「京師」の「師」て何?ー東海道五十三次でわからなかったこと | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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  せん。

歌川(安藤)広重さんの名作、「東海道五十三次」、両端の宿場は特別らしく、2枚ずつ作品があるとかで、五十三次の版画は計55枚あるんですってね。


ところで、日本橋をたって、京都に向かうとき、一番最初の宿場町が、東海道であれば「品川」、中山道なら「(内藤)新宿」なんですよ!


チョッとびっくりしませんか?今なら東京から品川でも、新宿でもあっという間とは言いませんけれどね、

ああっという間程度でしょ?


隔世の感がありますねー。


それで、歌川さん、「京」のことを「京師」と版画には書き入れておられますが?



「師」は、戦略単位の軍隊のこと。師団など。元々「周」の2500人単位の集団の兵隊さんのことを言うのだそうです。象形での偏は大きな切り肉を意味して、テキを処罰しに軍隊が出発する意味とあります。


さらに、漢字の意味は、沢山の兵隊さん率いる部隊長さん、先生、仏教の最高位の方の代理人(弘法大師etc)。

衆人。人の数が多いこと。と続きます。


「京師」はどうやら一番最後の意味らしく、人が多くて賑やかだね、といったほどに考えていただければいいようですね。


おまけの話ですが、牛若丸が「五条大橋」で弁慶と戦う話は有名ですが、この時代、まだ五条大橋は竣工していないらしく、この話はフィクションのようです。