平 清盛 さんの 「テレキネシス」 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

JR呉線、呉駅ー安芸阿賀駅間には、瀬戸内海に陸地がかなり突出している箇所があります。


その先端部は、倉橋島、能美島、戦前海軍基地・施設などで有名だった江田島などからなる島嶼群であります。


それらの島々は平成の大合併で、

音戸町・倉橋町がある倉橋島は呉市に合併(平成17[2005]年)、

能美島と江田島では、能美町と江田島町、他2町で江田島市となりました((平成16[2004]年)。


これら沢山の島は、最初本州と陸続きだったのです。


しかし、瀬戸内航路で東から西へ向かうと、「呉の港」に入港するためには、えらく遠回りで、水深も浅く、高い技量を要求される航路であり、大変「ナンギ」な航海を強いられていました。


そこに、一人の男が立ち上がったのです!!


当時、まだ、これらの島々が半島でありましたところに、運河を作ればいーぢゃないかと・・・


そー、彼の名は平 清盛 さん、当時48歳、全盛期の頃のお話で、その権勢、飛ぶ「テポドン」さえ落とすほどといわれていたそうです。


彼は1164年、その運河、「音戸の瀬戸」の開削に着手します。長さ670m、東側開口部130m、西側280mで竣工まで10ヶ月を要しました。


完成直前、7月16日、もう日は山裾に入ろうとしていました。

その日が佳き日であるため、工事を最終日としたかった清盛さんは気が気ではありません。

御側の御重役も心配そーです。


いてもたってもいられなくなった、清盛さんは、陣頭指揮に出ます。

自ら、黄金の扇子を打ち広げ、夕日に向かって「返せ、戻せ」と叫びました。


すると、まー、どーしたことでしょー。沈みかけていた、夕陽が、少しずつ、少しずつ浮かんできたではありませんか。

これをご覧になっておられた、御側の者たち、工事にあたっていた人夫さんたちの「返せ、戻せ」の大唱和が始まりました。


夕日は、なお、少しずつ、のぼって行くように見えます。


そして・・・ついに、清盛さんの念願通り、佳き日に「音戸の瀬戸」が完成したのでありました。

この日をもって、音戸村以南は、島嶼群となりました。


後日、東開口部に、扇子を持って腕を高々と上げている「清盛さんの日招きの像」が建立されました。


それにしても・・・清盛さんは・・・超能力者だったのでしょうか・・・?


・・・後からの御側の方々のお話・・・

「いやはや、清盛様もいい気なものよ。あの時、我々が、全員で懸命に地面を蹴って、地球を逆回転させていなければ、太陽は顔を出さなかったはずだ・・・」

「でも、いま平家の棟梁として全軍を率いて源氏と戦えるのはあの人くらいだから、いい宣伝にはなったと思うよ・・・」

とそれぞれ勝手申し上げてはばからない側近の方々でした。


「平 清盛」 作り方によっては、面白くなったと思うんだけどなー・・・