Ⅲ 戦後のオイエジジョーの整備など
********************************************
Ⅲー1.-昭和24年ころまで
■■「敗戦国」のインフラが持ち上がるのには、
それが最低レベルといわれるものであっても最短で2年はかかる■■
kintetsu-kintetsu-kinkinihon
*近鉄特急の復活
昭和22(1947)年10月:名古屋 - 大阪間運転開始、所要4時間、「座席定員制(のち指定制)」
所要は<戦前最速レベル+1時間>で伊勢中川乗換がありましたが、国鉄が「イマイチ」でしたので
利用率は高かったようです(47.6km/hr)。
ただ、近鉄の車輛も「イマニ」程度であったらしく?監督官庁から、
「フッ・・・この程度の車で有料特急とは笑止!座席指定制に変更するのであれば、それを根拠に
トッキューと認めましょー。」と近鉄側も、痛いところを突かれたらしく、ほどなく
「座席指定制」になっています。
JNRJNRJNRJNRJNR
*お役所から「公社制」に移行した国有鉄道
●戦前、国有鉄道は「鉄道省」として「飛ぶグラマンも射落とす勢い(ヤメナサイッテ!)」が
ありましたが、
昭和22(1947)年、三公社の一つであります日本国有鉄道Japan National Railroad JNRとなり、
戦地から復員された旧・鉄道省の方々で、復職ご希望があれば無条件で再雇用することになりました。
これが後世、過剰人員、過剰人件費といわれる要因になるのですが、そのオハナシは、
また別の機会に・・・ 当時は
#関西本線:優等列車(-)、名古屋駅 - 湊町駅間を普通列車が所要5-5.5時間 で走るのみ
#東海道本線:日中は3往復の急行列車が名阪間を所要3時間50分-4 時間20分程度、
(このほかに長距離夜行急行がありました)。
普通列車が4時間30分ー5時間30分程度
*国有鉄道の特急復活
昭和24(1949)年9月、東京駅 - 大阪駅間に戦後初の国鉄特急列車「へいわ」号が登場。
(近鉄名阪特急に遅れること1年11か月)。
※昭和24年9月交通公社時刻表から
東京09:00ー名古屋14:31/14:35ー大阪18:00/ 名阪間 3時間25分(55.7km/hr)
浜松以西:蒸気運転、東京―大阪の所要は9時間で、こちらも近鉄同様、戦前最速記録+1時間
からの再出発となりました。
ところで
「平和でないご時世に<平和>を願ってネームド・トレインを走らせるのは有意義だが
仮にも戦争は終わっているのに、「へいわ」を走らせるのは、現在我が国がまるで平和でない
みたいでないべか?!」
といった小学生以下の屁理屈が国鉄内部で通りまして、「へいわ」が走り始めてわずか3.月半で
「燕」に戒名・・・改名されております。
いつの世も現場に出ていない・・・
次行くべ・・・
HEIWAHEIWA HEIWAHEIWA HEIWA-ninatta-kinennni-hashirasetandabe?1
その「へいわ」の詳細ですが、 Rail Art様の記事によりますと、
◆昭和24(1949)年9月、特急「へいわ」10輌編成
[①スハニ32:荷/3等合造][②スハ42:3等][③スハ42][④オロ40#12等][⑤オロ40]⇒⑥へ
[⑥スシ47][⑦オロ40][⑧オロ40][⑨オロフ33#2][⑩マイテ39#3]以上座席定員制(除・⑥)
#1 オロ40=スロ31120を呼称変更。戦前・戦後にわたって製造されました。広窓幅1200mm。
#2 オロフ33=スロ30960の緩急車改造、昭和14,特急「鷗」用に製造、広窓幅1300mm
両形式とも1960mmピッチのBox2等。シングルルーフ。
#3 マイテ39=昭和5年製、「特急・富士用」展望車、スイテ37000と37010を整備、呼称変更したものです。
車体が重いため、軌道に与える影響を少なくすべく3軸台車、Wルーフ、冷房装置付き。
※具体的な料金表が手元にありませんのでお示しできませんが、当時の2等料金で「東京・大阪間」を
を往復すると、新制大学の新卒初任給がなくなった程、とありました。
近鉄さんも、国有鉄道さんも、特急の座席を、はじめは「座席定員制」でスタートしていると
いうのは、興味深いところであります。
当時は3等級制なので、1等⇒イ、2等=ロ、3等=ハでした。
2等級制は1等を廃止、2,3等を1,2等に格上げ(さらにグリーン車と普通車に
なりました。ですから、1等あるいはグリーン車は後世「イ」とはなりませんでした。
また、1輌2役合造車が多いのも特徴かと思います。
例:マロネロ=2等寝台+2等座席車、スイロネフ=1等・2等寝台車緩急車、スハシ=3等食堂合造・・・
以後国鉄の、東海道の優等列車は増発されていきますが、復興優先・客貨物往来優先なのでしょうか?
長距離客を第一の客層としており、列車群も必然的にそれにみあう足の長い列車中心の
ダイヤ構成でありました
- - - - - - - - - - - -
<参考>
□「へいわ」編成表:1949年9月の
http://blog.livedoor.jp/railart/archives/4696498.html
□車輌#1オロ40、#2オロフ33:鉄道ピクトリアル<特集>グリーン車「ロ」 2013年9月号
Vol.. 63 No.9 通巻No.879 pp40-pp63
「国鉄に在籍した客車気動車の2等車」 岡田 誠一 氏 著 鉄道図書刊行会
□車輌#3マイテ39 Wikipedia,「展望車」より、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%95%E6%9C%9B%E8%BB%8A
*****************************************************************
Ⅲー2.昭和31年ころまで(国鉄は31.11.19サンイチ東海道線全線電化完成頃まで)1/2
昭和27,近鉄の名阪特急の所要時間が戦前のレベルをついに「5分だけ」越えた瞬間!!
デンテツ界の戦後はおわったもか?
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
以下の距離程 / ルートで表定速度を計算しております
*国鉄
名阪:190.4km,名伊(宇治山田市):117.4km,阪伊:種々コースあり
*近鉄
名阪:上本町(六丁目)-伊勢中川ー近鉄名古屋:187.7km
名伊:名古屋ー山田:107.1km
阪伊:ウエロクー宇治山田(⇒伊勢市):187.2km
&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&
#表定速度は青山越えが新線(上本ー山田間187.2km)になってからの距離数を使っていますが
昭和50(1975)年前後での新・旧線の距離数はほぼ同じです。
##(上本ー名古屋間187.7km)はさらに四日市市内の急曲線改良後であること(0.2km短縮)、
「中川短絡線」を距離の変化を表定速度の計算に加味していないことをご了承ください。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
*ついでながら、どさくさにまぎれて、準急料金について
#1昭和21年10月15日設定(11/10,上野ー金沢、-秋田準急の運転開始による)が
戦後準急の初列車と言われていますが、国鉄ではその瞬間から有料列車となりました。
戦前準急は無料優等列車でした。
1等:30円、2等15円、3等5円
#2 22年7月7日⇒1等:75円、2等50円、3等25円
#3 23年6月30日⇒#1,#2はどこまで乗ってもその値段でしたが、本改正から、距離制が
導入されることになり
-600kmまでーーー1等:75円、2等50円、3等25円
600-1200kmーーー1等:115円、2等75円、3等40円
1200kmを越えた場合ーーー1等:150円、2等100円、3等50円
この後も「キロ数帯の刻み方」を変えながら
23年7月、24年5月、26年11月、28年1月、29年1月、32年4月と改正が行われましたが
概ね急行料金の半額ほどでした。
32年4月1日改正は距離数改正の最終回の時で,1等連結準急、900kmを越えて走る準急はありません
でした、が、下記のように設定されていました(おそらく同距離を走る「急行」に合わせたとおもわれます。
そして、当時の国鉄の「遠距離逓減制」がよくわかる料金体系かと思われます。
-150kmまでーーー1等:250円、2等170円、3等70円
150-300kmーーー1等:430円、2等290円、3等120円
300-600kmーーー1等:650円、2等430円、3等180円
600-900kmーーー1等:830円、2等550円、3等230円
901km-ーーー1等:1040円、2等700円、3等290円
また、次の35年7月1日の改正は、「2等級制なって初めての料金改定」でありましたが、元の均一制となり
1等:240円、2等100円、・・・となり
次の37年4月1日の改正では通行税が2割から1割となり、1等が220円になりました。
この金額のまま、43年10月の準急廃止まで使われます。
<参考>
国鉄準急列車物語 岡田 誠一 氏 著 CanBooks JTBパブリッシング 2012年12月1日
%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%
●近鉄が戦後10年で、線区にとらわれず行った優等列車の整備・改善
□国鉄が戦後10年で、主に、東京ー名古屋ー大阪に対して、行った根本的体質改善
<赤/赤J>阪伊J=国鉄以下同、<緑>名阪 <茶>名伊 <国鉄> <他>
●昭和21(1946)年3月 急行・準急電車の運転を再開。
昭和22年以後の特急網の充実
■■大阪線特急は他社に先駆けて最高速度110km/hの運輸省認可を獲得
☆昭和22年、名古屋ー中川間専用特急車、6401形。主電動機 三菱112kw,日立MMC電動カム軸
昭和23年
■昭和23年7月上本町駅 - 宇治山田駅間の所要時間は2時間40分(70.2km/hr)
昭和24年
■昭和24年8月 、阪伊間を2時間30分に(74.9km/hr)
■■名阪間を3時間25分に短縮
□2月1日、東海道線・沼津―静岡電化、54.0km
□5月20日、東海道線・静岡ー浜松電化、76.9km
昭和25年
■昭和25年9月 、阪伊間を2時間9分に(87.1km/hr)
■■名阪間を3時間5分に短縮(60.9km/hr)
□□JNR/関西線経由・東京ー湊町(現・難波)+名古屋ー鳥羽間、併結急行運転開始
後、大和・伊勢と命名
□□□名古屋 - 鳥羽間の快速列車が登場。快速列車は、名古屋- 宇治山田間(117.4km)を
2時間14(52.7km/hr) - 18分と戦前並みのスピードで登場し、前述した伊勢中川での
乗り換えを必要とした近鉄線と比べて名古屋から直通するこの列車は、戦前同様好評で
ありました。
しかし、昭和34年に名古屋線が改軌され、同年12月に名古屋 - 山田間の直通列車が
運行が始まると、亀山駅経由のこの列車系統は、スイッチバックなど不利な点も多い中、
有利な点は近鉄で直通できない二見浦フタミノウラ・鳥羽へ直通するくらいものとなり、
一気に不利となりました。
昭和27年
■昭和27年3月 、阪伊間特急を5往復、所要時間を2時間1分に(92.8km/hr)
■■名阪間所要時間を2時間55分に短縮:戦前の水準を(5分)こえました!!(64.4km/hr)。
伊勢中川駅 - 名古屋駅間の特急を4往復
□□9月1日、関西線・八尾ー杉本町電化、11.3km
□□9月、名阪間に「毎日運転の?!」客車<臨時>準急が登場。
*************************
翌年11月、定期化され、その時の所要時間は3時間35分(48.6km/hr)。
間をおかず、「比叡」と命名され32年80系電車化、34年153系化、相棒の「全指定準急・
伊吹」とペアを組んで近鉄特急にチョーセンします***これはまた次回以降で・・・
近鉄雑感…参宮急行電鉄2200の後継車たちと国鉄との焼け跡バトル①-1,昭和31迄の前半
了
最後までおつきあいを賜りました方、いつものようにありがとう存じます。
本当は、国鉄側から見ると昭和31(1956)年・・・東海道線電化完成まで記事をつなげたかったのですが、
あれも書きたい、これも載せたい・・・構成もヘタクソ・・・で記事が膨らんで昭和27年で一旦、年譜を
切らざるを得なくなりました。
近鉄 VS 国鉄の山場といえば昭和31年、名古屋線改軌、新幹線開業と数が限られておりますのに、
これ以上細かく刻むと前後関係がヨーわからんくなって、おもろくなくなるのは、わかっているのですが、
自分の筆力ではどーしよーもないこととあきらめざるを得ません・・・
カラスのクンセイ 拝