えーーーーー
山本文緒さんも、小山明子さんも
よーーーーーくお話を聴き返すと
家族があれこれしてくれている
わたしは発症当時、
実家で母と2人で父を在宅介護中
3年弱は介護と療養
父が天に召されて色々片付いて
12月に復職してみると、
次年度は異動と言い渡される
大の苦手の山手線のターミナル駅2つ通過必須
3月から実務研修という名の引き継ぎ
次年度は人事が一新される上に、
看護師兼保育者という配置も初めて
わたしは何一つ聞かされていなかったため、
出勤するたびに驚き、怒り狂ったものでした
忘れもしない3月31日15時過ぎ
明日から子どもたちを預かるというのに
「看護師さんだから、研修受けないとだめだって」
何、言ってるの???
受けた研修もヒド過ぎて、よく耐えた、わたし
で、帰り道
よく駅員さんに
「黄色い線まで下がってください」
「電車来ますから、冊に寄りかからないでください」
何度、言われたか😑
⚠注意⚠
故意ではなく、自力で
立っていられなかっただけです
仕事のために、
今でも思い出せないけど、
アパート探して、
10代からの悲願
一人暮らしスタート
だから後から気がつく、二重契約ばかり🫣
通勤の苦しみからは解放されたけど、
長年のパワハラやら、ストレスで、
満足に出勤出来ない
一人職なので、わたしでないとわからないことが、
前職場でも、当時の現職場でも大あり
電話の嵐、嵐、嵐
休職中も電話はスゴかった
出禁なだけで働いてた、わたし
施設長の指示に従い運動会に出勤
朝のミーティングで倒れたわたしに
「治るまで来るなーーー」と、
診断書を見ていないNo.2に怒鳴られ、
出禁になったショックが蘇る
そして運動会のミーティングで
病気を隠していた異動先で初めて派手に倒れて、
案の定、出勤出来なくなる🫣
その日は突然、やって来た
診断書を提出したら
「申し訳ないが、これ以上預かれない」
クビになってから、わたしは、
どーやって生きて来たのだろう?
家族には言えなかった
実家に戻るなど、どーしてもイヤだった
だから主治医しか知らなかった
今のアパートももうすぐ2回目の更新かな?
で、山本文緒さんと小山明子さんのお話
どちらも
家族がそばで甲斐甲斐しく
面倒を見てくださっているでは
ないですか🥺
わたしは正に無人島ひとり
布団被ってじーーーーーっとしているだけのお話
時々、ニャン吉パトロールライブ
誰かにSOS出せるよーに🫶
なれるといいですよねー、わたし
追記)
もーーーーーー
どーなるやらだったので、
弟家族に残すためだけに
Instagram始めたのだった
たった今、確認して見たら、
土下座して謝れ!!!とか
いろいろ、クリアしてやり直そうとしているわたしからスタートしてます💨💨💨
よく生きてる😳
今やスゴイペースでアップされがち🥹