1週間も経つと、警察やらマスコミやらが
道路に溢れる時期は過ぎた。
しかし、残された子供たちはどうなるんだろう?どういういきさつでそんなことが起きたのだろう?悶々と考えて寝付けなくなっていた。
長年の友人家族だったので
私にできること、対策してあげられる取りえる手段は取った。
あとは、素顔の見えないマスコミや、
世間の偏見といったものが、残った家族にとって
大きな脅威だった。
でも、どうやって対抗を?
メディアにはメディアをぶつけろという
先輩もいた。
そんな労力は、自分には割けない。
近所の友人も煮詰まっている。
近所ではない友人に話しても、
実感を持って聞いてくれる人は少なさそうだ。
今は共感してほしいのではなく、
確実な解決策が欲しいのだ。
ありきたりの「かわいそう」「大変だったね」
「こわいね」などの
感想が欲しいのではなかった。
遺族が普通の生活に戻っていけるための、
確実な解決策。
それと、理解や労いも欲しかった。
でも、家族にもそれを求めることはできなかった。
特に夫は、
「面倒なことには関わらないのが1番!」と
私の想像を遥かに超える
あり得ないほどのスピードと無責任さで逃げた。
もともと期待はしていなかったが、
そこまでとは思っていなかったので驚いた。
普段から信頼できる先輩や
友人の数名は、やっぱりこういう時にも
真摯に、逃げずに、
有効なアドバイスをしてくれたり
直接関わってくれた。
ただ、私が必要としていた情報やサポートの
部分部分は得られたけれど、
“誰か”や”何か”が全部与えられるということは
なかった。
少しずつコップに溜まった水が、
今度はいつの間にかふつふつと、
煮立っていくような気がしていた。
“何か”でパーッと発散させないと、吹きこぼれて
大やけどをしてしまいそうな感覚だった。
とにかく悶々としていた。
現在起こっている事象に関して、
根本的な原因を取り除かないと
気持ちが晴れることはない。
かといって、事件そのものが収束するのは
まだ相当時間がかかる。
なんとかし得るのは、気持ちの問題だけだ。
かといって、買い物やお酒とかランチくらいで
発散できないことは分かっていた。
カウンセラーや、お寺の住職さんに話しても、
少しは気が晴れるが完全ではない。
むしろ、相手が仕事を果たしたと
思ってくれるよう気を使ってしまって、
結局のところ、
自分の気持ち全てをさらけ出すことは
できないのだ。