近鉄 雑感…参宮急行電鉄2200の後継車たちと国鉄との焼け跡バトル①-2,昭和31迄の後半 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

戦後のオイエジジョーの整備など

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Ⅲー2.昭和31年ころまで(国鉄は31.11.19サンイチ東海道線全線電化完成頃

           まで)2/2

    今回は<前回1/2>↓の

  昭和27,

 ■■近鉄の名阪特急の所要時間が戦前のレベルをついに「5分だけ」

         越えた瞬間!!⇒< デンテツ界の戦後はおわったのか? >

 □□国鉄、9月、名阪間に「毎日運転の?!」客車<臨時>準急が

         登場。翌年、定期列車に昇格

 ・・・の続きであります。

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以下の距離程 / ルートで表定速度を計算しております

*国鉄ーー名阪:190.4km,名伊(宇治山田市):117.4km,阪伊:種々コースあり

*近鉄ーー名阪:187.7km、名伊:107.1km、阪伊:187.2km

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 #表定速度

 ①青山越え旧線ー新線付け替え(昭和50[1975]年)前後での新・旧線の距離数は

      ほぼ同じです。

 ②(上本ー名古屋間187.7km)はさらに四日市市内の急曲線改良後であること

      (0.2km短縮)、

 ③「中川短絡線」の距離の変化を表定速度の計算に加味していないこと

   ご了承ください

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●近鉄が戦後10年で、線区にとらわれず行った優等列車の整備・改善

□国鉄が戦後10年で、主に、東京ー名古屋ー大阪に対して、行った

根本的体質改善の今回は後半戦、

昭和27/28年ー昭和31.11.19(サンイチ)のころまで

<赤/赤J>阪伊J=国鉄以下同<緑>名阪  <茶>名伊  <国鉄><他>

ーーーーーーーここまでが凡例でありますーーーーーーーーーーー

昭和28年

 ■昭和28年4月 上本町駅 - 宇治山田駅間と

     ■■伊勢中川駅 - 名古屋駅間の特急はいずれも6往復  

      神宮式年遷宮用「ピッカピカー新車特急」 2250系・6421系投入。

      □□□昭和28年3月、姫路駅 - 鳥羽駅間に1往復の「快速列車」が

        新設され、このルートの速達列車が復活。

    しかし大阪 - 山田間の所要時間は3時間26分(55.5km/hr)と、戦前の

   最速列車(66.4km/hr)より34分遅く、同年10月の時刻表によると京都

   - 伊勢市間を2時間37分と、戦前の準急より遅くなっていました。

   「快速列車」の方もスピードダウンし大阪 - 伊勢市間に3時間35分、

    京都 - 伊勢市間に3時間55分が必要でした。

      □7月21日、東海道線・浜松ー名古屋電化、108.9km

      □11月11日、東海道線・名古屋ー稲沢電化、11.1km

             □11月??日、前年9月に登場した「毎日運転」臨時準急が

                定期化、名阪間を3時間35分(53.1km/hr)。

 

昭和30年

 ■昭和30年1月 上本町駅 - 宇治山田駅間と

   ■■伊勢中川駅 - 名古屋駅間の特急をいずれも7往復としました

      □7月20日、東海道線・稲沢ー米原電化、68.8km

        同日、          大垣ー新垂井ー関ケ原電化、13.8km

 昭和31年<近鉄・国鉄ともエポック・メーキングの年>

●近鉄

  ■ 上本町ー布施間複々線化なり、1500V(大阪線)-600V(奈良線)が

    運輸分離される。

    A ■■名古屋線・四日市付近の急カーブを含めた線形改良工事

       完成し、9月23日営業開始

       名阪特急2時間35分(72.7km/hr)、

       阪伊1時間54分(98.5km/hr)

●国鉄

 □11月19日、東海道線・米原ー京都電化、67.7km、☆東海道線全線

  電化完成⇒□□準急は全区間EL牽引:名阪3時間16分(58.3km/hr)
    ⇒昭和32年10月に客車から80系電車

        (「湘南電車)に置き換え、名阪間2時間45分 (69.2km/hr)

               3往復に増発、翌月に「比叡」と命名

     ⇒昭和33年11月の改正では91系電車(現・153系)に置き換え。

      「比叡」は5往復。 <TcMM'TMM'TsMM'Tc=

    クハ・モハ・モハ・サハ・モハ・モハ・サロ・モハ・モハ・クハ6M4T>

<図ー1>****昭和38年6月、東海道線、電車特急は別格として、準急・伊吹の

  大垣通過+同じく準急・比叡の名古屋ー大垣間(44.0km)所要時間が

 急行電車+2分という、ぶっちぎりの俊足(表定速度77.6km/hr,

 現在の下り最速オホーツクは67.1km/hr)には脱帽です

 ●国鉄の昭和33年、

         □□国鉄初の電車特急「こだま」就役20系電車(後・151系#)
          「こだま」は名阪間は2時間20分(81.6km/hr)。

      後2時間14分(85.3km/hr)に短縮

               <①ロ②ロ③ロ④ロ⑤シ⑥ハシ⑦ハ⑧ハ⑨ハ⑩ハ⑪ハ>

           ①ロ*:特別座席券がいります。

           「展望車」の代わりに先頭車には大窓の「パーラーカー*」なるものを

       連結、特別料金*を取りました(昭和36年で¥500だったかな?)

  そーそー、西鉄特急の8000みたい感じです・・・!!!先頭デカマド車!!!
    <初の電車特急20系電車(後・151系)>

    ☆本系列20系については⇒「後151系と呼称変更」と書きませんでした

     と申しますのも、東海道の電化区間が西進いたしますと「瀬野ー八本松

     セノハチ◆」(東広島市、22.5‰、連続10km)にぶつかりますが151系

     電車、急行用153系電車の100kwx4主電動機では勾配を登りきることが

     できず、「救援車・スエ35」を控え車として連結器を広島側(電車側)を密連、

     神戸方を自連としてEF59(EF53/56の歯車比変更)重連をプッシャーとして

     乗り切りました。この補機使用は主電動機を120kwx4に換装した181系、

     急行用165系登場まで克服することはできませんでした。

     さらに、新潟特急「とき」は歯車比変更し「161系」となりました。

     ボンネット型で、ボンネット幅いっぱいに細い赤帯?ひげが横一線に入って

           いたのをご記憶の諸賢もまだまだおいでになることと思います。

    このように、151系、後日、多機種に分かれましたので、単なる呼称変更とは

    一線を隔てた活躍をみせました。 

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<参考>書籍#はJTB パブリッシングのCan Books

#時刻表に見る<国鉄・JR>列車編成史 三宅俊彦・寺本光照 氏共著 2011年9月1日

#国鉄準急列車物語 岡田誠一 氏著 2012年12月1日

#時刻表に見る<国鉄・JR>電化と複線化発達史 

   三宅俊彦・寺本光照・曾田英夫・澤井弘之 氏共著 2011年3月1日

#昭和30年代の鉄道風景 小川峯生 氏著 2014年12月1日

日本鉄道旅行地図帳8 関西1 今尾恵介 氏監修 新潮ムック 新潮社 平成20年12月18日

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近鉄<昭和31の上記A>四日市付近の線形改良について(昭和31年9月完成)

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名古屋線の四日市- 川原町間の半径100mカーブを、線形大改修+四日市駅移設で

解消、特急は、名阪間2時間35分、阪伊間は1時間54分となりました。

       ********************:

上<図ー2A>大正11(1922)年頃の四日市、伊勢鐵道の北進(四日市到達)

下<図ー2B>現在の近鉄/JR四日市周辺

 

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モ2250/6421系の件

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<モ2250系>大阪線特急車

モ2250-サ3020-サ3020-モ2250、McTTMc、1-3次車まで10編成(昭和28-30年製)

設計運転最高速度110km/hr,全長20720mm,幅2744,mm,主電動機 三菱150kwx4 

制御器 三菱ABF 昭和32年、2250/6421両系統に冷房改造(国内での恒久的

取り付けは初、試験的取り付けは、昭和11-12年に南海に例があります。

加えて、同年10月シートラジオ、公衆電話サービスが始まりました。

(参考までに)また料金不要の一般車輌の冷房サービスは、

通勤型専用特急車に製造当初から冷房を搭載した例は名古屋鉄道5500系

(昭34、転換クロスシート)が初。

・ロングシート一般車輌での本邦第1号は京王5000系[昭和43(1968)年以降

製造分]であります。

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現在の近鉄の路線網は、大阪線系統は軌間が1,435mm(標準軌)となっております。

しかし、名古屋線はその前身である「軌間1067mmの伊勢電氣鐡道」が「大神宮前(山田)ー桑名間輸送の主導権を握っていた時代があるため、昭和33年まで1,067mm軌間のままで、1,435mm軌間の大阪線・山田線とは直通運転ができませんでした。このため1950年代までは、大阪線と名古屋線にそれぞれの軌間専用車輌が必要でした。特に各々のフラッグ・シップとなる特急専用車に互換性・直通性がないことは二重投資であり、また「名阪間直通乗客」は、「1435mm大阪線」と「1067mm名古屋線」の結節点「伊勢中川駅」での乗り換えを強いられ、国鉄・東海道線並びに関西線から大きく水をあけ、際立った優勢に立つといった構想を持つ近鉄側にとっておおきな「ボトルネック」となっておりました。

 

ただ、終戦後しばらくは、この区間を「電気運転」という快速さという強みがありましたので、国鉄には時間的に優位にたてそうでした。あとは車輛をナントカすれば・・・という「ナミダグマシー」努力が続きます。

昭和22(1947)年、現在の近鉄特急網の起源となる名阪特急が運行を開始した当初、大阪線では旧参宮急行電鉄からの引き継ぎ車2200系(昭和5-16[1930 - 1941]年製造)、名古屋線では関西急行電鉄からの引き継ぎ車モ6301形(原番:関急電モハ1形、昭和12[1937]年製$)と伊勢電気鉄道からの引き継ぎ車であるク6471形(原番:伊勢電氣鐡道クハニ471形、昭和10年製$)をそれぞれ整備して投入しておりました。

 <$:↓オクルマの詳細はコチラデ・・・

    近鉄雑感…参宮急行電鉄2200のフロク②,2/29. http://ameblo.jp/teinahoshi/entry-12133283124.html >

しかしこれらは、転換クロスシートなど当時としては高水準な接客設備を備えていたものの、いずれも戦前あるいは戦後に製造された一般車を整備・改良したものであったため、復興が進む以前より「これらの整備車輌で有料としている近鉄側に、是が非でも無料とさせたいと、ことあるごとに、プレッシャーをかけて来る、小うるさい監督官庁をだまらせるため」にも、少しでも早い「ピッカピカ新専用特急車」の就役が望まれておりました。

 

しかし、さしもの、大近鉄さえ、「自分の庭まで入り込まれるほどの不必要なボロ負けをした二次大戦」の路盤シューリには2年かかりました。それでも、昭和28年に行われる「伊勢神宮の式年遷宮(20年に一度の儀式、1953年-''73-'93-2013[最近は3年前でした])」に優良車といえど、戦中・戦後の整備車を走らせるのは、大柱・天照大神様の天罰が下ろうかと近鉄さんは畏れおののいたのか?その式典を楽しみに集まってきてくださる全国の老若男女に申し訳が立たぬと思ったのか??私は存じ上げませんが???晴れて新車製作の大義名ができた!!と、大阪ー山田線系統と名古屋線の双方に新造特急車をシューエキさせようではないかとゆーことになったのであります。

 

●大阪ー山田線向けの本系列は2200系に続く2250系、名古屋線向けは6401系(既出)に続く6421系。

 *車内は両端の固定式クロスシートを除く全席が転換クロスシート。

 *シートピッチは930mmで、当時一般的であった860mmから70mm拡大されて快適性が向上。

   (旧・伊勢電氣鐡道はモ231/ク471⇒関急鉄ク6471は970mmと当時としては破格、

   関西急行電鉄モハ1形⇒関急電モ6301形の920mm、JR北海道785/789系一般座席車950mm)。

●格下げは昭和35年から始まり38年には全車一般車化。さらに58年に3輌が600系という鮮魚列車、10形電動貨車を除いて廃車。最終的には、2輌の電動貨車となった2両が平成10年まで生き延びました。

 

<名古屋線(狭軌線)用特急6421系

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●日本車輌本店で10両、近畿車輛で1両の計11両が昭和28(1953)年から1955年に製造されました。モ6421形Mcが6両、ク6571形Tcが5両。TcがMcより1輌少なかったが、冷房化を M-T 2両1組で行なった際に不足分を補うために、1958年に急行用制御車ク6561形(1952年近畿車輌製の名古屋線急行増結用2扉・転換クロスシート車。5両製造)のうち6561号車の運転台を撤去、ドアの移設や便所・洗面所の設置改造で特急仕様の中間付随車サ6531形6531とし、編成に組み入れました。

●線路幅の制約のほかに、名古屋線には近鉄四日市近くの半径100mの急カーブ等のため、19m車体(車体長19.8m)を採用。基本的には近鉄特急用車の仕様統一を図る見地から、2250系と同様の張り上げ屋根・薄型鋼体を使うなど軽量化・埋め込み前照灯付で、6301形以来の戦前の面影残る古風なスタイルが主流を占めていた名古屋線では非常に斬新で明瞭軽快な車体でありました。

*名古屋線という平坦線区を走るといった性格を前面に押し出した車であります。従って、電動機出力、制御器とも大型のものは使わず、躯体とともに小型軽量化に努めました。日立製作所製MMC-H20A電動カム軸式多段制御器で、主電動機は日立115x4kwの組み合わせであります。

*格下げ後マルーンレッド一色に塗装され、名古屋線急行・普通に充当。そして昭和54(1979)年、養老線の近代化のため移転、そして1984年には近鉄支線区における形式改番により、420系となっりました(車番は千位の6を取ったもの)。1994年までにに全車廃車となっております

広軌車のほうが一般に長生きというのは本当でしょうか?

 

大井川鉄道への譲渡

平成7(1995)年、モ 421 -ク571は大井川鉄道(現・大井川鐵道)へ譲渡されたものの、2005年頃から同鐵道内の車両の近代化が急激に進み、2000年代後半では同線で唯一の吊り掛け駆動方式の非冷房車となりました。このため、2009年5月22日の臨時列車が最後の営業運転となり、同年6月「引退」として運用から外されました。現在新金谷駅に留置中(解体待ち?)であります。

 

 

近鉄 雑感…参宮急行電鉄2200の後継車たちと国鉄との焼け跡バトル①-2,昭和31迄の後半

 

 

最後までおつきあいくださいました方々、いつものように深く御礼申し上げます。

次回はいつになりますやら・・?

新幹線開業までのあたり調べてご報告させていただきたいと思います。

 

 カラスのクンセイ 拝