鉄道省における「準急あるいは準急行」は大正15(1926)年9月から出てきた列車種別のようです(僻地であります「蝦夷地」は昭和24(1949)年に「石北」「石狩」が初めて登場しました)。
準急は、戦前料金不要で、ですから、今で申しますと「快速」に相当しますか?
戦後は一転有料に!!
終戦を境に、鉄道省から日本国有鉄道にバトンタッチされ、車輌の戦禍による荒廃は惨憺たるものだったようです。
そっから、金取るってか!!とお考えになるかもしれませんが、特急や急行のような堅苦しさはないし、
なんたって、料金が安い。しかも、テキトーに速い!!
手許には、終戦直後の記録はないのですが、昭和31(1956)年当時、
☆すべて3等座席料金:2等は交通税を含めて3等の2.4倍、1等は税込3.5倍
特急1等/準急3等=36倍
準急:①150km以内:60円②300km:100円③600km:150円④900km:200円⑤900km以上:250円
急行:②300km以内:200円③600km:300円④900km:400円⑤1200km:500円⑥1200km以上:600円
特急:③600km以内:600円④900km:800円⑤1200km:1000円⑥1200km以上:1200円
といった、料金体系で一般の方々からは、好評をもって迎えられたようです。
そして、昭和30年代になると、主力が、客車列車から電車、ディーゼルカーへと変わっていきます。
そんな中、昭和35(1960)年6月1日、東京ー大垣間に「臨時準急・ながら」が登場します。
・・・マエフリ、相変わらず長いって?あーウッセ、ウッセ・・・
定期準急電車「東海」の混雑緩和、補完という形での出発でした。
名前の由来はもちろん、「鵜飼い」で有名な岐阜県を流れる「長良川」からとってきたもので、出場当初は列車名も漢字で「長良」、翌年10月から平仮名になりました。
昭和39年、新幹線がオープンすると東海道在来線の混雑は落ち着き、従来の「東海」の運転区間を短縮を機に、当列車は昭和40(1965)年10月改正で廃止されてしまいました。
実働ちょうど5年という比較的短命列車で終わってしまいました。
しかし、この列車の時刻を利用して、鮎川哲也氏が「準急ながら」なる推理物を執筆されておられますので、興味のある方は是非御一読を!!