「準急・ながら」・・・スイマセン、テツドーねたです | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

鉄道省における「準急あるいは準急行」は大正15(1926)年9月から出てきた列車種別のようです(僻地であります「蝦夷地」は昭和24(1949)年に「石北」「石狩」が初めて登場しました)。


準急は、戦前料金不要で、ですから、今で申しますと「快速」に相当しますか?

戦後は一転有料に!!


終戦を境に、鉄道省から日本国有鉄道にバトンタッチされ、車輌の戦禍による荒廃は惨憺たるものだったようです。


そっから、金取るってか!!とお考えになるかもしれませんが特急や急行のような堅苦しさはないし、

なんたって、料金が安い。しかも、テキトーに速い!!

手許には、終戦直後の記録はないのですが、昭和31(1956)年当時、


☆すべて3等座席料金:2等は交通税を含めて3等の2.4倍、1等は税込3.5倍

  特急1等/準急3等=36倍

準急:①150km以内:60円②300km:100円③600km:150円④900km:200円⑤900km以上:250円

急行:②300km以内:200円③600km:300円④900km:400円⑤1200km:500円⑥1200km以上:600円

特急:③600km以内:600円④900km:800円⑤1200km:1000円⑥1200km以上:1200円


といった、料金体系で一般の方々からは、好評をもって迎えられたようです。

そして、昭和30年代になると、主力が、客車列車から電車、ディーゼルカーへと変わっていきます。


そんな中、昭和35(1960)年6月1日、東京ー大垣間に「臨時準急・ながら」が登場します。

・・・マエフリ、相変わらず長いって?あーウッセ、ウッセ・・・


定期準急電車「東海」の混雑緩和、補完という形での出発でした。

名前の由来はもちろん、「鵜飼い」で有名な岐阜県を流れる「長良川」からとってきたもので、出場当初は列車名も漢字で「長良」、翌年10月から平仮名になりました。


昭和39年、新幹線がオープンすると東海道在来線の混雑は落ち着き、従来の「東海」の運転区間を短縮を機に、当列車は昭和40(1965)年10月改正で廃止されてしまいました。


実働ちょうど5年という比較的短命列車で終わってしまいました。


しかし、この列車の時刻を利用して、鮎川哲也氏が「準急ながら」なる推理物を執筆されておられますので、興味のある方は是非御一読を!!