二週間ほど前、電車で外出先から我が街に帰ってきた。改札を出て、まぶしい初夏の太陽をさけるため、帽子をかぶろうとして気づいた。
帽子がない。
カバンをさぐりながらも、私はすでに「落とした」に軍配を上げている。よくものを落とすので、悲しいかな、この手の勘はまず外れない。
さて。最後に帽子を被ったのはいつだったか。
千里眼の持ち主が探し物を追跡するように、私は己の行動を思い浮かべた。電車に乗る前、駅に入る前にはたしかにかぶっていた。では……。
私は改札に引き返した。
乗ってきた電車の中に置き忘れたに違いない。
駅の係員に説明すると、確認してくれるという。10分ほど待って駅員さんが私の懐かしい帽子を手に戻ってきた。幸運だった。
◆
さて本日、またもや電車で我が街に帰ってきた。凶暴さを増した太陽をさけるため、日傘を差そうとして気づいた。
日傘がない。
またもや私は最後に傘をさした場面を思い浮かべた。電車に乗る前、駅に入る前にはたしかにさしていた。では……。
私は改札に‒‒‒‒引き返さなかった。
どっと疲れがでたので、どこかで涼んで、英気を養ってから「自首」しようと思ったのだ。上手くいけばまた傘は届いているだろうし、そうでなければ電車と共に遠くへ行っている最中であろう。
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それにしても、なぜ私はものをなくし続けるのだろう。
二年ほど前には外出先で日傘を一日に二回、置き忘れたことすらある(M市の皆さんありがとう)。
手袋を片方落とし、しかたないと買った翌日にまた新しい片方を落としたこともある。
なぜ、なぜ……。己を戒め、注意しているつもりでも落とし/忘れ続けるのだろうか。
あ、傘はちゃんと届いていました。