本邦創成期の製糸工場だけが「切り札」ではなかった上信電鉄1/2、昭59(1984).7.26. | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

皆様、上信電鉄と申しますと、いろんなイメージがわいておいでになると思われます。


①出だしこそ「上野こうづけ鉄道」という762mm蒸気動力の鉄道でしたが、その後
  大正13(1924)年改軌電化し現在に至ります。
  そして開業時(明治28[1895]年起業、明治30年全線開通)から現在に至るまで、
  鉄道部門での合併・分離がない独立独歩の
鉄道であり、そのグループの
   中では最古参の会社であります。
  (路線の合併・分離があったが、開業時の屋号を現在も使っている会社の
    最古参は近江鉄道であります。明治29年起業、戦時統合で八日市鉄道を
  昭和19[1944]年合併、現在の新八日市ー近江八幡)

②沿線には、富岡をはじめとする製糸工場があり、明治期に、重要な役割を
  果たしていた遺産に触れることができます。

③高崎のだるま(だるま市、毎年3/3-4)、朝がゆ(駅弁にもなっております:
   だるま弁当、上州の朝がゆ)、上信電鉄・終点、下仁田にはこんにゃく、
  下仁田ネギなど名物・特産品が多いです。

④下仁田は下仁田戦争(*)の爪痕を今に伝える鉄砲の弾痕が今に残ります。
   (*)高崎藩兵と水戸藩を中心とする尊王攘夷派(天狗党)の戦いで、
   戊辰戦争とは関係ありません。

⑤そして、これから、御紹介する上信電鉄には、
      マスコット的ドイツ・シーメンス社製電気機関車
      昭和52(1977)年度ローレル賞受賞の1000系
   そして
   昭和56(1978)年、路線改良事業の時生まれた・・・・
     <さて?何でしょう??//ヒントは1枚目の図と説明文の中にあります>

では、デハ、モハ(同じギャグは2度は通じないよ)
皆さんで、この元気屋さんに遊びに行きましょー

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<図ー1>上信電鉄路線図、訪問時

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全線33.7km延長の路線であります。
先に書きました通り、昭和56(1981)年、路線の近代化、路盤強化など
全線にわたる改良工事が終了しておりまして、私が伺ったのはその3年後
でした。


冒頭の路線改良工事の時に生まれた???とは、3か所の信号所で、両開き
ポイントではなく、今でいう「一線スルー式」が採用された、ということであります。


今回、この記事を書くにあたりまして、
「鉄道ピクトリアル 1983 臨時増刊 6月号 関東地方のローカル私鉄特集
Vol. 33 No.6 通巻 No. 418 鉄道図書刊行会」の中の
「関東地方のローカル私鉄 現況10 上信電鉄 大島 登志彦 著 
pp134-137」を参考図書とさせていただいておりますが、ここではまだ


「一線スルー式」という言葉は出てきていないのです。
そこの下りを原文のまま抜き書きしました。


「・・・信号所3ヵ所では、注目すべき形態がとられている。それは、スピード
アップのため、2本の線路をそれぞれ上下本線・上副本線とし、交換列車の
ない時上下列車とも直線で走り抜ける方式をとっていることである。」


私のベンキョー不足もあって「一線スルー」という言葉がいつから
使われ始めたかは知りませんが、その言葉が定着する以前から地方私鉄の
上信電鉄で取り入れられていた、とゆーのは、技術革新に熱心(今もですが)
だなーと・・・・実は信号所の仕掛けは帰宅後知りまして・・・
ま、こんなもんでしょ・・・「ピク誌」を読み返してわかりました・・・


さて今度こそ、ほんとにお出かけしましょー
まずは高崎駅と駅前であります。
高校時代に使った時は、日本鉄道時代の木造の大型駅舎で、前橋と
双子のような建物でした・・・今考えれば使い捨てカメラでも何でも
買って撮ってくればくればヨカッタネ・・・

※どーでもいーことですが:使い捨てカメラの正式名称→
  (使い捨て)レンズ付フィルム・・・なんかサギっぽいよね・・・ 


どなたか昭和40年代の高崎駅写真をお持ちではありませんか?

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<写真ー1>高崎駅、上越新幹線は2年前の昭和57(1982)年の開業でした。

このあと上毛電鉄を見に行きましたが、前橋より高崎の方が活気がありましたね。
撮影日はすべて、昭和59(1984)年7月26日です。
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<写真ー2>高崎駅前

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<写真ー3>「高崎駅0番線」

上信電鉄専用ホームです。
いわゆる「ツッコミ棒線(一線)」ですが、はじめの路線図をご覧頂くと
お分かりのように、車庫所在駅でありまして、
ホームから一歩外に出ますと、構内側線は無数にあり
主だったものしか書いてありません。
それにしても、ホーム上屋の木組みは「近代化」の対象から外れたようです。
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<写真-4>0番線に入る「100系」クモハ10?

もと西武鉄道のクモハ451形で、上信電鉄に譲渡の際(昭和55-56[1980-81]年)、
下回りを西武801系の台車に換装、高性能化された車輌群です。
この規模の私鉄では、というと角が立ちますが、1980年代半ばで、
ツリカケ駆動車が残り3輌ですべて予備車、もうすぐ消えそー・・
という地方私鉄はここくらいではなかったでしょうか?
静岡鉄道が全車高性能化が終わっていたかもしれません。


またここの車輌分類で他社では見られぬ特徴的な分け方が取り入れ
られています。
電動車の制御方式で、1M車(1輌で運転可)は「デハ**」
MM'ユニットを組む車輌群を「モハ++」と区別しております。
さらに、ツリカケ駆動車は2ケタ、新性能車は3ケタ、高性能車は
4ケタと独自の表記があります。

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<写真ー5>吉井駅

古色蒼然としておりますが、下仁田側の基幹駅(下仁田から路線長の1/3にあたります)
吉井駅です。
当時は全区間通しの直通列車が30往復、30-50往復。
急行1、快速と準急が上りのみ(高崎行き)3本。
所要は急行37-38分、準急・快速44分、普通50分ですが、普通列車は、
昭和56年の施設改良以前より10分の短縮を果たしました。

当駅は、もちろん、全列車停車でありました。

現在は優等列車無くなりましたが、朝夕ラッシュは毎時2-3本、日中でも
毎時2本と頻繁運転となりました。
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<写真ー6>西吉井駅

業務委託駅ですが、コンクリートの石段、上屋堅実な作りです。
↓硬券も販売中でした。
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<写真ー7>


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<写真ー8>上州富岡駅


距離では「上州一の宮」が高崎から全行程の1/3,約11kmで基幹駅ですが、駅や町の規模では、
こちらが鉄道の中枢です。
訪問時にありました急行電車は、先の「吉井」とここ「「富岡」だけが途中停車駅でした。
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<写真ー9>富岡駅前


よく見ますと、正面の木造家屋は、角々が直角ではないかな?歴史の重みでしょうか?
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<写真ー10>たまには観光もしないとね(1)
旧・富岡製糸工場正面
訪問時「片倉工業株式会社富岡工場」

「富岡製糸場」は、日本初の本格的な器械製糸の工場として、明治5(1872)年操業開始。
以来、明治期には日本の紡績の技術革新のみならず産業の機械化に貢献しました。
開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存しています。


昭和62(1987)年まで現役の製糸工場でした。
訪問時の名称が最終の部署名で「片倉産業株式会社富岡工場」でした。


この度、世界遺産に指定され、今後は整備、保全などもっと大変な日々がやってくるでしょう・・・


ちょっと説明文多かったね・・いつも通りですけど・・・


本邦創成期の製糸工場だけが「切り札」ではなかった上信電鉄1/2、昭59(1984).7.26.  了


ところで製糸工場以外の「切り札」って?

「一線スルー」
「あ、それでいのね、じゃ皆様、2/2につづきます。
例によってすいません。」