youtubeで「Soldiers Coming Home」と打ちこめば、アメリカの一部が見えてくる。

 延々とヒットするこれらは、派遣から戻った兵士たちが抜き打ちに姿を現して家族を驚かす動画なのだが、迎える家族は初めて抱く赤ん坊から祖母まで多岐にわたる。ついでに恋人に跪いてプロポーズする兵士もいるし、色っぽい相手ではなく犬に熱烈歓迎される人もいる。

 兵士たちの家は日本の「ウサギ小屋」より広いが、ほとんどがハリウッド映画でみるような豪華な家ではない。ごく普通(か、あるいは少し下)のアメリカ家庭だという気がする。息子に抱きつく母親は息子の三倍もの腰回りをしているし、三人の子どもといっしょの妻はかつてはスレンダーだったと思われるが今は堂々たる体つき。感動の再会を果たす兵士たちのまわりでは、野次馬と化した人々がスマホで画像を撮っている。ここにはニュースではわからないアメリカの「普通の人々」の姿がある。

 動画によってはテレビ番組の企画であったり、地元のTV局が入ったりと多少の「プロパガンダ」な匂いがするものもある。だが、そこに現れる家族の反応は本物だ。日本人とは違うアメリカ人のリアクションはほほえましくもある。

 もちろん、同じ年代の子どもであっても、飛び上がって喜ぶ子から無言で抱きつく子どもまでそれぞれで、ステレオタイプに「陽気で感情的なアメリカ人」とひとくくりにはできない。そこがまた人間的でいい。

 兵士たちがどれぐらいの期間、派遣されていたのかはわからない。だが中には、言葉もなく泣き濡れてしまう家族もある。そこには「Soldiers Coming Home」だけを見ている者にはからない事情がある。検索語を「Military Burial Service」に変えれば、兵士の無事の帰還がどんな意味を持つかがわかる。

 かつて「世界の警察官」を自認していたアメリカがこれまでにどれだけの犠牲を払ってきたかと考える。アメリカでは大学に進学するために軍隊に入って学費を稼がなければならない階層があると聞いたことがある。派兵を行う為政者と実戦に出る兵士とにどれだけの隔たりがあるか、私にはわからない。だが、南北戦争以来、国土で大規模な戦争のないアメリカの兵士が命を落とすのは、自国以外の国なのだ。

 「Soldiers Coming Home」、そして「Military Burial Service」という動画を見て胸に迫るってくるのは、アメリカ人兵士とその家族のことであり、父親—母親の場合もある—の首にしがみつき、満足げな微笑みを浮かべる子どもと泣きじゃくる(少し年上の)子どもたちのことだ。この涙が哀しみの涙にならないことをただ祈りたい。

 

 金成隆一「ルポ トランプ王国 ——もう一つのアメリカを行く」(岩波新書)には、トランプを支持したオハイオ、ペンシルバニア、ウィスコンシン、ミシガン、アイオワといったアメリカ北東部の州のルポがある。

 この地域はかつてアメリカの産業を支えた製鉄や炭鉱で栄えた地域だが、国際化の波に乗り遅れて衰退し、今や「ラスト(さびた)ベルト」と呼ばれている。伝統的には民主党支持の土地だったが、移民問題や経済力の低下によるミドルクラスからの転落に危機を覚え、共和党のトランプ支持に回ったのだ。

 ヒトラーのナチスはもともとはミュンヘンの小政党にすぎなかった。これが政権を取るまで成長したのは、第一次世界大戦で莫大な補償金を背負い、疲弊していたドイツを復興して国民生活を安定させたからだ。ドイツ国民がナチスを支持したのは何も総統の演説に酔ったからではない。ナチスが国の経済を上向かせたことが大きいのだ。

 民主の牙城といわれていたアメリカ北東部の人々を動かしたののもまた経済への期待だ。同じことは習近平の中国にもいえる。たいていの中国人民は自分の生活が保証されれば、党の方針に片目をつぶるだろう。だが、逆に経済が悪化すれば党に牙を向くことになる。政治を動かすのは政治家や高官であるかもしれないが、彼らの足下には経済という危うくも強い渦があるのだ。

 ラストベルトの住人たちが支持し、当選したトランプ大統領と北朝鮮との売り言葉に買い言葉のような舌戦、にらみ合いは予断を許さない。有事の場合は双方に相当の被害が出るのは間違いない。頭の上でミサイル(あるいはそれ以上のもの)が飛び交う我が日本もどうなるか予想もつかない。

 ふと、ナチスが台頭し、ユダヤ人の利権をじりじりと剥奪し始めた頃のヨーロッパに生きていた人たちの気持ちはこんな感じだったのではないかと思う。