松本電鉄だけですと、折角、ホッカイドーから出て参りました意味がなくなる様な気がしましたので
やっぱり、ここは、ホラ、ネ~、昭和42(1967)年、地方の私鉄としては画期的な、「片側両開き
4扉2輌1ユニット、0系電車」を4輌ですが製作、また " OS[=Official & Students] Car "と自ら命名し、
在京・在阪の大手のドギモを抜いた私鉄、ナガデンこと長野電鉄(*)をのぞいていかずして
引き返せましょーか?
とーぜん全国的にも評価が高くて同年のローレル賞受賞車輌と相成りました。
<当社略歴>
いつもすいませんねー。これがないと、チョーシでないんですよ。こーゆーとこで意外と
引っかかって、長引いたりすると面白くなくなりますねー。
それに今回は、皆様ご存知のように、27年前と比べますと、路線がだいぶ削られちゃい
ましたから、当時の話はもちろん中心になりましょーが、つなぎに、多少現在の話も入れないと、
記事がギクシャクするでしょうね・・・
そこでお願いなのですが、「おまえの記事のここが嘘だ、間違いだ!」という箇所があれば
ご指摘いただきたいのです。
ではよろしくお願い申し上げます。
◎路線のお話
長野電鉄の始まりは、信越本線の便利さを目の当たりにした、鉄道の恩恵にあずかれ
なかった「千曲川・東岸=河東地域・・・松代須坂・中野・木島」の人々が、大正9(1920)年、
資本金500万円の河東鉄道を蒸気動力で下記のように開通させたことが土台となっています。
********************************************
・屋代ー須坂:24.4km,大正11(1922)年6月10日
・須坂ー信州中野:13.1km,大正12(1923)年3月26日
・中野ー木島:12.9km,大正14(1925)年7月12日
********************************************
*上記区間の旅客電化は大正15(1926)年1月29日でありました(貨物は引き続き蒸機
牽引)。
*残念ながら、屋代ー須坂、中野ー木島間は閉店してしまいましたけれど、実際の運転
形態とマッチしていないとわかっていながらも、<屋代ー須坂ー中野ー木島>をごく
最近まで河東線と呼んでいたのは、余程愛着捨てがたしのお気持ちか、電鉄の
シンボルとお考えであったのでしょう。
ーーー駅舎の御紹介を兼ねてーーー
*屋代駅・松代駅はもう見ることができなくなった車輌達と一緒にご覧いただこうと
思います。
Suzaka-suzaka-Suzaka-
<須坂駅>
須坂の撮影日は昭和62(1987)年8月15日ですから、3台のエレベーターが増設され、
バリアフリーとなる平成22(2010)年までには、まだ20年以上あります。
でも、いまみても古いイメージはありませんね。
むしろ、地方の中核都市の中堅私鉄の中枢駅としては、むしろ大人びた端整さが
感じられます。
橋上駅舎で、車輌基地、工場、運輸課、乗務区、「ないものはない!」大事な駅であります。
<写真ー1:須坂駅>
<写真ー2、須坂駅構内>
相対式ホーム1面1線+島式ホーム2面4線の3面5線構造です。
奥に車輌基地、留置線が見えます 一番手前はED500。

<写真ー3、須坂駅前>
<写真1-3撮影日:昭和62(1982)年8月15日>Suzaka-suzaka-Suzaka-
一方で「長野ー須坂間」鉄道として、「長野電気鉄道」が大正12(1923)年11月25日、
資本金200万円で設立されます。
大正15(1926)年9月28日、当社の最初の営業区間、「須坂ー権堂11.5km、当初より複線」が
開通しますが、無論当初から社名通り、電気運転で開業しました。
両社は、社長を同じくし、車輌の管理、経営方針も近く、大正15年9月30日に合併、河東鉄道を
存続会社、社名を「長野電鉄」、資本金を700万円としました。
「長野電鉄」は「長野電気鉄道」の略称ではなく、全国的に見ても、「電鉄」と記した企業は、
大正7(1918)年に阪神急行電鉄他数社が誕生したのみでありましたし、合併以前から両社の
架線電圧はDC1500Vと、直流600Vが主流の時代でありました、地方鉄道においては、
大変珍しい存在で、色々な点で「ナガデン」は進取の気鋭があったようです。
ー合併後、
山の内線の信州中野・湯田中間7.6kmを、昭和2(1927)年4月に、市内中心部乗り入れ線、
権堂ー長野1.1kmを昭和3(1928)年6月に開通させ、総営業キロ70.6kmと一通りの第一期
予定路線の完成を見ました。
このほかに①長野から川中島②木島から野沢温泉③湯田中から渋温泉・安代温泉への
路線建設の計画がありましたが、折悪しく世界恐慌(昭和4[1929]年)とぶつかってしまい、
断念せざるを得ませんでした。
NAGANO=NAGANO=NAGANO=
<写真ー4、先代長野駅>
あまりにも有名な先代(三代目、昭和11[1936]年竣工)の「仏閣駅舎」の長野駅であります。
全国的に見ましても、先代・奈良駅、水間鉄道・水間駅(→2009年、水間観音駅に改称)くらいしか
見当たりませんでしょうか。
現在の4代目駅舎は平成9(1997)年の新幹線長野乗り入れを機に、前年の平成8年、全面改築、
駅延べ床面積も先代駅舎の2.5倍の近代的駅舎に生まれ変わりました!
ところが!!「前の駅舎の方が良かった」とゆー声も結構な数に達し、JRでは長野駅の再改築を考えているのだとか??
<写真ー5、長野駅前>
<写真ー6、善光寺>

<写真4-6撮影日:昭和62(1982)年8月15日>
その日の昼食は、善光寺近くの「信州そば」の店に入りました。
食べている最中に、店主殿からありがたいお言葉が・・・
「お客さん!ウチのそば最高でショ!!なんつったって、毎朝、北海道の十勝から空輸したものを使ってッからね!!!」
・・・ソットーしそー・・・それありか??そば・うどんのような「粉もの」の場合は産地がどこであろうと、
コネコネして製品化した場所の名前を商品名としていーそー-なんで・・・本州の粉を札幌でコネコネして
「札幌ラーメン」ですとか・・・
でも最近の食品成分表示のヤカマシサから、この問題は、どーなりますことやら・・・
でも、当時は「言ってくれなきゃよかったのに」と思いましたよ・・・
NAGANO=NAGANO=NAGANO=
◇路線のお話:戦後の変化・・・といきたかったのですが・・・
申し訳ありませんが、お約束のスペースがいっぱいになってきました。
切り方が例によってヘタクソですいません。
松本電鉄を見た勢いだけで長野電鉄にも寄りました:昭和62(1987)年8月15-16日① 了