前回、第五方面軍司令官(北方軍)・樋口中将が最後の聯合艦隊司令長官・小澤治三郎中将にナンゾオネダリしていた様子の電話、次に千歳と美幌航空隊へ電話するところでおわりました。
樋口司令官の考えの骨子(その2と少し重なりますがご容赦ください)は海軍を含めた全軍に伝えられました。
<大前提;A,B>
A.「ソ連以外の連合国に攻められても、無駄に人命・武器弾薬を消耗せず、持久戦に持ち込むこと」
B.元々日本領土であった土地を、帝国が苦境に立つ時期になってから、期限切れの不可侵条約の延長を一方的に排除、正当性を欠く侵食をしてくるであろうソ連軍との、一切の近接戦闘、白兵戦を禁ずる。
自軍の専守防衛、非戦闘員の救助を第一義とする。
ソ連軍への攻撃は、あくまでも自衛、かつ、必要以上の日本領侵入されたときのみで、それもアウトレンジから行う。
したがって今後の対ソ戦の基本方針は
「来る、8/12以降のソ連戦に備え
①兵員、非戦闘員を遅くとも、8/5までには、樺太方面は北海道・稚内港、北方四島・千島列島方面は根室港に引き揚げさせること。
持参の兵器は、歩兵銃、手榴弾、擲弾筒までとする。特に、占守島の戦車11連隊においても、機関部を破壊したのち、須らく遺棄すべし。
②8/12の日ソ不可侵条約期限切れ以降、ソ連の、樺太、千島列島および北方四島に対する集中攻撃が予想されるので、次の手段を使って、一気に相手を殲滅せしむる事
●樺太方面:北防波堤ドーム(☆1)を掩体壕として、独逸国製亜音速V1噴進弾(☆2)10門で樺太のソ連軍を迎撃すること
●千島・北方四島方面:根室半島に150-250km圏は独逸国製亜音速V1噴進弾4門、同V2噴進砲1門(☆3)で、50-110km圏は21cm列車砲2門(☆4)でソ連軍上陸に対応すべし。
●稚内港は宗谷要塞重砲兵聯隊、とりわけ96式式15cmカノン砲8門(最大射程:26200m<初速507m/s>到達高度13000m(有効射程:9000m)を対艦、対空に適宜使い分け、根室港は帯広の高射24聯隊の残存対空砲4門(部隊基幹は札幌に移されていました)を移動し、双方の地では、第二艦隊駆逐隊(☆6、後述)と協力し自衛すべし。
●方面軍残存航空機約80機は、2分し、帯広と美幌飛行場に30機ずつベトン内(掩体)の中に格納すべし(☆5)。
●ソ連軍のシーレーン(戦闘員・先頭物資の輸送路または輸送路上の輸送船)や戦闘艦艇の破壊は沖縄海洋特攻の残存第二艦隊(☆6)+新航空戦艦「信濃」(☆7)+艦載機20機で行う。
なお、航空機は雷撃(魚雷戦)のみを行い、なるべく相手直掩機と戦わないこと。
職務が完了次第、可及的速やかに美幌基地に帰投すること。
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☆1.北防波堤ドーム(きたぼうはていドーム):北海道 稚内市の稚内港 にある大型の防波堤。
稚内港の防波堤としての役割および、桟橋から駅までの乗り換え通路を兼用するため、1931 (昭和6)年から5年間をかけて建設されされました 。
防波堤の外観としては異色となるドーム状の形態を取っていることから命名され、高さ約14メートル、長さ427メートル 、古代ギリシア建築 を彷彿とさせる70本のエンタシス状の柱列群は、斬新な印象を与えています(10年ほど以前の車のCMでこのドームの間を疾駆する新車のCFをご記憶の方はおいでになりませんか?)。
設計者は土谷実氏で、当時、北海道大学卒後3年の26歳、稚内築港事務所に赴任してきた北海道庁の技師でありました。
北海道と樺太を結ぶ鉄道連絡船(稚泊連絡船:稚内と樺太の大泊港)の桟橋など港湾施設の保護および、桟橋を利用する乗客の便宜のために作られました。
建設後、稚内駅からドームの手前まで国鉄(当時は鉄道省)の線路を延長し、同駅の構内仮乗降場扱いで「稚内桟橋駅」が開設され、乗客はドーム内を歩いて桟橋に待つ連絡船に乗り込みました。
しかし、今回秘中の秘、独逸からのV2噴進弾を装備するにあたり、非戦闘員の国民はドーム内歩行は限られた時間のみ、一方V1は貨車に簡単な装架をつけてそれを発射台としました。
☆2.独逸国製V1噴進弾:現在では巡航ミサイルに当たります。600km/hr。最大射程250km。迎撃機・対空砲などの撃墜で、ヨーロッパ戦線では80%程度捕捉されていました。
極東ソ連軍にどれだけの情報が入っているでしょうか?知らなければ多大な被害がもちろん出るでしょうし、知ってていれば、「スターリンのオルガン(正式名:多連装ロケットランチャー)」からロケットを発射すればほぼ100%V1攻撃は阻止できます。
だったら意味ないじゃないかって?
いーえ、相手に沢山の弾薬を使わせることや、こちらのチョッカイに反応して相手が応戦すれば進撃スピードは遅くなりますし、犠牲者も出ます。
☆3.独逸国製V2噴進弾:ツクリも有効射程(300km)もがさつですが、明らかに現在の誘導弾道ミサイルのご先祖様です。本体にアルミを使いましたし、連合国の工場空爆にもあい、たくさんは作れませんでしたが、そこそこの実績は挙げております。
V1は迎撃ができましたので、たとえば英国内が大いに忙しかったようですが、V2は高高度から1600-5760km/hrといういう速度で進入。当時のいかなる迎撃システムもお手上げでした。そのため、連合国は根元の工場攻撃に切り替えましたが、V1がなければ、ドイツ本国の荒廃はそれほど速く進まなかったといわれています。いずれにせよ、ドイツは、最後に来て戦略を間違ってしまったわけです。
☆4.第二次世界大戦時に作られた、イワユル第二世代の「パリ砲」です。最大射程115km。
☆5.航空隊
樋口司令官は、
●艦上戦闘機・攻撃機に代えて艦上偵察機「彩雲」40機用意させました。
初期の頃より性能は落ちてはいたが、600km/hr越えは魅力でした。
●艦上爆撃機に「彗星」を30機調達。こちらも他の艦上爆撃機より優速の570km/hrというのが
選択の決め手となりました。
●ほかに遠距離爆撃用の一式陸上攻撃機を8機の計78機をそろえました。
☆艦上攻撃機の中で急降下爆撃ができるものを艦上爆撃機、同じく陸上攻撃機の中で急降下爆
撃ができるもの爆撃機と呼んでいたようですが、日本だけの分類のようです。
☆6.「沖縄特攻」のときは旗艦を大和にしましたが、今回は「新・航空戦艦。信濃を旗艦としました。
前回の特攻で多少なりとも損害をこうむった艦艇については帝国海軍にはもはや、修理する金属、金、時間、熟練工さん、気力どれもなく、今回の作戦には欠席とさせていただきます。
以下の3隻の駆逐艦です。
防空駆逐艦の冬月(前回中破)と涼月(同大破)、および触雷した雷(いかづち)
樋口将軍が小沢提督に無心の電話をかけていたのは、この第二艦隊がほしかったからで、少ない勢力ながらも、陸海で共同戦線を張れないだろうかという、淡い期待を持っていました。
それを小沢提督が今回快諾したということで、樋口司令の作戦の立案がぐっとらくになりました。
とはいえ、砲兵力は当時世界一といわれたソ連軍です。帝国陸海軍が引き揚げた後にこちらの砲兵群が
ソ連軍が侵入してきたいいタイミングで集中砲火を浴びせなければ返り討ちにあってしまう可能性も大きいのです。そして、乏しい海軍力、航空兵力をいかにして使うか?
■もはや戦略艦隊とは呼べないくらいミニ艦隊です。
◇ということで、帝国海軍最後の戦術艦隊
●集成第二艦隊(史実「第二艦隊」:昭和20年4月7日:坊ノ津沖海戦でぼこぼこにされ4/20解体)
◇壊滅寸前の部隊を他の部隊からも応援を呼んでひとつの部隊らしきものを取り繕って
作っちゃうことを「集成●●師団、艦隊」などと呼んでいました。
・艦隊司令官:大西滝次郎(特攻の生みの親)・同総参謀長、森下信衛少将(沖縄戦の生き残り)
☆両者は第一航空戦隊本部も兼任
◎第一航空戦隊[稚内](へー、まだこんなのがあったんだー、と思いますでしょ、私もそう思いました)
旗艦*航空戦艦:信濃、航空母艦:鳳祥(もともとの56250PSのエンジンを呉工廠で放棄されていた
「天城」からエンジンを移植し、152000PSの高速空母に変身(26から33ノットへ)
◎特設航空戦隊[稚内]ー臨時美幌航空団
| ・ 艦上戦闘機戦隊:彩雲40
| ・ 艦上爆撃機戦隊:彗星30
| ・ 陸攻隊:一式陸攻8(2個中隊)
|_美幌臨時飛行場大隊
◎主攻隊[根室]:長門、榛名
◎第31水雷戦隊[稚内]:旗艦・花月
第43駆逐隊:竹、桐、杉、槇、ヒバ
◎臨時水雷戦隊[根室」:旗艦・雪風
第52駆逐隊:潮、時雨、樅、樫、檜、楓、萩、梨
*上記で沖縄特攻に参加していない艦艇
長門、榛名、花月、竹、桐、杉、槇、ヒバ、樅、樫、檜、楓、萩、梨
☆7.信濃。エンジンの燃料がいかんせん足りません。鋼材も足りません(予定では排水量7万トン、船体長は大和の263mをこえる266m)。
それで。まず主砲から決めました。前置きは「その2」をご覧ください。
結局艦載砲として、
①ドイツ帝国21cm列車砲:通称パリ砲の二次世界大戦製2代目:射程距離115kmはソ連軍火砲のすべてをアウトレンジし、場合によっては航空兵力の補助となりうる。
③帝国陸軍5式15センチ高射砲:①に比べ重量9トン、射程距離78kmと手ごろである。
⑤帝国海軍65口径5式12センチ高角砲<実在しません>:日本の高射砲としては有効射程が③の19000mにつぐ16000mという優秀さであること。
艤装は翔鶴・瑞鶴型に準ずるべく工事が進められました。巡洋戦艦といながらも、甲板長は250長x30幅、船体は260mx35m。飛行看板は一般鋼材。側弦は12cmの軟鉄+6cmのコンクリート+6cmの軟鉄の外壁をいったん作り6cmあけて6cmの一般鋼材で船体を作りましたが、溶接が不利と思われる個所は無理せずボルト締めとしました。
21cm列車砲は飛行甲板の両端に、15cm高射砲は船体の両端に固定し、12cm高射砲12門と機銃類は船体本体をを一周するように、艦橋設備は、船体の前後に分けて司令所を作りました。
推進力は、2本の円筒形の構造物を船体左右の下部に1本ずつ作製、ディーゼルタービンを回転させてそこに海流を誘導し排出する、ハイドロニューマティックジェットシステム(1水路:タービン馬力25000x2),
計10万馬力。速力25ノット。飛行甲板はエレベーターなしの平甲板。搭載機排水量28000トン。
射程距離115kmというのは、宗谷海峡の中ほどまで出ますと南樺太は射程内です。
相手が航空機を出してこない限り、全滅させることも可能です。
根室方面では、元々艦隊型駆逐艦の雪風、潮、時雨の12.7cm砲が12cm高射砲に換装されていました。
しかし、この砲を発射するには、船体があまりにも小さいためこの3艦は固定砲台としました。
次にソ連側の布陣をみてみましょう。
◇南樺太方面
第一極東軍
沿海軍集団(第1赤旗軍、第5軍、第25軍、第35軍、第9航空軍)、チュグエフカ作戦集団、第10機械化軍団から編成された下記の軍、軍団などで構成。
・第一赤旗軍
・第5軍
・第25軍
・第35軍
・第10機械化軍団
・第9航空軍
◇千島・北方領土方面
第二極東軍
極東戦線(第2赤旗軍、第15軍、第16軍、第10航空軍、第5狙撃軍団、第88狙撃大隊、カムチャッカ防衛地区)に基づき設置された。その外、赤旗アムール小艦隊と北太平洋小艦隊が、戦線の作戦統制下に入り、その中で北太平洋小艦隊と協同で南樺太、千島列島上陸作戦を行いました。
・第2赤旗軍
・第15軍
・第16軍
・第10航空軍
・第5独立狙撃軍団
・カムチャッカ防衛地区
参考に津軽海峡以北の日本軍の装備を見てみましょう
<主力部隊>
・5コ歩兵師団
・2コ独立混成旅団
・ 1コ独立混成聯隊
・ 3コ沿岸要塞(宗谷、津軽、室蘭:司令官は少将)
<諸兵科>
・ 戦車第22連隊
・独立戦車第31大隊
・ 独立速射砲第33大隊
・ 1コ防空部隊
第5高射砲隊
高射砲第24連隊
独立高射砲第67大隊
独立高射砲第68大隊
< 第8独立警備隊[根室]>
・高射砲第141連隊
・ 独立高射砲第32大隊
・ 特設警備第355大隊:森芳夫中尉・・・・通常「大隊の長は少佐または大尉ですが中尉の起用は非常
に珍しく、中隊長~大隊長クラスの人材の不足・養成の遅れ
を窺わせます
・函館陸軍病院
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それにしても極東赤軍の勢力は恐ろしいほど大きなものです。
日本とやや軍政が違いますので、ソ連流の師団は日本式の旅団規模でやや小ぶりです。
2-4個師団で「軍」という組織になりますが、日本軍の司令官は中将、ソ連の司令官は少将がほとんどです。
日本の歩兵師団はソ連の1.3倍ほどですので、5コ歩兵師団でソ連6.5コ師団=2個軍程度でしょうか?
いい勝負なのは(といっても定員充足率、武器・弾薬のレベルは圧倒的に違うでしょうけれど)、
歩兵師団までで、その他に、1個航空軍(最低でも戦闘機・爆撃機合わせて300-400機)と独立狙撃軍団(多くは半分機甲化された機械化歩兵軍団)もありますから、勢力的には全く勝負になりません。
これを迎え撃つ日本軍に、工夫を加えようというのが、樋口司令官の考えでありました。
まず、
航空軍を
*信濃隊ー彗星15機彩雲13機
*祥鳳隊ー彗星15機彩雲13機
*美幌基地隊ー陸攻隊8機、彩雲14機
*宗谷V2隊(10門)
*根室V2隊4門、V1隊1門、21cm列車砲2門
に分けました。
信濃隊彩雲から一機を間宮海峡方面へ、祥鳳隊彩雲から一機を樺太方面へ、陸攻隊から1-2機を千島方面へ索敵していました。
距離的には一番近いところから上陸するに違いないとみていた樋口司令は、まず間宮海峡北50度線(稚内から約500km)にそって、漁船に何重にもガラスの浮き玉を並べさせました。もちろんこの時期、機雷を即座に大量生産できるわけがないので、北海道内から集められた魚網用の「ウキ」です。でもそれでは「バレバレ」なので何発かは本物を入れておきましょう。
やがて「にせ機雷」のまわりにワラワラと戦闘艦輸送船が集まってきます。
一部の乗員、戦闘員は近くに良港がなくカッターでおりました。
一方では南樺太の内陸を進むソ連軍もいるはずです。
そんな情報が「偵察用・彩雲」からはいって・・・
「信濃」がまず2代目パリ砲を弾丸がなくなるまで斉射します。斉射終了を合図に、信濃隊、祥鳳隊から彗星、彩雲が飛び立ちます。
相手方の脅威のひとつであります、ソ連第9航空軍の重装甲が自慢のシュトルクモビクIl-2も、さすがに今回のこちらの航空戦隊の攻撃を行うまでもなく、21cm砲弾の斉射の嵐の後では数えるほどしか生き残れていないでしょう。
しばらくすると、五式15cm高射砲の水平射撃の射程内(75-80km)に樺太が入って参ります。
頑丈なソ連装甲車両は打たれ強いので、車両や、中の戦闘員とも生存する可能性が高かろうと思われますが、歩兵、機械化歩兵はほぼ全滅と考えていいでしょう。
また、砲兵は、自分たちが今まで経験したことがない(ソ連軍の長距離砲は152mm砲で29.5kmが最長射程)距離から飛んでくる砲弾に、自分たちの力量が発揮されることなく武器弾薬が破壊されつづけられていく光景を目の当たりにしながら、しかしなすすべもなく戦場から次々と姿を消してゆきます。
仕上げは、彩運に守られた、一式陸攻が筒状の物を多数戦場にばらまいていきましたが、しばらく時間が経つと、自然発火してほとんど瓦礫に近かったソ連軍の車両や武器段列などを覆うが如く一面にわたり火の海となりました。
天然赤リンに、硫黄、入浜式塩田から採取されたマグネシウム入り自然塩を少し混入した日本式ナパーム弾で、周囲の気温などが火災などで上昇する(150℃)と、発火するのでありました。
一方で海の戦いでは「信濃」が不幸にも左側弦に魚雷を2発受けましたが、外郭盤で爆発、そこから浸水したのみにとどまりました。現代言うところのチョバムアーマー式防護です。
艦速は15ノットにおちましたが、ソ連潜水艦群は<第31水雷戦隊>がきれいに掃除をしてくれたので樺太方面の戦いはひとまず終了です。
千島・北方領土の攻撃は8/12からの予定で、これらの第一極東軍が第二極東軍に協力することになって」いましたが、計画を大幅に変更を余儀なくされそうです。
日本側の損害は、艦艇、信濃に魚雷2本側弦に被弾。
航空機、信濃隊は全機未帰還の大損害。祥鳳隊は彩雲1機未帰還。
V2は未使用でありましたが、優速の輸送手段がなく、鉄道で2台のみ根室港に移動することになりました。。
なんてかきますと、
準備周到すぎる作戦ですし、陸海軍が合同でこんなにうまくいくわけがないのです。
まー、夢物語+SF+落語とでも思って斜め読みしていただければ幸いです。
ま、これを書いた動機というのは親族にシベリア組がおりますので、それもあるかなと思います・・・
別に今のロシア共和国を特に毛嫌いしているわけではありません・・・
父も、50度国境線で軍事教練をやってきているそうです・・・
相手がある話なのでショーがありませんが、センソーはホントーにどっちが勝っても嫌なものです。
勝ちいくさの話を聞いても・・・。「勝てば官軍」?あんな嫌な言葉はありません・・・
それを政府閣僚が・・・ま、あの方々も夏バテはありそーですから・・・