まずは志文駅のご紹介からです。いまからみると貫禄があります。
***<写真ー1>志文駅
昭和56(1981)年8月1日撮影
跨線階段が3列になっているのが見えます。万字炭山の閉山により
万字線が閉店するのは昭和60年のことですので、奥に見える階段は
万字線用のものという事になります。
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それか閉山を経てどうなった後申しますと、
***<図ー1>
が自慢のゲレンデです。
****<図ー2>など
***<写真ー2>北海道炭礦汽船(=北炭)・美流渡専用鉄道
上の写真は、母の長兄(故人)が、室蘭工専[現・室蘭工業大学]から学徒出陣で
満州(現・中国東北部)に出征しましたが、運よく?帰国すると富士鉄
(戦前の日本製鉄が富士鉄と八幡製鉄に別れ、戦後再び両者が合併、
<新日本製鉄>となりました)に勤め、趣味で鉱山鉄道巡りをしておりました。
そのとき撮影したものらしいのです?
写真は伯父から生前もらったもので、昭和33か34年の雪解けころとしかわかりません、
画質は最低、表面に細かいしわしわ・・・
美流渡線は、社員と家族には便乗乗車を認めていたようです。
伯父から、専用鉄道とは貨物など決まったものを運ぶ鉄道ではないのか?
美流渡ではヒトが乗っとったぞ?いーのか??
っていわれてもねー??
小学校低学年にわかりますか???
********<図ー3、路線図のよーなもの>
・・・
申し訳ありません
これ以上記事を重くしますと、トラックの積載重量オーバーになるそうです。
続きは夕刊に掲載いたします。
朝刊のご購読、ありがとうございました。
カラスのクンセイ 拝



