12年前の今頃は、
埋立て地にある実家へ両親の安否を確認すべく
徒歩で実家へ向かっていた
到着した時、両親はぐースカお休み中
徒歩で来た道も液状化現象なし
一番安心したのは、
陸の孤島である地域
陸との要の橋がまったく無傷だったこと
そして、その翌日から、
通勤と放射能に大いに悩まされる
とにかく徒歩無くして通勤出来ない
歩くことの出来るカラダに感謝🙏
放射能は本をたくさん買って読んだ、読んだ
そうそう
当時、ワタクシは0歳児のいる分園、
1〜5歳児のいる本園
小規模保育2箇所が担当だった
電話がまったく通じないため、
ヘルメット被って自転車で
子どもたちの引き渡し情報を
逐一、くるくる周り聞いて本園の施設長に報告
余談ですが、職場が小学校に面していたため、
たまたま職員に元PTA会長がいたため、
「今、子どもたちを自宅に帰すの危険では」と意見して、
帰宅を食い止めたりもしたもんだ
あれから12年
今の自分など予想だにしない展開
人生まさかの連続