Ⅰ苗穂駅の移転[H30.11,17]と・・・「苗穂」のご紹介/旧千歳線容量の限界まで① | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

●<背景>:「苗穂」駅と「苗穂」の御紹介

 すいませんが、こーいったつまらないところから話を始めさせてください。

 

一見、大和言葉を思わせる、「なえぼ」は-やっぱり期待を裏切らずー

「ナイ・ポ=小さな川」を表わすアイヌ語で、豊平川(石狩川の支流)水系扇状地の

先端に当たり、昭和40(1965)年ころまでは扇状地終端の伏流水を利用した

「小規模・家内工業レベルの工場」が立錐の余地がないほどひしめいていました。

 

ところが、昭和47(1972)年の冬季オリンピックの開催地が札幌に決定しますと、

札幌とその周辺はにわかにあわただしくなりますー’トーゼンダローサ’とお考えの

諸賢が大多数と思われますが、何せ、アジア州初めての冬季五輪開催でしたので、

関係者の方々の感涙もまたヒトシオ・・・この辺で次急ぎますネ・・・

 

五輪準備はすさまじい勢いで進められていったような気がいたします。

「目玉」は地下鉄ができたことが一番かな?

プレ五輪1971年にちょこっと運転して早くも事故ってます。

また、「道都として、生活の利便性が増す」ことを目標に札幌市は邁進します。

 

昭和45-50(1970-75)年、車社会の邪魔者として軌道が市内から追い出された

時期と、地方の中小の鉄軌道がバスに敗退したころと一致しているようですが、

1973年から、札幌市でも市電が次々廃止になっていきました。

(駅前通りの札幌グランドホテルー苗穂駅間は1971年に廃止なっていましたが、

最近また復活のうわさがあります)。

 

札幌は、地下鉄導入の代わりに、市電と下駄ばきで買い物に行き来できる

マチの利点を失いました。

 

そして、「札幌の地下鉄構想は昭和40年の直前(図ー1もご参照ください)、当時

人口60万人程度の時期、に出されたものらしいのですが、時の運輸大臣は

大変難色を示し、

「ヒトがのらんかったら、サッポロさんは、クマでも乗せるのかね」と

議会でつめよったとか?

それに対し、当時の札幌市の交通局長「大刀 豊ダイトウ・ユタカ氏」は

「クマといえど乗せた以上は料金はもらう」と答弁した逸話が残っております。

++<図ー1>昭和25-60年の6大都市(全部でなくてスイマセン)と

地方中核都市の人口推移のグラフ;縦軸対数処理の片対数グラフ

人口千人以下四捨五入、丸数字は人口ランク

    *これを見る限り、札幌の人口が60万人に到達したのは、昭和37年頃

     のようで、上述の大刀交通局長の証言と一致しているようです

###<表ー1>同じく上のグラフを表にしたものです

  数字の色違いは上のグラフの折れ線と合わせてみたのですが

  あまり目立った効果はありませんで、落ち込んでいます

ソートー以前、本邦では明治期より人口集中が起こっていた市域を

「六大都市:東京市(昭和18年、東京府と合併、東京都となる、統計資料などは

東京23区を使用)、大阪市、京都市、名古屋市、神戸市、横浜市」とよんで

当別扱いされていました(まー、なんといっても人口ばかりではなく、インフラ、

教育、商業などあらゆる面で突出していましたから)。

 

例えば、終電近い24:00ころ札幌から手稲(10km)、千歳(21km)へは5分毎、

小樽(33km)、岩見沢(40km)へは20分毎に電車が走りますが、3-6連の入れ物が

ホトンドスカスカのことだってありますもん。

一方、東海道湘南線、平塚まで7-8分毎、小田原まで15分毎、これが15連、

常磐中電・上野ー土浦間、12連、22:40まで10分毎以後24:00まで30分毎。

このほかに横須賀線(逗子まで17分おき15連)、E電15連2-3分毎。

それぞれに始発駅以外の任意の駅からの乗車では着席は難しそうです。

ところで、上にあげました駅の東京・上野からの駅間距離ですが、

A東京ー逗子=57km、AAー平塚=64km、Bー小田原=86km、

AAA上野ー土浦=63kmです。

札幌圏の札幌から余市53km、美唄57km、滝川84km、苫小牧71km付近が

首都圏の東京/上野対A-B各駅との対比の目安になりますが、道内各地点は

「こんなところまで夜中電車を走らせて人がたくさん乗るってんだー・・・」

につきます。

札幌一極集中排除!が叫ばれてから久しいですが、結局札幌もいなかなんです

 

(こら!寄り道しすぎ!!)

そこに、突然、昭和38年、「工業」を主軸として、<門司、小倉、若松、八幡、

戸畑の五市の対等合併>を経て、九州初の政令指定都市(都府県と同等の行政力あり)、

「北九州市」が、九州初の「百万人都市」として誕生、「広域合併※」とこちらも初めての試みと

思います。

しかしその後の長大産業の不振で昭和54(1979)年の108万人をピークに、4000人/年ずつ減少、

平成21(2009)年ついに恒常的に100万人いかとなって、現在95万人。

地理的にも「京浜、中京、阪神、北九州工業地帯」といっていたものが、北九州のみ

「工業地域」となってしまったようです。

※面積は492㎢と、のちのいわき市(昭和41[1966]年、1231㎢)、札幌市(昭和42[1967]年,1121㎢)

から比べれば小ぶりでしたが。

最後までお読みいただきありがとうございました。

申し訳ありませんが、また「ヤマバで制限字数を迎えてしまいました」

=制限字数内にヤマバもまとめ切る文章力がありませんでした」

ってことです。

 

苗穂駅の移転[H30.11,17]と・・・「苗穂」のご紹介/旧千歳線容量の限界まで①

 

次回

苗穂駅の移転[H30.11,17]と・・・「苗穂」のご紹介/旧千歳線容量の限界まで②

の予定です

 

カラスのクンセイ 拝