箸にも棒にも引っかからない正規職員への座

就職出来たところで、ワタクシめには組織で働くことに

尋常ではない恐怖がある


しかし定職に就く🟰正規職員になることが日本的考え方


が、私が仕事に求めることは何?


日本の子どもたちのために働くこと

今の生活が維持できること

自分のペースで働くことができること

少しでも心身の回復をはかること(完治はムリ)


決して、大金持ちになることではない


コロナ禍の中での移動教室と

現在では様相が一変して来た


私の心身が持たないくらい賑やか


移動教室の合間にお手伝いしていたのは、

放課後デイサービス


医療的ケア児のお預かりは

保育士より絶対的に看護師が必要

しかも私は頼んでもいないのに、

仕事の一環で保育の研修に長年付き合ってきた


こんな看護師いないでしょ?


新卒の私の配属先は未熟児・新生児科

若い看護師にはショッキングな職場だった

だって、生まれてすぐにあらぬ姿で生死を彷徨っているのだ

一命を取り留めてもその後の生活はどうなるものか?

悶々としていた

病院でキャリアを積むことにまったく興味を失った


看護師になることに大反対だった親との約束で

保健師の資格を取得していた私は、

当時の師長の計らいで、「将来は地域で働くのでしょ」と

退院係かのように、明らかに他の職員以上にたくさん経験させていただいた


次に就職した先は訪問看護ステーション

しかし介護保険がスタートしたばかりのご時世、

医療的ケア児に出会うことはなかった


姪が生まれることがきっかけで、

やっぱり子どもたちのために働きたくて、

社会福祉法人の児童養護施設へトントンと就職が決まった


今でも覚えている

就職試験の段階で、配属先が決まっていた(笑)

そして訪問看護の性格上、

新入園児健診以外は配属先へ出向くことが出来なかった


そして迎えた4月1日

その後、息の根を止められるほどのパワハラを働く上司に

「あの人誰???」と大きな声で事情知る職員に尋ねて、

私のところに来た

今でも震え上がるほどの挨拶をされた(泣)


その後も、仕える上司たちという、上司が

一人職の私に散々、パワハラを働く始末


でも年齢的にも逃げ出す選択は難しく、

せっかく子どもたちのために、

若い職員のために働ける場を得たので、

上が交替していくその時を

じーーーーーーーーっと待った


が、介護が始まると心身のバランスを大きく壊す

ここぞとばかりに上司たちの総攻撃に合い診断書を提出するハメに


休職と復職を繰り返すばかりに診断書の提出が

就職規則を超えたため私はクビ


パワハラを働いていた上司は未だにトップの座にいる


理不尽過ぎる


とい訳で、組織で働くことはやっぱり辞めた


国家資格取得者は正規職員でなくても十分、稼げることを知る


混迷の時代

何も保証などない

自分の力を発揮出来る場所さえあればいいのだ


そう思える今日この頃


とってもちなみに

好運にも医療的ケア児のお手伝いのお仕事を更に得ました


心身を守りながら、子どもたちのために働く所存です