日本一短い駅名:「津」以外のお話 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

◆日本一短い駅名って・・・
そりゃ「津」でしょ。ここに列車が到着したときに、違和感なく構内アナウンスで
  「つー、つー」とできるようになれば、駅員として一人前と昔は言われたとか?

◆いや、そーぢゃなくて・・・今日は「津」の話題ではないんだ。

  以前、岐阜県にあった鉱山鉄道が、昭和42(1967)年国有化された。
  旧・鉱山鉄道は発展的解消ともいうべき形で廃止。
  ところが、国鉄は別線改築したので、旧軌道のほとんどの駅・設備も
  鉄道と運命をともにすることになってしまったんだけど・・・しばらくして
  ヤマ自体も資源が枯渇し閉鉱。

  そんな鉄道だから、国鉄線も第3セクター化を経てすでに廃線になっている。
  で、旧・鉱山軌道線の方に「土」という駅があったんだ。
「ど」?・・
◆一時期は始発駅で栄えたそうだよ。

☆確かに一文字だけどさ・・・
◆なんか文句ありそーだね。
  でも「津」より漢字で書けば画数は少ないし、「土」のほうが「一文字駅」として
  簡潔メーリョーとゆー点ではなじみやすいと思うけどね。
いーや!!「土」を見せられて、いきなり「ど」ですね!と極めつける日本人は
  ほとんどいないと思う
。たいてい「つち駅」ですか?って聞くんぢゃない?
  これは、ある意味、難読駅名に入ると思うよ。
  「難読」がおおげさとユーなら、読むのになんと発音すべきかチューチョする
  地名だよね。それともう一つ・・・

◆まだ、あり?
☆「津」は「2」、「土」は「10」に通ず。
  で、確かに画数は「土」のほうが少ないが、発音されるイメージとして
  「津」のほうが軽快ぢゃないのかな?
◆それこそコジツケってもんだろ!!
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<図-1>神岡方面の鉄軌道線図
 
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緑線+黒点:三井鉱業神岡軌道線
緑線:国鉄⇒第3セクター神岡鉄道線(「土、赤丸」は新線改築のため通らなくなった)
赤星:神岡軌道線・神通川橋梁
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<図ー2>図ー1の猪谷付近の拡大図
 
神通川をはさんで上図の赤線2本[猪谷-東猪谷]の間に、このクラスの軌道としては
分不相応な(失礼!!!!スイマセン!!許して!!)ビックリ大橋梁がキツリツして
いました。
(経緯はオイオイ書いて参ります:全長:294m、水面から57m
工期は昭和6(1931)年ー昭和9年の3年2月。
満州事変の起こった年によくこーゆー大工事が認められましたね?!)
使用鉄鋼材は約550トンと当時の駆逐艦1/2隻分、97式中戦車22輌分、
92式10センチカノン砲約150門、97式戦闘機約350機等々・・・分です。
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◎参考図書:日本鉄道旅行歴史地図帳6号「北信越」
        監修 今尾恵介、原 武史 両氏、新潮旅ムック  新潮社
        平成22.10.18 発行
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 神岡軌道線の履歴書
2006年12月1日に廃止された第三セクター「神岡鉄道」のご先祖様に当たります。

軌道の昔話と、軽便にご興味がおありの方であれば、「ひょっとして?」軽便の中の軽便で、
「チョー大橋梁」をお持ちの"特異な存在 "でありましたので、諸賢はドコカでこのお写真を
御覧になっておられるのではないでしょうか?
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神岡軌道、神通川橋梁
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飛越線(⇒高山線)側から、東猪谷方面を望む
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<軌道事始め>
  明治43年(1910年):岐阜県吉城郡の土~杉山間
総工費2万8800円をかけ、
                 12ポンドレール(5.4kg/mレール,1ポンド≒543.6gとしました)、
                  軌間1.6フィート(480mm)の5kmの馬車軌道を敷設したのが
                 初めての軌道事業とされます。
   大正2(1913)年12月:当時の同社の神岡出張所の所長・西村小次郎氏が個人名義で特許を得、
                          富山県富山市「笹津」までの延長特許取得。
                 工期は大正3年4月から4年3月迄。
                 この時、軌間を全線2フィート(610mm)に改軌、さらに16ポンドレール8.7kg)へ
                                           軌道強化

◆<本格的軌道への発展>
   大正8(1920)年:工事は困難を極めながらも神岡方面への工事が進行し、遂に大正9年に
                                    総工費21万円(現在価値10億円超)をもって「鹿間」まで完工し、
                                    36.8Kmの最終ルートに近い形が作り上げられました。
   大正11-12年:大正11年に神岡軌道として発足、翌年7月21日に営業を開始しております。

◎転換期
   「神岡軌道」を名乗ってからも動力は馬力でありました。

   しかし、第一次大戦(大正3,1914年)終息以後、戦時不況となり軌道の鉱物輸送が減少します。
   会社側はこれを乗り切る為
    ①馬引きを減らし
    ②大正15年5月10日には神岡鉱山用に配電する「神岡水力電気株式会社(以下、神岡水電)」から
      新発電所工事で使用した2t内燃機関車を譲り受け、運転を開始しました
      この試用は大変な好成績を残し、昭和2(1927)年に5台、3年に6台、3.5tアウストロダイムラー
     (ダイムラーのオーストリア支社)製内燃機関車を購入しました。
    
    これによる人員削減、動力化は
コスト減と定時運行、牽引定数の安定に貢献し、会社の危機を
    乗り切った上、運賃も下がり、山間部の住民の足としても活躍の場を広げるに至りました。

◎発展期
   その後、国鉄飛越線(現:JR高山本線)の工事の進展により、神岡軌道は「東猪谷」付近に神通川橋梁
   
(カンチーレバー式、上記写真の橋であります)を建設。
   これ以後、対岸の「猪谷」(JR猪谷駅)に乗り入れを開始します。猪谷ー笹津間は廃されました。
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以下2葉は<神岡軌道の概要「神岡軌道」の跡を歩く>様からの転載であります。
別角度からの「神通川橋梁」ですが、まさに「大鉄橋」の名にふさわしい景観かと
思われます。

  
◎参考資料

「神岡軌道の概要「神岡軌道」の跡を歩く」 様

http://www.geocities.jp/kamiokakidou/outline.htm


最後までおつきあいくださいました方、例によって深謝申し上げます。
また、漢字でも・ひらがなでも一文字地名探しております。

心当たりのある方ご一報ください。

こーゆー時の私の参考書は郵便番号簿です。
アナログしか扱えませんので・・・アハハ・・・

 カラスのクンセイ 拝