「レコード」を知っている人、聞いたことがある人の割合は今、どれぐらいなのだろう。

 さらに、CDの登場により衰退したレコードが、近年復活の兆しにあるということを知っている人は?

 

 読売新聞(2024年4月14日朝刊記事)で、レコードの原盤であるラッカー版なるものを製造しているのは、日本の長野にある企業だけという記事を読んだ。

 この企業では年間約12万枚を生産、ほとんどが海外向けだそうだ。一時期は月産100枚まで落ち込んだが「客がいるかぎりは続けよう」との頑張りが現在の地位と業績に繋がった。

 

 ラッカー版を作る会社は、4年前まではアメリカにもう一社あったらしいが、火災で工場が焼け、まさに世界で唯一の会社となった。この会社も「火災には気をつけている」とのことで、レコード原盤の制作には火気はつきものなのかもしれない。 

 何にせよ、この会社が災害や火災にあえば、もうレコードは作れなくなるそうだ。

 

 

 今、音楽を聞くのはネット経由がほとんどなのかもしれない。DCはともかく、レコードは傷つきやすく、サイズも大きいので扱いに気を遣う。レコードを「かける」(人によってはこの表現を知らないかも?)には、プレーヤーが必要だ。格段に手間がかかる。ハードルがスマホより3つぐらい高いのだ。

 

 それでもレコードを出し続けるアーティストがいる。誰かが音にあたたかみがあるからと言っているのをどこかで読んだ。

 

 どの本だったかは忘れてしまったが、村上春樹が自分のレコードコレクションについて、一枚一枚買うごとに大切に聞いたというようなことを書いていたことを思い出した。

 それを読んだ時期、私はよくCDを買っていた。だが、自分の胸に手を当てて「大切に聞いたか」と聞けば、「聞いていない」と答えるなと思ったのをよく覚えている。

 

 

 一昔どころか二、三昔前の本には、「レコードがすり切れるまで聞く」という表現がよく出てきていた。

 レコードはLP判なら3000円近い値段で、しかも試聴はほとんどできなかった(傷つきやすいですからね)。レコードを買うのは一種の賭けで、大失敗することもあったし、それこそ「すり切れるまで」聞く大当たりもあっただろう。

 

 レコードだけしかなかった時代は、指一本でダウンロードしたり、ネットで手軽に音楽が聞ける時代ではなかった。手軽さと「大切に聞く」ことは両立することではあると思う。だが、やはり手間がかかることは、それなりの実りを私たちに与えてくれるのだと思わずにはいられない。

 

 レコードプレーヤーの針も日本が世界の需要を支えているそうだ。何だか日本らしい話である。