祖谷渓(いやだに) | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
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祖谷渓、かずら橋(上)と小便小僧、昭和54(1979)年12月31日 撮影

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気まぐれで、ふらりと、四国に行きました。

しかも、キチョーな何年ぶりかの、冬休み明けに試験がない!という休みを利用して・・・


大歩危駅で列車を降りて、歩く予定でしたが、ものすごい豪雨・・・ショーがないので「観光タクシー」とやらにお願いしましたら¥6000-!!!

・・・しょーがないですね・・・


まずは運転手さん

「お客さん、ここは平家の落人が・・・」から始まり、「冬場はスノータイヤってのをはくんですがご存知?」

「あの、私、ホッカイドーの人間なんですけど・・・」

しばし気まずいクーキ。


それでも、こっちが学生と見て取ったのか「豪雨で予定のコースを見せて上げられなかった(運転手さん談)」からなのか、半額の¥3000にしてくれました。


♪四国よいとこ、一度はおいで♪


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四国に特急が走り始めたのは、昭和47(1972)年3月改正の「しおかぜ:高松ー松山・宇和島間」と「南風:高松ー中村間」各々3往復からだったと思います。いずれもキハ181型で、しおかぜは、G車x1入り7連の全車指定、南風はG車x1入り6連の全車指定席列車でした。


しかし、私が四国旅行に出たころは、まだまだ急行列車の天下で、「大歩危」までは「琴平」から

あしずり7号で移動しました。

当時のメモ書きは下記のとおりですが、よほどあわてていたと見えて、車種が入っていません。


[⑥自⑤指]・④指③G②自①自 →窪川

  [ ]は高松→高知の付属編成

冷房電源は③号車が①-③の担当、④号車が④-⑥の担当ということでしょうか?

(当時のディーゼル車は1輌の冷房用ディーゼルエンジンで3輌分が限界であったため)。

グリーン車は1台エンジン車が多く、④は終着まで行くので電源車(キハ65)ではないかと思われます。


 私は2号車に乗りましたが、ずーーーーっと立って移動しました。


四国はしばらくディーゼル急行の天国が続きましたが、昭和63(1988)年4月10日瀬戸大橋完成とともに、ドンドン形を変えてゆきます。

前の年、分社化でJR四国となっていた路線には、平成2(1990)年から振り子式ディーゼル特急気動車が岡山→松山・宇和島間に就役、平成5年には高松ー松山間に待望の電車特急が走り始めます。


高徳線にもついには走り始め、急行はあっという間にいなくなってしまいました。


まー、時代といえばそれまでですが、四国も他の線区同様、特急街道化してしまったのはさびしい限りですね。


ゆっくり走れば、見せ場がたくさんあるのに・・・