Ⅲ-2. 関西本線・・・ごめん!わすれてた!!沿線の皆さんすいません!!!
・・・の焼け跡から昭和30年代初期31.11.19サンイチ東海道線全線電化完成頃
まで)2/2・・・・を見てみましょう(今まで何やってたんだ?)。
●関西本線の優等列車
*昭和24(1949)年9月、名古屋 - 湊町間(174.9km)に3往復の準急が設定され復活しております。
*翌昭和25年10月改正当時、同区間を3時間27 - 37分(48.4-50.7km/hr)で走行。
*昭和30年7月に、3往復のうち1往復が日本初の気動車準急となり、翌年には3往復すべてが気動車と
なりました。使われた車両は当初は(*)キハ10系キハ51形(DMH17B 160PSx2台)、後には
「日光型気動車」と呼ばれたキハ55系(DMH17C 180PCx2台)となり、
昭和31年11月改正時には前回お伝えしました通り(**)
<東海道本線の優等列車の所要時間>
準急が名古屋 - 大阪間を3時間16分(58.3km/hr)、
急行が3時間5分 - 50分(49.7-61.8km/hr)でありましたが、
この関西本線の準急は
名古屋 - 湊町間を2時間50分 - 56分(59.6-61.7km/hr)で走破、当時の名阪間最速列車に!!
この頃まで、名阪間輸送は、どちらかとゆーと東海道本線より関西本線(近鉄との対抗上も
あって)に重点が多少おかれてはいましたものの、
*昭和31年の東海道線全線電化完成を経て、
*昭和32年10月、80系電車を使用した「比叡」が登場すると、その主流は完全に東海道本線に
移っていきました。
<参考>****************
*国鉄ーー名阪:190.4km(東海道経由:名古屋ー大阪)174.9km(関西本線経由:名古屋 - 湊町間),
名伊(宇治山田市):117.4km,阪伊:種々コースあり
*近鉄ーー名阪:187.7km、名伊:107.1km、阪伊:187.2km
*DMH:Diesel Moter +アルファベットの順番abc・・・Hは8番目なので8気筒、次の数字「17」は
総排気量17Lで、最後のアルファベットは開発No.のヨーナものです
*****************
また車輌限界断面はキハ26-55系でやっと1人前の客車レベルになったという感じでありまして、
キハ10系の初期の車は、車輌断面も小さく、ボックスシートの椅子の小ささに至っては「これどーやったら
<いい大人4人がすわれるんだ?>っといった、「リカちゃんハウス」並の貧弱さでありました(話を
フヒツヨーに大きくしない!!)・・・
*国鉄準急行列車物語 岡田 誠一 氏 著 CanBooks JTBパブリッシング 2012年12月1日
**近鉄雑感…参宮急行電鉄2200の後継車たちと国鉄との焼け跡バトル①-1,昭和31迄の前半 20156.3.8、http://ameblo.jp/teinahoshi/page-3.html
*******************************************************
Ⅳ 引き続き「新幹線前夜」まで行ってしまいましょう
Ⅳー1..国鉄・在来線の新幹線前夜
Ⅳー1-1.関西本線
80系電車以降の国鉄における中長距離向け電車は、客車列車と比較しても遜色ない設備を備えており、
走行性能に置いては客車・気動車のそれをはるかに上回っていました。
単線・非電化の関西本線を走る気動車準急が、複線電化の東海道本線を走る電車列車に主役を譲るのは
必然の帰結と言えましょー。
*昭和33年10月、上記3往復の気動車列車は「かすが」と命名されました。東海道本線の所で述べた
*昭和36年10月改正時、「かすが」は気動車化時と変わらぬ2時間56分で走破し、その料金・運賃は590円で
ありました(☆)。
*なお昭和37年5月には、前述した「比叡」にもはや増発の余地がなかった(=東海道線の線路容量が満杯)
ことから、名古屋 - 京都間を関西本線・草津経由(名古屋ー亀山ー柘植―草津ー京都)で結ぶ準急「平安」が
2往復(1往復は、桑名 - 京都間の運転)設定されています。
しかしそれに先立つこと、
*昭和34年12月の近鉄特急の名阪直通運転開始(名古屋線広軌化)や、
「かすが」運転開始後ほどなく開業となった
*昭和39年)10月の東海道新幹線の大量速達運転によって「かすが」の名阪間の役割は大幅に減り、当然
需要は激減。昭和41年3月に「かすが」は急行列車(☆☆)となるものの、
*昭和48年10月の関西本線湊町 - 奈良間電化の際、加速の鈍い気動車が電車の定間隔ダイヤを乱す
ことを避けるため「かすが」の同区間運転を打ち切り、この時点で関西本線経由の名阪直通列車は消滅
しました。
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時間的に「新幹線開通前夜」からは、少しはみ出しましたが、切るタイミングがなかったのでご容赦ください
<参考>
☆:準急料金については:2016-03-06,
「近鉄雑感…参宮急行電鉄2200の後継車たちと国鉄との焼け跡バトル①-1,昭和31迄の前半」
http://ameblo.jp/teinahoshi/entry-12136118543.html
をご覧ください。
☆☆:国鉄から準急列車が消滅(Wikipedia準急列車)
昭和41年3月に、準急行券の販売を営業キロ100kmまでに制限し、その額をその距離の急行料金と同額に
しました。また、100km以下では、準急行券での急行利用、急行券での準急利用を、相互に可能とし、これに
より100kmを超えて走行する準急はすべて急行列車となって、100km以上を走る準急については、実質的な
値上げとなりました。
さらに、「ヨン・サン・トオ改正」と称される昭和43年10月のダイヤ改正で、残った準急列車も全て急行列車に
統合され、これをもって国鉄の準急列車は消滅しました。
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Ⅳー1-2.東海道線
*昭和36年10月ダイヤ改正(「サンロクトオ」の改正):
東海道本線優等列車の最盛期を迎えます。
※名阪間電車特急列車
昼行定期「第1・2こだま」+「第1・2つばめ」・「はと」・「第1.2富士」7往復と、
臨時特急「第1・2ひびき」2往復。
※同・電車急行は「六甲」・「第1・2せっつ」・「やましろ」・「いこま」・「第1・2なにわ」・「第1・2よど」などで
定期8往復(この中で名古屋を深夜に通る夜行は2本を除く)、
※客車急行で名阪輸送の一環をなすものは「霧島」・「高千穂」・「阿蘇」・「さつま」と
併結の「雲仙」・「西海」(併」など定期で5往復前後が運行されておりました。
※電車準急は名阪間を純粋に運行した「比叡」の他にも、
停車駅を絞って(&)速達性を重視した「伊吹」が、昭和34年9月改正で新しく登場しており、
「比叡」が8往復、「伊吹」が2往復の、計10往復となりました。
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<参考>(&)「伊吹」の停車駅」,2016-03-12,
●1:近鉄 雑感…参宮急行電鉄2200の後継車たちと国鉄との焼け跡バトル①-2,昭和31迄の後半
の中で全急行列車が停車している「大垣」を通過している時刻表を載せてあります。
●2:昭和の鉄道<30年代> 今田 保 氏他 著 JTBパブリッシング JTB 2010年11月1日
(時刻表は日本交通公社 昭和38年5月号)
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名阪停車駅+所要時間は、トッキューはさておき
トージョー人物は、急客「高千穂」クン、急電「六甲」クン、準電「第一伊吹」「第一比叡」クンであります。
停車駅一覧:●全便停車
・高千穂クン:大阪ー●京都ー●大津ー米原ー●岐阜ー名古屋・・・2時間52分=表定66.4km/hr
・六甲クン:大阪ー●京都ー●大津ー彦根ー大垣ー●岐阜ー尾張一宮ー名古屋
・・・2時間29分=表定76.7km/hr
・第一伊吹クン:大阪ー●京都ー●大津ー(107.3km!)-●岐阜ー尾張一宮ー名古屋
・・・2時間23分=表定79.9km/hr
(「六甲」とは大津ー岐阜で4分、大阪ー大津と岐阜―v名古屋で各1分ずつ短縮)
・第一比叡クン:大阪ー●京都ー●大津ー石山ー草津ー近江八幡ー彦根ー米原ー大垣ー●岐阜
ー尾張一宮ー名古屋・・・これだけ停まって2時間50分(高千穂クンより速い)=表定67.2km/hr
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*この当時、上記中、都市代表駅でない駅は米原でありました。
北陸線分岐駅として、西隣の「彦根市」を通過し、「米原町」に停まる優等列車も結構ありました。
平成17(2005)年、「米原まいはら町」が中心になって、国鉄時代から駅名で名前が通っている
「米原まいばら市」が誕生しました。しかし、合併の核となった米原町は現在でも「まいはら」町です。
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◆名阪間を電車特急は2時間14-16分(85.3-84.0km/hr)、電車急行は2時間30分強(70km/hr前半)、
客車急行は2時間40分ー3 時間強、
電車準急は2時間20分のグループ=「近鉄特急との対抗上の<サービス商品?>として」と
2時間40分程度のグループがありまして・・・で走破していました。
※「伊吹」は電車急行並みの速度で走る「2時間20分組ー準急列車」でした。
「比叡」が全車自由席、「伊吹」が全車座席指定席の列車で、愛称をみれば座席編成が
わかるようになっており、
さらに、指定席運用の「伊吹」には、昭和36年10月以降、近鉄への対抗策としてビュッフェを
組み込んだ急行用の編成での運行となり、設備面でも差別化が行われます。
%%%%%まったく余計な話ですが、ほぼ同時期東京ー大阪間「夜行寝台急行」も最盛期を迎えていました%%%%%%%
<参考は上記●2>
*所要時間は平均10.時間半ほど(ホントデスヨ!!)…日中の在来線急行電車でも東京大阪間は
7時間半はかかっていたんですから・・・
<東海道七星?▲は新幹線開業時に、◆40年10月廃止、
●43年銀河に統合、愛称は関西・九州間ブルトレに転出>
登場年度
昭和32年:▲彗星
昭和36年:●明星、銀河、◆月光、◆金星(電車から客車寝台列車化)
昭和37年:▲あかつき
昭和38年:▲すばる
**************************
当時の東海道線の優等列車の列車編成であります。不本意ながら昭和39.10のものであります。
<参考>
<国鉄・JR>列車編成史 三宅俊彦・寺本光照 氏 共著 Can Books JTBパブリッシング JTB 2011年9月11日
****<図ー1A:ブルトレx5本+伊吹・比叡/1B:昼行急行、寝台専用急行、他線区乗り入れ急行>****
まずは「ブルトレ5本」。
際立つのは「あさかぜ」の一等寝台(A車=個室、AB車=A:2人個室、B:解放2段)
など6輌連結されていることです。
「あさかぜ」は寝台特急として、ありあわせの客車で組んだものを昭和31(1956)年から運転してみたところ、
非常に成績が良く、昭和33年から専用固定編成(ブルートレイン)の第一号列車となりました。
愛称を決める会議で、「夜行列車に<あさかぜ>はねーべさ?」
「いんや!<あさかぜ>とともに目的地さ着くんだわ。」と回答があり、満場一致で迎えられたという
エピソードが残っております。
また、編成表ではわかりませんが、電車急行・準急は、急行が主電動機の容量アップ
したMT58(120KW)搭載の165系、準急はMT46(100KW)搭載の153系でありました。
車輌重量を考えず1輌当たりの出力を考えると
急行+伊吹・・・120x4KWx6輌/12輌編成=240KW/輌
伊吹以外の準急・・・100X4kwx6輌/10輌編成=240KW/輌
とほぼ同じ性能?と判断されます。
次に主に東京発の急行のはなしをさせて頂きます。
この一群には定員制の「寝台専用急行」と昼行・夜行問わず、座席車が中心の
いわゆる「輸送力列車」がありました。
先に、名阪間で出てきた「高千穂クン」は座席が1/2程度しかありませんが、東京発、対九州といった
輸送力列車はおおむね「12輌編成、寝台車2-3輌、一等車(現グリーン車)1-2輌、食堂車、
2等(普通)座席車6-8輌といったところでした。
寝台専用車で昭和39年当時一番遠くまで行くのは「呉線経由・広島行き<安芸>」
ではなかったかと思います。
山陽道で主要幹線たる線区が遅くまでC59/62が優等列車をけん引した例として蒸気晩年時代は、
「トリテツ(もちろん当時はそんな言葉はないばかりか、鉄道ファン?マニア??等には人権がありません
でしたー昭和45(1970)年電化完成)氏」が押し寄せました。
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再掲写真C62牽引 あき 2014.6.30の記事から
拝啓「トレインマーク事典」様、広島区で、昭和45(1970)年3月[中2春休み]、出てきた写真①
http://ameblo.jp/teinahoshi/archive1-201406.html
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これが新幹線頻回運転・西進とともに、東京発遠距離急行の姿が減っていきます。
次の大改正と言われた43・10では、13本の遠距離急行が、「宇野行き・瀬戸」「浜田行き・出雲」
「広島行き・安芸」が残ったのと、今まで各々が単独運転だった「霧島」と「高千穂」が併結となりナントカ
命脈を保ちました。ほかに、「雲仙」が東京ー京都、「西海」が東京ー大阪間をカットされて生き残りました。
**************<図ー2、各方面、用途別急行群(抄)>*************
*******************************:
残った定員制の急行についてであります。
寝台専用と言われる列車で、ほとんど100%が寝台車+食堂車(+座席指定車1-3輌)といったところでしょうか?
このほかに、「夏の時刻、または夏の時刻表」をお買い求めになった方で、
「急行***はX月X日からX月X日まで、□号車の2等寝台車が2等指定になります」
という記事を御覧になった方はおいでになりませんか?
あれは、全国から、夏休みやGW、年末年始に、寝台専用車を作りたくても、どーしても足りない時、
各地から、そーやって、不公平なく、チョコチョコ寝台車をかき集めて「波動用臨時寝台専用急行」を
作っていた時代もありました。
昭和40年代後半から、そのよーな記事は見なくなったような気がいたします。
そーしますとですね、交直流581/.583系の功績は大きかったということになりましょーか?
ところで、上の図の寝台専用列車の中で、銀河、明星、月光は一等寝台(AB寝台)が4-5輌ついていて
大変ゴーカですね?
39・10の前まで東海道を走っていた彗星も、「ABx3+Bx2輌」と、1等寝台は5輌ついていました。
+++++++++<図ー3>マイネ40⇒マロネ40++++++++
スキャナーがガサツでスイマセン・・・
区分室の数字が一部ふっていないのでわかりづらいのですが、区分室定員6、解放部16
元々、進駐軍のオーダーで作られましたが(あちら様は知らない方々とはなるべく同じクーカンに
いたくないそーで・・・)それでも、解放室でもよいということになり、「公社化」前の「運輸省国有鉄道」で
購入するコトになりました。
車軸回転から蓄電し冷房を常設したり、戦前製のように「マ」級でありながら、台車が2軸であるなど
近代化や設備の点で、戦前派から格段の進歩を遂げ、東海道の急行、固定編成化前の「はやぶさ」などに
使用されました。
称号は、昭和30年、1等寝台の制度廃止にともない、マイネからマロネとなっております。
●参考:昭和の鉄道<30年代> 今田 保 氏他 著 JTBパブリッシング JTB 2010年11月1日
+++++++++++++++++++++++++++++++
<図ー4>マイネ37:戦前から使用されている1/2人用(定員11)完全区分室仕様の連合軍撤収車で
あります。3軸台車であることにもご注目ください。
<参考>知られざる連合軍専用客車の全貌 中村光司 氏 著 JTBパブリッシング JTB 2015年4月1日
++++++++++++++++++;
●近鉄の新幹線開業前夜
*昭和33年7月11日 (初代)「ビスタカー」と称された、10000系電車が特急で営業運転を開始。
近鉄特急として初めて<紺+オレンジ>という塗り分け」を採用した
*10000系(旧ビスタカー or 初代ビスタカー):「世界初の2階建て高速電車」であります。
試作的要素が強く<Mc-M-[Tc-T-Tc]-M-Mc>1編成のみが作られました。
M/Mc車はボギー車、[Tc-T-Tc]は二階建て部分で連接構造
運転形態は上の「7連」の他、 Mc-M-M-Mcまたは [Tc-T-Tc]-M-Mc でも可能であります。
艤装は
主電動機:三菱MB 145kwx4/制御器:三菱1C8M、ABF電動カム軸式自動加速制御器
走行性能は・・・
4M3Tで起動加速度3.0km/h/s・減速度4.0km/h/s・平坦線均衡速度135km/h
33‰勾配における均衡速度85km/hですが、中間のトレーラー(付随車・制御車)を抜いた4M編成
時には、平坦線均衡速度145km/hrという当時としては驚異的な高速性能を有していました
(営業最高速度は110km/hr
*昭和34年)12月12日 近畿日本名古屋駅 - 上本町駅間直通特急(「名阪特急」)を運転開始。
同時に同列車で、10000系の量産型と思われる(2代目)「ビスタカー」と呼ばれた10100系電車が就役して
おります。
名阪間の所要時間は近畿日本名古屋行が2時間27分、上本町行が2時間30分(75.1km/hr)に短縮。
・10100構造 McTMc
・艤装
主電動機:三菱MB 125kwx4/制御器:三菱1C8M、ABF電動カム軸式自動加速制御器
****<図ー5>10100系*******
A-C-Bとつないだ9連のフル編成の実物は、私は見たことがありません(といっても近鉄沿線は
2度ほどしか行ったことしかありません)し、写真でも2回みただけです。
A,B,C形、向きが変わってもM-T-Mの配置とTが総2階であることには変わりありません。
右横の数字は、製作編成数です。
************************
国鉄 VS 近鉄 というタイトルだったのですが、ほとんどかけていません。
おまけに、実は昭和34年の9月が伊勢湾台風で、12月の101000のデビューより早かったのです。
が、まともに書いていたらまた字数が足りなくなりそうでしたので<あんまり東京発列車にリキいれた
からだろ!!)、順番を入れ替えました。
この続き、近鉄・伊勢湾台風からは次回で・・・いつも変な所で切れてスイマセン・・・
近鉄雑感ー新幹線開通前夜:国鉄東海道線特急電車軍団 VS 近鉄名阪直通特急 1/2 了
いつものように最後までおつきあいくださいました方々に御礼申し上げます。
オマケ:現在この区間の特急料金は\620です。
日付スタンプも薄くなりました
昭和58(1983).3.18発行です
ホントに了
。
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