1990年、時の環境省大臣、K-1氏が、総理大臣S-1 氏に「日光いろは坂周囲の大気中の二酸化炭素濃度が300ppmを越え始め、植物の成長が速くなったり、丈が大きくなるなど、高二酸化炭素の影響が出てきて始めているので、自家用車の乗り入れを何らかの形で制限すべき」、と意見具申をした。
(3/3,「スーパーザウルス」:二酸化炭素大気中濃度が増加すると時としてとんでもない大型生物が出てくるというお話をご参照ください)
大気中の二酸化炭素濃度は1800年ころ(明治元年=1868年)まで、推定の域を脱しないが、植物相の研究などで、西暦1000年ころから約800年の長きにわたって、280-285ppm(100万分の280-285)の範囲に維持されていたと推定されている。
ところが1900年には290-295ppmと微増、平成12(2000)年、平成18(2006)年には各々368,381ppmと級数的な増加を見せるが、途中の平成2(1990)年にはすでに335ppm程度と明らかに上昇し始めていた。
K-1氏の判断は、「日光を保護したい」といった配慮では、やや時期が遅きに失した感があったものの、それでも、充分、自然を元の状態に回復できるであろうラストチャンスか?というほどの余裕はまだあった。
しかし、S-1首相は、前年度久々に貿易収支が赤字に転落したことから、観光外貨が確実に稼ぐことができる、日光の自家用車乗り入れ禁止に異を唱えたのだった。
<日光地区の宿泊客は900万人前後、これ以上の観光地は箱根の1200万人/年だけです>
K-1環境相は、自国の清浄をもわきまえない人物とは相容れずと、職を辞し、下野した。
翌々日、第◎次S-1内閣は瓦解した。
次に内閣総理大臣、環境相に指名された人物S-2氏とK-2氏は、夫々S-1内閣の経済担当大臣、同じくS-1内閣の厚生労働大臣であった。
二人は早速、K-1氏の資料を元に現場を再調査、間違いないことが確認されたばかりか、一段と状況は悪化していることに大変困惑していた。
「日光の自家用車乗り入れ禁止」案を出したK-1氏であったが、彼の資料には代替交通案が載っていなかったからだ。
当時トヨタで製作中の「内燃機関+バッテリーで走行可能な<ハイブリッド車[のちの「プリウス」]>」は、実用まであと5-10年はかかるといわれていた。(プロトタイプ完成:平成7(1995)年、市場上梓1997年)。
「予算は代替交通機関を走らせるルート選定など、早急に調査費だけでも調達するとして、あとは・・・」
とことばにつまるS-2首相だった。
「とりあえず、KK-2国土交通大臣を呼んで相談してみましょう」
とK-2環境相は、「今度の首相は日光の件を真剣に考えてくれている人」だと安堵する一方で助っ人を呼んだ。
要件をあらまし聞いたKK-2国交省大臣は、
「打つ手はないこともありません。」とこたえた。
「立山アルペンルートで就役中のトロリーバスを使いましょう。」
「トロリーバスって昔、東京や横浜で、バスの格好をしているのに、トロリー線とやらで走るやつだろう?
天下の日光の美景が架線といったかな?電車がモーターに電気をとりいえる空中に張るセン・・・あんなもんでじゃまされるとぶち壊しではないかね?」
S-2首相が不満をあらわにした。
それに、かまわず、KK-2国交相は説明を続ける・・・
「総理は、トロリーをかなりご存知の御様子で・・・、では、説明も少なくて済みます。ご存知のように、踏切を渡るなどといった避けられない障害物とぶつかったときは、ポールを下して補助の内燃エンジンで踏切を渡っていました。ご覧になったことはありますか?」
「いや、ない。でもどうやって、踏切は切り抜けるのか、気になってはいた。でも、そのことと、日光に架線を張らなくていいのと、どう関係があるのかね?」
S-2首相も負けじと質問する。あまりにも荒唐無稽な計画なら、適当なところで止めておかなければ、日本株式会社は、日光トロリーバスの準備段階で破産してしまうからだ。
「K-1元環境大臣の報告書で、二酸化炭素濃度は、勾配がきつくない「旧・馬返駅跡」までは、さほどではなく、第二いろは坂、とりわけ坂半ばの<黒髪平>までは二酸化炭素濃度が高く、「馬返ー黒髪平」が「対面交通であること、日光駅ー中禅寺湖間では一番急こう配の31‰あることの2点によるとあります。
ここから、私流に考えた結論は、①(東武・JR)日光駅ー旧・馬返駅跡までは補助内燃エンジンを使用。日光駅方向は惰行運転で、必要なときのみ力行運転②最急こう配区間を擁す、登りの第二いろは坂「馬返ー黒髪平ーいろは坂終点まで、と下りの第一いろは坂、いろは坂始点ー馬返の2区間については、ガイドウェイとし、進行方向向かって右側面に剛体で帯状の架線に相当する物を埋め込み、トロリーバスにも該当部に集電靴を設置、バス床下に電動機を置く。③いろは坂の合流部より山側では再度補助エンジンで運行する、
といった概要で如何でしょうか?」
「2-3質問があるんだが・・・」とS-2首相。
「どうして、下りの馬返ー日光駅に限って惰行運転なのかね?いろは坂でやってはいけないのかね?
ガイドウェイとはきいたことはあるが詳しく説明してくれんかね・・・・と・・・・バスの定員、内燃機関出力、モーター出力は立山と同じものでもいいのかね?」
「始めのご質問ですが、電車などが惰行運転をしているのは、あくまでも架線の張り具合に遊びがあります。今回の事例では固定の架線というより、地下鉄の第3軌条をもっと固定したようなものですから、それに対しての惰行運転の事例はありません。どんなことが起こるか分からないので許可できないと思いました。それから、ガイドウェイというのは、バスなどの大量交通機関の幅がちょうどはまるように作られた、誘導する道路、とでも言えばいいでしょうか」
「ちょっと・・・それがずーとつづくの?」
「えー、そーですよ。そうでなければ電力の供給はなくなりますから。あと、最後の御質問ですが、エンジンその他、どの程度のものを準備すればよいのか、私にも全く見当がつきません。ただヒントはあります。立山ルートの最急こう配は確か20‰でバスモータは120kwの出力。6.1kmの距離を16分かけて運転しているので時速約23kmということになります」
「それより大出力のモーターが必要ということですか?」と今度はK-2環境相。
「それに、折角ですから、すべてトロリーにできませんか?」
「モーターを大出力にすると、当然車重が大きくなります。車輪で動くものには<ころがり摩擦>というものが発生していまして、車体が重くなるとその摩擦係数が大きくなって運動性が落ちます。この点が解決できれば問題ないのですが・・・それから、馬返からトロリーラインにしたのは、ガイドウェイのイニシアルコストをおさえたかったことと、東照宮あたりまでは、やはりタクシー乗り入れを許可した方が、観光客には便利と思います。そうすると、ガイドは使えないし、架線は見苦しい・・・」
はてさて、このディスカッションいつまで続くのでしょう?
立山のトロリーバスは1993年からモーターがVVVFインバータになって小型軽量になりましたし、現在ハイブリッドカーの製造手段は確立していますので、上の話はもっとスムーズにいっているはずだと思います。
実は、今回の話、昨年7/14<旧・馬返駅訪ねて>という私が「黒羽君成 名義で書いております、<
鉄道小話>http://ameblo.jp/tsuchibuta/entry-11302453684.htmlの完結編として書いたものです。
あまりにも日があきすぎてしまったこと、スイッチバックよりこちらの方が環境破壊が少ないのではと思い書いてみました。スイッチバックとなると新設軌道を山の中腹にしかなければなりませんので・・・
また、新設軌道を敷く動機も見つけづらく、今回現場の二酸化炭素濃度が上昇しているといった架空の話をでっちあげて、ヨタ話を書いてみました。もちろん登場人物には特定のモデルはありません。