いつでしたか「木次線・備後落合」の凋落ぶりを簡潔明瞭な筆致でまとめられておいででしたが、
お写真の枚数が多かっただけに、「余計な説明抜きの要旨だけ」という文章で、それでいて、
必要不可欠のことが全部網羅されておりました。
なかなかできるワザではありません・・・・
ではその、「伯備線が、電化・高速化される以前」、まだ木次線が陰陽連絡に
クンリンしていたころの時刻表をチラ見してみたいと思います。
****<図ー1>昭和47(1972年夏、深夜帯の木次線の賑わい***
「ちどり」は昭和43.10-47.3の間が昼行便x5、夜行便x3で全盛期を迎えます.
****************************
しばらく、「ちどり」は7往復でしたが、この時期(昭和43,1968.10.1-47.3.15)、約3年余、8往復となります。
しかし、従来ルートの「木次線」を走っていた「ちどり」が1往復増えたのではなく、
<増えた1往復>は、
木次線の線路容量不足?から陰陽連絡役を「米子ー備後落合」間は伯備線経由としておりました
「準急・しらぎり」を、急行格上げと同時に、伯備線ルートのまま「ちどり」に加えるといった
少しおおざっぱな「まとめ方をやっちまって」、
「ちどりを増便にしちゃったことにしよーぜー」と、結局、木次線を走る「ちどり」は
それまでの7往復であることに変わりはありませんでした。
***<図ー2>ちどり & しらぎり(⇒ちどり)運転経路***
●オリジナル経路:広島ー[芸備線]ー備後落合ー[木次線]ー米子・・・A
●しらぎり⇒ちどり経路:広島ー[芸備線全線]ー新見ー[伯備線]ー米子・・・B
※2/8往復が西は岩国まで、東は鳥取まで定期延長運転しておりました
※準急「しらぎり」は昭和37(1962)年3月15日ー昭和41年3月8日までの存在。55/58系3連
途中「都市代表駅」:
A:三次、庄原、松江、☆木次町が市になるのは「平成の大合併で<雲南市>に、
「宍道町」は同時期松江市の一部に
B:三次、庄原、新見
と、まあ沿線人口の張り付きは五分五分の対決
**************
ただし
当時より、伯備線経由のほうが所要時間は短かったようで(後述)、
すでに、この時点で、現在の伯備線と木次線の勢力逆転を暗示していたのかもしれません。
それでも、古い時代は木次線が優勢で伯備線との上下関係がなかなかひっくり返らなかったのは
●山陰線での出口が、木次線が宍道、伯備線が伯耆大山で松江まで各々17.0km,33.7kmとビジネス客には
有利?でもやっぱり所要時間だと思いますけど?
●全通は伯備線が昭和3年、木次線が昭和12年で、伯備線のほうが老舗なので、これも関係なさそうです
トコロで、「ちどり51・3・52号」は広島を深更に出ますと、島根の県都・松江に未明につきます。
所要は約5-6時間です。昼行便で山陽地区に戻れば、また夜行で山陰地区に戻ってくることができるといった
運用上の無駄のなさも好まれたようです。
愛称名「ちどり」は「松江城」の愛称でもあります。
<参考図書>
◆日本鉄道旅行歴史地図帳⑪中国四国 今尾恵介 原 武史氏監修 新潮社 平成23年3月18日
◆(#)準急しらぎり■下り:広島0828-米子1330(5時間2分)■上り:米子1516-広島2042(5時間26分)
(#)準急しらぎり稼働時期/発着時刻:「国鉄準急行物語」 岡田 誠一 氏 著
Can Books JTBパブリッシング 2012年12月1日
●所要時間対決・・・元祖木次線 VS 新参者伯備線<図ー2>をご覧いただきながら
比較してくださいますと多少わかりやすくなるかもしれません。
◎元祖・木次線
米子ー(山陰線①)-宍道ー(木次線②)-備後落合ー(芸備線③)-広島
走行距離:①+②+③=17.0+81.9+114.5=213.4km
◎新参者・伯備線
米子ー(山陰線ー<伯耆大山>-伯備線A)-新見ー(芸備線全線B)ー広島
走行距離:①+②=165.5+78.8=244.3km
◆両経路の<備後落合ー米子間>距離は、当然全行程の差に等しいわけですから
244.3-213.4=30.9km(12.6%短い)・・・木次線のほうが短かったのです。
■北海道でも、はじめ優位に立っていた
函館線(函館ー小樽ー札幌。286.7km)が10%距離で上回る
室蘭・千歳線(函館ー室ら・苫小牧ー札幌318.7km)にメインルートを
奪われるのと、地形的関係がよく似ていると思いました。286.7/318.7=89.9%
◆先ほど、以前から伯備線が木次線に対して優位になる運命にあった?と書きましたが、途中経過は、
それほど容易ではありませんでした。
確かに、木次線は、本邦では名うての山岳鉄道といって否定するお方はおいでにならないでしょう。
(図ー4の勾配断面図をご覧ください)
伯備線の最急こう配もまた25‰でありますが、スイッチバックやループ線はないだけの勾配路線で、
実は、伯備線の走行は楽なのかといいますと、結論は「木次線から比べるとややまし」
といった程度でしかありません。
SL終焉のころ鉄道小僧(失礼!!)だった方々には、伯備線・布原信号場D51三重連はあまりにも
有名でありましょう。
SL(定期)三重連はここと花輪線:龍ヶ森8620、播但線:C57生野越え、東北線一戸区・
C61+C60x2/C61x2+D51の大中山越えのなんでもあり三重連しかありません・・・ね?・・・そーだよね?
・・・というくらい、まずは、そー言った、記念碑的存在を思い浮かべていただいておいて、
加えて、基本的に「伯備線」という線区は、
北部の山陰線側は「日野川水系」、新見付近は阿哲渓谷、瀬戸内側の倉敷ー新郷間は「高梁川水系」に
理想的線形の軌道敷設を阻まれるほど、深山幽谷の険しい渓谷路線であり、
振り子特急こそ110-120km/hrの許容速度で飛ばしていきますが、振り子非搭載の一般台車の車輌は
いまだ60km/hr制限が随所に残り、ブレーキ音も山々にこだまさせている線区となっております。
###<図ー3>現在の木次線・落合口,JTB2017年3月号#####
「正午」までの列車をあわせてやっとこれだけ埋まりました
**********************
●落合から宍道(山陰線)までの直通列車がなくなってしまいました
昭和47には定期急行1(臨急2)、各停2
さらに
●松江にいくには全便宍道で乗り換えが必要になりました
さらにさらに
恐るべきことことに!JTB時刻表では「木次線+宍道ー松江」のページがなくなって
「木次線(落合ー宍道)」だけの欄になって、木次線列車と山陰線列車の連絡を
違うページで見なくならなくてはなりました。
●落合から横田まで午前は1本だけになってしまいました
☆昭和47年の時刻表を見ますと、
落合ー横田29.6kmに急行3本とも所要50分以上
横田ー木次31.2kmには40分そこそこ
例えば:ちどり3号 落合ー横田 29.6km/54分=表定32.9km/hr
横田ー木次:31.2km/42分=同44.6km
◆では現在は?通年列車ではなさそうですが唯一通し運転の1450D列車の場合
落合ー横田 29.6km/61分=表定29.1km/hr
横田ー木次:31.2km/54分=同34.7km
☆やはり、横田ー木次の表定速度が上ですが、天下のスイッチバック駅を含む木次線のこと、
地形的な影響が大きいと思われますので、まず、断面路線図をご覧いただき、イメージをつかんだのち
もう少し細かく見てまいりましょう
####<図―4>木次線・宍道ー備後落合間断面勾配路線図>####
◆三井野原はJR西日本最高標高駅
++++<表ー1>木次線。駅と距離標高表・・・これから<図ー4>を作りました+++
☆木次線は県境の山肌に軌道をじかに敷設いたしましたが、
伯備線は県境・谷田峠(標高500m)に谷田トンネル(約1400m)をうがち征服
☆落合ー出雲横田を2区間に分け
◆登り勾配、落合ー野原:201m/12.2km=23.0‰
◆下り勾配、野原ー横田:389m/17.4km=22.4‰
※登り区間が41%を占め、途中にスイッチバック(30‰)があって時間がとられている
☆出雲横田ー木次間を3区間に分け
◆下り勾配、横田ー三成:104m/10.8km= 9.6‰
◆登り勾配、三成ー八代: 71m/ 4.1km=17.3‰
◆下り勾配、八代ー木次:257m/16.3km=‰
(下久野ー日登の勾配区間の影響大:153m/6,7km=22.8%)
※登り区間が13.1%と山間部と比べ値も小さく、速度低下阻止に貢献しています)
<<写真:最後になりますが、過去に皆様にご紹介した先達の写真を再掲いたします>>
スイッチバックこそ入っていませんが、坂根構内を邁進するC56の珍しい力感あふれるお作であります
版権者様へ:快速「夜行ちどり」、出雲坂根、 2014-07-13より再掲
**********************
はじめは木次線の落合ー宍道間のプロフィールを書こうかとも思いましたが、
話があっち行ってこっちに来て、
やはり文章のうまい人には敵いません。
それでも最後までお付き合いくださいました皆様、御礼申し上げます。
いつもながら「歩王様のレポート」の綿密さには感心させられます・・・了
●蛇足
*昭和54(1797)当時のオカネナイ人の山陰までの行き方
東京ー(大垣夜行;のちのムーンライトながら)-名古屋下車
⇒(ひかり)乗り換えー岡山下車
⇒やくも乗り換え(モチロン・キハ181)
カラスのクンセイ 拝





