今大河ドラマの影響でしょーか、会津若松がブームですね。
そこから、JR磐越西線で27kmほど北上しますと、今や「ラーメン好きの方」であれば知らない方がいないほどの程の街、そして「蔵の街」で有名な<喜多方市>があります。
元々、ここは、「若松の北方の街」という意味で名付けられたそうなのですが、「北」という字は人がふたり背を向けて、「敗北」した相手から逃げていく様子を表す象形文字から出来上がったものです。
中世の人たちは、こういった「縁起をかつぐ」ようなことには、非常に敏感、神経質で、「喜びが多い」と、めでたい字をあてた集落名にしました。
さて、次に私の失敗談をご紹介いたします。
名古屋鉄道の、愛知県内、旧・三河ー尾張国境に<知立駅>があります。
ここは東海道五十三次の一つで、以前は「こい・ふな」がたくさんすんでいた「知立神社」の池があったことから「池鯉鮒」と書いておりました。ふりがなは「ちりふ」でしたが、発音は江戸時代以前から「ちりう、あるいはちりゅう」だったようです。
旅行専門誌ではない本を読んだときに「明治に入って<池鯉鮒>ではわかりづらく理知的>ではないので、あらためて<知立>の字をあてて格調高くした、とあったのを真に受けてしまいました。
ところが、最近、「刈谷藩」の話を読む機会があり、地名は7世紀後半に「木簡に<知利布>とかかれたものが発見」されており、さらに下って、律令制下の木簡では<知立>とも書かれている、ことが明らかにされているほど、古い地名であることを知りました。
一見「良字」に変わったように見えても、案外、時代をさかのぼれば、元々そういう文字遣いであった可能性もあり・・・当たり前か・・・大変反省させられました。
チョット考えただけでも、「神社名」が「知立神社」ですので「知立」がそんなに新しい地名ではないことに、もっと早く気付くべきだったのです。