◎駅弁のラベル展示会
御存知の方もおいでかと思いますが,
「鉄道ピクトリアル誌、2016.1月号」 は、
「客車急行」の特集号であります。
そこで、私も、予定をキューキョ変更いたしまして
(始めからアイデアなかったんだろ!!)
タイトルのようなものをやってみよーかと思い立ちました。
修学旅行中買い求めました駅弁ラベルの陳列会をやらせて
いただきます。
当時のお店の名前の通りお出ししますが、現在,諸事情で
閉店などされていても、恨みっこなしでお願いいたしますよ。
ドーカご理解ください。
まず、昭和48年とゆー年はどーゆー年だったかとモーしますと、
<札幌市の人口>は約110万人と、190万人の現在の60%程度、
<普通科公立高校>は現在の30校とはほど遠い7校でした。
私が通学していた高校は1学年10クラス、1クラス45人編成の学校で、
札幌の高校では普通の大きさでありました。
さて、それでは、クラスに「鉄」は何人いたかと?いたのか??
とにかく、クラスでは私一人、学年では・・・・
「鉄」の「人権」は当時ありませんでしたので、皆、隠れ蓑をかぶって
「鉄」であることがばれないように、自ら世間と関係を断って、学校生活を
送っておりました。
多分、自分の予測では、1学年450人中5人程度ではなかったかと思います。
次に、札幌ー東京間の所要時間ですが。
今尾恵介、原 武史 両氏監修の新潮社「鉄道旅行歴史地図帳・北海道」に
よりますと
札幌・函館間特急だけでも1時間多くかかっていました(札幌ー函館:318.7km)
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年月のすぐ横は札幌ー函館の最速特急の時間です
1969.5 4°20'=73.5km/hr
・・・当時はここに青函連絡船3時間50分が加わりました
青森ー上野の最速はディーゼル特急はつかりの
10時間30分(1日1往復)。
4時間20分+3時間50分+10時間30分=18時間40分
現在 3°11'=100.1km/hr
・・・函館から新青森まで2時間10分、そこから東京まで3時間
3時間+2時間+3時間+乗り継ぎ1時間=9時間
※青函トンネル開通+青森ー東京の新幹線全通+
函館線への新系列DC導入で所要時間が半分に
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なお、物価変動を列車運賃で見極めるのは、国鉄からJR分社などがあり
不可能と思われますので
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昭和48年当時と現在の京都寺社拝観料(高校生)を比較することで
想像していただければと考え載せてみました。
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S48(1973) 2015 2015 / 1973
金閣寺 ¥ 60 400 x 6,7
竜安寺 100 500 5
仁和寺 150 500 5
清水寺 40 300 7.5
銀閣寺 100 500 5
5-7倍といったところかと思います
このほかに「コーラ ¥50が2回、¥70が1回」とありますが、
容量が書いてありません・・・
交通網は
京都市電が¥50円①、
京福電鉄・妙心寺ー北野白梅町が¥40②
京阪宇治ー七条が¥80③
とありました。
①は廃線となり比較しようがありませんが、
全国の市電初乗りは¥170-230ですので物価指数は3-5倍
②現在全線均一の¥210(5倍)
③現在¥310(4倍)
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+ + + + + + + + + +
さて、いよいよ本番です。
我々は、本州からの帰り道、寝台車が当たると聞き大喜びでしたが・・・
実際開けてみると・・・行きが寝台でして、皆「???」・・・
これが、旅行係の先生の計画ミスであるという噂がまことしやかに
流れましたが、真相は闇の中です。
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札幌―臨時特急ー函館ー連絡船ー青森ー⒑系寝台車(メモナシ)-上野
ー東京ー「0系新幹線」-京都ー自由行動ー<日本海縦貫・14系座席車*>
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・自由行動をここに持ってくる計画であれば、行き寝台(常磐線)、かえり座席
しかなかったのかもしれませんが、車齢を選り好みしなければ帰り寝台車を
とれたかもしれません。なんせ、帰りは、あの、ストッパーがかからない
14系一次車でありましたから・・・かっこだけは正真正銘の新車でした。
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駅弁ラベル陳列会と申しましても、購入は移動日のみに限られますので
大した数ではありません(始めはエラソーに言っていたくせに!!)
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撮影機:Canon,キャノネット、QL-17
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*1個目:鉄道弘済会北海道支部函館営業所さん
「かばやきニシン弁当」17cm四方
10月14日昼、青函連絡船内 ¥メモなし
◆箸袋:「ぱしゆい」船内クリル・・・とありました
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*2個目:伯養軒青森支店さん
「雛鳥弁当」
8角形:上下辺10cm,左右9.5cm,斜め:11.5cm
10月14日上野行き夜行急行出発前 ¥250
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*3個目:台東区・関東食品KKさん
「御寿司」
縦25cm。横40cm
↓東京の市外局番が3桁なのが
涙目ものです!!
10月15日昼、新幹線乗車前に購入、¥メモなし
◆箸袋:大森海岸、平和島温泉會館さん
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*4個目:京都市・萩乃家さん
「お弁当」、25cm四方
10月17日、自由行動日、昼、石山寺 ¥メモなし
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*5個目:京都市・萩乃家さん
「お弁当」、25cm四方
10月18日、帰路、日本海縦貫列車乗車前、¥300
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*6個目:「立山弁当」KK源さん
縦21cmx横25cm
富山駅で長時間の停車が有ったので、皆なんとなく
目が覚め、車外に出てきて、弁当を買ったり
しておりました。
多分もう、10月19日になっておりましたでしょう。
富山駅にて、¥300
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*7個目:鉄道弘済会函館営業所・青森船舶派出所さん
「ほたて釜めし」17.5cm四方
10月19日、連絡船内 ¥メモナシ
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*8個目:清寿司さん
「寿司」、25cm四方
↓どちらのお店で作ったのかは判明しません
「本店」が「十字街」にあるということだけは
↓ご記憶ください
10月19日夜、札幌行き団体臨乗車前¥メモなし
*鉄道弘済会
①かばやきニシン弁当・・・絶版らしいです。
かわりに「函館に鰊みがき弁当」がありました。¥880
②青森に野辺地とりめし¥800(伯養軒青森支店さん)
新青森に鶏めし弁当¥880(?)
③関東食品KKさんは大変盛業のようですが、
駅弁は作っていないようでした。
④⑤京都・「萩乃家」さんの
幕の内駅弁
「幕の内」¥800 & ¥1000
「京のおばんざい」¥1030
⑥立山弁当、株式会社 源
「御存知 ますのすし」の会社です
立山弁当もありました!!¥800
⑦「ほたて釜飯」はなくなり
、下記の商品にコンセプトは引き継がれたものと思われます。
函館駅:山海ほたてめし¥900 「駅弁の函館みかど」さん
青森駅・新青森駅:むつ湾産帆立釜飯¥1000 「伯養軒」さん
あつあつほたてみそ焼き弁当¥1050 「同上」
新青森駅:むつわん産ほたて飯¥1050
ほたて弁当¥930
⑧「清寿司」さん
わかっております範囲では2004年、函館十字街本店は閉店
2,013年、五稜郭店店は開業
包装紙には函館公園、駅前にも支店があることになっていますが?
皆様からの情報をお待ちしています
いかがでしたでしょーか?
たまには(いつも )こーゆー手抜きも許されますでしょ??
◎函館十字街について
「駅弁のラベル展示会」はこれにてしゅーりょーしまして
「清寿司」さん本店のあった「函館十字街」とはどんなところで
あったのか・・・
地元の方でもお若い方は、昔大層繁栄した一角であったことを
御存知ない方が多くなってきていると思います。
函館の最初の繁華街はここ十字街でありました。
今、市電の分岐はY字分岐ですが、かつては三方分岐であったと伺っておりますし、
一帯はアーケード街であったそうです。
戦後になり、人通りは、函館駅前(松風・大門)さらに五稜郭公園付近と
北上しており、やっと最近は五稜郭電停のあたりで止まりましたでしょうか・・・
ドサンコ百貨店の「丸井今井」は、始め十字街にあって、昭和44(1969)年、現在の五稜郭電停の
目の前に移転してきました(旧建物は、市役所の分庁舎に利用されておりましたそうで)。
繁華街移動の証人のような印象を受けます。
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(図)市電、湯の川線以南の函館の鉄軌道網の改廃
日本鉄道旅行地図帳①北海道、今尾恵介氏 監修 新潮ムック pp21函館 新潮社
平成20年5月18日発行
国鉄・JR線:黒(現役線)、青(廃線)
市電:緑(現役線)、赤(廃線)
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私が、縁あって出張で伺いました、昭和61年10月から62年1月、(1986-87)年、頃は
まだ魅力的な老舗が沢山活動しておりました。
市電も十字街の隣、「宝来町ー松風町」が走っておりました。
でも待てどくらせど、電車は来ません。
停留所の時刻表を見ると60分ヘッドでした。
この路線は「東雲線」というのだそうで、1992年廃線となってしまいました。
現在この一帯は、建物も景観に合わせ、再開発が進んでいるとか・・・
私は今のままでいいのにと思っております。
参考「yesterday & today」様
vol .4.見慣れた景色だったのに・・・函館・十字街編
http://homepage2.nifty.com/~c5550/yesterday4.htm
◎ついでに市電の話
市街電車はどこの町でもたいてい私企業の営利(馬車)軌道なりができて、
それを電化発展させてきたといった過程が見られます。
北海道では
・函館:開業1897.12.12.亀函馬車鉄道ー1898.1.9.函館馬車鉄道
-1911,11.1函館水電ー1934.8.1帝国電力ー
-1940.8.6.大日本電力ー1943.2.3道南電気軌道
-1943.11.1.函館市営
・札幌:1909札幌石材馬車鉄道ー1912.札幌市街軌道
ー1916札幌電気鉄道ー1917.8札幌電気軌道
-1927.6札幌市電気局ー1943.1交通事業所
-1947.6札幌市交通局
・旭川
<市内路線>旭川市街軌道:昭和4年という遅い開業と師団の
そばに路線を持ってきたことで、施設として
保護されましたか?開業時、大手でも木造車が
走っていた時代、いきなり半鋼製車のみの20輌で
開業。
<郊外路線>旭川電気軌道:立案時蒸気動力,762mm軌道を
昭和2年、
開業時に電気運転、1067mmにスケールアップ
長期的見て大英断が軌道の長命となりました。
函館市電は、事業主がたびたび変わったこともあり、国家統制の影響も受けました。
また、軌間は、開業時、東京・小田原の馬車軌道の指導を受けた関係から、北海道の
すべての鉄軌道中唯一の1372mmであります。
また、電化は、1911年、函館水電力に合併されたときに行われましたが、実際の
進捗は大正2(1913)年湯の川線の一部から順次始められております。
次の大きな転機は昭和18(1943)年、戦時国家統制で、「電力会社が売電の傍ら
アルバイト感覚で電鉄、市内電車を経営してはいかーん!!」とゆー、島国的
キョ―リョーなしこーの元、道南電軌に譲渡され、同年11月晴れて市営電車となりました。
現在函館の交通機関は、人口の逸走が止まらず市営交通以外も苦戦が続いて
おりますが、新幹線が届けば、観光資源が豊富な渡島半島には何かイーことが
起こるやも知れず、期待したいと思います。
◎ついでについでに人口の話:函館が道内1位の町だったこともあるんだよ
幕末の日米交渉の結果、開港5港の一つになった箱舘。
その影響でありましょうか?昭和5年頃まで道内の人口No.1都市でありました。
それでも、上記表の間に、途中小樽には昭和4(1929)年の世界恐慌、函館には大火が起こり、
発展には思わず足止めを喰らいましたでしょうか?
以上、駅弁ラベルとそこから、思いつく話を2つほど並べてみました。
どの話も、40-30年前の話です。
記憶違い、間違いもあるでしょう。
あるいは、今ここはこんなふーにかわったよ!!とお気づきの方!!!
どんどんご指摘をお願い申し上げます。
冗長な文章に最後までおつきあいくださいましてありがとうございました。
カラスのクンセイ 拝