皆さんよくご存知、発見当時は「原人~猿人あたり」の人骨発見と大騒ぎだったらしいですね。
そりゃ、そーでしょー。「日本にだって<前縄文文化>よりはるか昔の世界があったんだ」ともなれば、考古学のエポックメーキングでありましょーし、世界的にも当時としては(三ケ日君の発掘は昭和33[1959]年ころ)珍しく、画期的であったに違いありません。
特に、今でこそ、オーストラロピテクス・エレクトゥス(南の土地のまっすぐ立って歩く人たち)から縄文人にいたるまでの、イロイロな遺伝子の型式を持った人種が、集学的に明らかにされつつありますが、当時としては、遺伝子解析をこの場に導入することすら頭になかったと思いますし、
あとは、経験豊富な、大学、国の研究機関のベテラン学芸員さんなどなどの積み重ねてきた経験だけが勝負だったような気がします。
あとから、葛生君は「15-16世紀頃の人」、三ケ日君は「9000年前の縄文人」と結論付けられます。
発掘に当たった方お疲れ様でした。
でも、こういうことって、夢を運んでくれますね。
葛生町、三ケ日町(現・浜松市)の方は、毎日発掘の状況を見においでになったり、「発掘された人骨はナニヤツ!?」とか、毎日がドキドキして張りがある日々だったのではないでしょうか?
個人的に、
三ケ日は、近くに浜名湖があり、「水利+漁業}という点で古代人が生活を送るにしても、優れた土地選択のような気がしますが、
葛生は結構な山奥で狩猟生活をしなければなりません。いきなり、「葛生」に落下傘部隊のように降りてきて、古代人がうまく生活を送っていけたとはとても思えません。
むしろ、もっと下流域ですとか平野部、海岸部から生活を始めるのが、自然のような気がしますが・・・