
この建物の撮影自体は、昭和59(1984)年8月12日とありました・・・廃止まであと5年ほどです。
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この写真を見つけたー原著忘れました、確かカラー写真であったと思いますが、原著を探しようが
ないので・・・当時は、あまりにも「ユーレー屋敷然」とした<「日高川町のみなさん」すいません>
いでたち・・・玄関と思しき”メインエントランス”の扉はなく、そこから見える中は暗いです。
ところどころ禿げている、外板と、下に落ちているガラス窓(ガラスが割れないようにするため
なのかもしれません)
とりあえす、私の興味半分で書いたのだと思います。
屋根上のこれまたヘタクソ字のキャプションはその写真から私がまる写ししたのもので、
「コッソリ600形気動車が停まっていることに↓気付いたりすると、↓”コレって駅? ”と
やっと疑う」 (という言い方が面白くてそのまま載せました。)
とありましたから、よほどひどい造作だったと思われます。
しかし、よくみると、屋根をふいている木材、鉄板とも厚く、外壁は下見板張りで、ヒョットしてできた時は
小さいながらも高級駅舎でしたのでしょうか?
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●御坊臨港鉄道→紀州鉄道 略歴
・昭和3-9年にかけて、紀勢線・御坊ー日高川3.4km全通
・昭和28年、日高川機関区が台風で壊滅。機関区を「紀伊御坊」に移転させた。
・昭和48年、親会社が不動産業(*1)となり、鉄道名も「紀州鉄道」となりました。
・平成元(1989)、西御坊ー日高川が廃止(*2)。
(*1)親会社に名乗りを上げた不動産屋さんは、「鉄軌道業が身内にいると企業の信用度が上がる」と
いって立候補したそうですが、その不動産屋さんというのは、話が半世紀ほどさかのぼります。
以前、福島県に日本硫黄沼尻鉄道という軽便鉄道がありましたが、、
1960年代、原油の分離精製に脱硫装置の組み込みを義務付けられた時、日本の硫黄鉱山は
全滅してしまいました。原油からの精製硫黄+安価な輸入硫黄で日本の国内需要は十分
足りたからです。
日本硫黄沼尻鉱も例外ではありませんでした。
それを見越して、日本硫黄は、昭和39年、系列・沼尻観光を合併、日本硫黄観光となります。
さらにこの会社は「磐梯急行電鉄」となり、昭和43(1963)年、会社解散となってしまったのは
御存じの方もおいででしょう。紀伊鉄道の親会社さんは「磐梯急行」の系列の方々です。
(*2)日高川まで、昭和50年代までは10往復程度ありましたが、60年代になり、急に2往復に
減便されました。
1枚の絵だけから、書かなくてもいいことまで書いちゃったような気がいたします。
最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
また、この後は、目薬を付けるなどして目のキューヨーをジューブンとられることをお勧めいたします。
晩年のヘタクソ・日高川駅の絵 了