が少なかったように見えます

 実際、最晩年の<野幌ー栗山間の気動車列車>はキハ251形(キハ21相当)単行X2時間毎

  運転で空席があったそうですので・・・さらに・・・野幌・栗山23.0mの途中には交換駅が1か所のみ

 (南幌=野幌起点12.2km)でしたが、これも持て余し気味だったとか・・・

 むしろ、最近、流出大になったことは、地元企業の求人枠が狭くなったためか?(資本金が1/10と

 なっていることから)と想像させられます。

 また、

 岩見沢ー苫小牧は岩見沢ー追分が1894、追分ー苫小牧が1902年、各々北海道炭礦が開業

             1906年国有化。北海道炭礦は後北海道炭礦汽船に発展

 夕張鉄道は1926年開業。開業時より北海道炭礦汽船の子会社で、

        1974年、屋号を北海道炭礦汽船に変更。

                 ※もともとの出自をただせば、同一の会社でありました

                                                                                                                                                             

 □角田<ゲスト出演?>「カクダ」

  「かくだ」駅は、下記の専用線が出ていたので、取り上げたのではありません。

  この専用線、積み荷を任せる駅を最短距離の「夕張鉄道・新二岐」にしました。

  「連帯輸送駅」を夕張鉄道・カクダや、国鉄・栗山ではないところに鉄道の規模がうかがわれます。

  ところでこの鉄道を取り上げた理由は・・・

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  ◎角田炭鉱専用軌道 夕張鉄道・新二岐ー学校前ー松原前ー社宅前ー事務所前/4.7km

    1934:北炭ー1954:角田炭鉱ー1970:廃止/蒸気ー電化?時期不明、旭川電軌の中古を購入

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 栗山町の「村」時代の自治体名は「角田村」と言っておりました。

 宮城県からの入植の土地であります。

 そして宮城県・角田といえば・・・!そーです!!!あれしかない!!!<コーハンに続く>

 

 ■由仁:「ヤリキレナイ川」:石狩川水系夕張川支流で、長さ約5kmの一級河川

   「ナイ」自体に「川」の意味があります。上の表記ですと、「ヤリキレナイナイ」となりますが、

   道外に向けて「ヤリキレナイ」だけでは難解ですので。「川を付けざるを得なかったのですね。

   この辺の字ジョーは「アルハンブラ宮殿」と同様と思います。

   また、「ヤリキレナイ」については、

    現地語で「魚の済まない川」を意味する「ヤンケ・ナイ」、または「片割れの川」を意味する

   「イヤル・キナイ」と言われています

 

 

これで、パンフレットの怪説はおしまいです。

最後までお付き合いいただきました方々、深く御礼申し上げます。

 

(オイッ!!こら!!続きやれヨ)

 

<前半から続く>

シカシ「カクダ」が出てきましたか*そーですか**そんぢゃ、やりますか 

   

日本の三大フシギ単端車/あるいは異端車?・・・私のめーめーデス・・・についての型logue

 1]角田軌道:「無許可」はこの時代の代名詞?世界恐慌年(1929-30)製造なので、オカミも

          出張調査費どころではなかったのでは?ウワサドーリ、ほんとに走ったのか?

 2]朝倉軌道:

       チョー流線形+片ボギーでこちらが常に後輪駆動軸となる「オカミ無届」単端車「キハ3」

 3]根室拓殖軌道;貨物機同社の上に「地元の大工さん」が作った客室部分が乗っかった「キハ1」

            キャッチコピー?<湯口  徹 大先輩のコメントだったべか?>

                          「これが銀龍なるぞ!」

 

 ・そして、ご存じの方も多数おいでかと思いますが、1-3]の車輌軍であります

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1]カクダ軌道、762mm 槻木ー角田間19.7kmを29.6km/hrでソーハした怪物

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2]朝倉軌道914mm,ねぇねぇ、後ろの駆動軸?ボギーなんだよ!

転車台からはみ出しそうになって、転車台直径変更届をオカミに出したっけ

「セッケーズのすんぽーと違うんでないかい?・・・ちがうばって?」っていわれて

「んぢゃ、直径変更届引っ込めますわ」・・・って・・・もう使ってんのにダヨ

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3]根室拓殖軌道762mm、キ1⇒キハ3「銀龍」号、銀龍はキ1当時からの愛称?というか?

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1]角田軌道(かくだきどう)は、かつて宮城県南部の槻木駅付近を起点に、阿武隈川西岸集落を

南北に結んでいました。

開業時は馬力で、明治32(1899)年に角田、明治34年)に角田と舘矢間が開通。後年、角田までは

蒸気動力化されたものの、角田ー舘矢の間は馬車鉄道のまま採算不良路線として、槻木ー角田

より早くに廃止されました。経営全体も振るわず、昭和4(1929)年、引継ぎ会社も見つからぬまま、

会社解散という最悪の形で終焉を迎えました(多分最初の鉄道企業と思います。以後寿都鉄道、

北丹鉄道、野上電鉄と続きますがいずれも戦後派、世界恐慌の影響大でしたか?)

さて、店じまいの前年、昭和3年、オシャシンの奇怪な改造気動車を無認可で導入します。

☆構造上、どのように作って縫い合わせたかわかりませんので、

以下全文 Wikipediaからもってきました

<昭和3年導入の無許可改造気動車の件>

経営悪化対策として導入されたもので、自社保有の木造ボギー客車を種車にした当局無許可

改造車です。

車輪・車軸を外した、中古のフォードT型トラックの運転台直後でシャーシを切断。

この前部部分だけをボギー客車の車端に接合しました。

無認可のため公式設計図は残されておらず、駆動方式やブレーキ機構などは一切不明。

単端式であるため、起終点での方向転換は?このような並外れた長いサイズでは軽便鉄道用

転車台は使えそうになく、「起終点にループ線/デルタ線を設けたのでは?」と推察されています。

当時の運輸業界誌の雑報でこの「気動車」の試運転[槻木 - 角田間19.7kmを40分(29.6km/hr)

ほどの快速で走破した]と報じられました。この記事では、引き続き角田軌道が3トン積み貨車に

エンジンを搭載することを計画している記事も掲載されていたそうです。

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2]朝倉軌道914mm

オシャシン「キハ3」二日市で杵屋栄二撮影(1939年)

無許可で設置された転車台にて方向転換中の無許可改造車・朝倉軌道3。

他例のない「両端とも流線型の木造単端式気動車」という特異さから、朝倉軌道の車両の中でも

特に取り上げられる頻度が高く、同社のシンボル的存在であります。

前面にラジエーターグリルとエンジン始動クランクが見えます。

営業は「1906-1939年に休止しています。1938年に省線・甘木線の開通により鉄道屋さんを

やめています。

朝倉軌道のオモロサはズーズーしさと、抜け目のなさ、開き直りの経営方針と

ここだけの車輌群と思います。

私が説明してもショーガありません。是非皆さん、御自分の目でご覧ください。

カンリョーとの駆け引き面白いですよ!

といったことばかり、話題になる会社ですが、

第二次世界大戦前の日本においてガソリン機関車を自社で手作りした会社は、北九州鉄道、

十勝鉄道と朝倉軌道だけ、といったほかに自慢できる技術力もあったようですし、営業キロの

44,4kmは、筑後軌道の56.7kmにはかないませんが、九州島内第2位で、この自社交通ネットワークが

長きにわたり朝倉軌道の安定業績をを作りだしてほかの軽便会社とは違った存在感を示しています。

ただのほら吹きと計算高いだけでしたらこれほどの企業になっているとは思えず、もっと経営手腕を

評価すべき企業の一つかと思われます。

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3]根室拓殖鉄道、実働:昭和4-34(1929-1959)年

オシャシン;キ1からキハ3に改番「銀龍」号

1949年田井自動車工業製の単端式気動車。4輪単車で日産180型トラック用「A型」6気筒エンジン搭載。

田井自動車工業は戦前からある札幌の特装車架装・バスボディメーカーで、現在も、消防車等の

架装メーカーとして現存。鉄道との関わりは戦時中に木炭ガス発生炉を道内の私鉄・簡易軌道向けに

供給。

キ1は、当初は貨物輸送を目的に製造され、キャブオーバー型トラック風の正面2枚窓スタイルで、

運転台部分はジュラルミンを使用していたとされ、その銀色のボディから「銀龍」と命名されたと

 

前後のバランスが悪く脱線が頻発、小改造で改善したものの、軌道の根室駅が国鉄駅と貨物の

連帯輸送をしていないので、トラック輸送には勝てなくなってきており、キハ3と改番の上、荷台の上に

切妻型?かまぼこ型?客室を、近隣の大工さんに作ってもらい最終形としました。

拓殖軌道の件

道東の国鉄・根室駅からさらに東に進んだ「軌道だけの根室駅」から「さらにさらに東へ15.5kmいった

歯舞駅まで」の軌道です。

昭和34年、歯舞村が根室市に合併することを受けて鉄道を廃止し、バス会社に転換、

昭和36年、根室交通に合併されちゃいました。

ここでも雪国ならではのコワザがさく裂しています。

機関士さんが、国鉄のラッセル車を見て、ラッセル車を作って走らせたそうです。

 

結局最後、いらんことたくさん書きすぎて、読みづらくしてしみました。

お読みくださった方々、ご多忙のところ恐縮です。

改めて御礼申し上げます。

 

 へんだなー、パンフレットだけのつもりだったのに・・・   了

 

 カラスのクンセイ  拝