このブログは、

最近のことを書いたり

何年も前のことを書いたりと、

時間が行き来しています。


時系列が書いてある、

もくじ代わりのブログのリンクを貼りますので、

よかったらご参照ください。

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チェックアウトの時間が迫ってきたので、

私は荷物をまとめて忘れ物がないか確認していた。

それに、今日までしか開催されていない

美術展の閉館時間に間に合うかということを

心配し始めていた。


次の予定に頭が切り替わった私に彼は


“tefeさんは、

僕にすっかり開発されちゃいましたね。”と、

満面の笑顔で勝ち誇ったように言った。


“ばか!”


私は、手に持っていたバスローブを

思い切り彼に投げつけた。


彼はニヤニヤしながらそれをキャッチして、

私を抱きしめて軽いキスをした。

 

ホテルを出て道路に出て少し歩き、

別方向に行かなければいけない角にさしかかった。


彼は

“そんなに頻繁には難しいけど、また逢いましょう”と言って、胸元で小さく手を振った。


“また”と、私も胸元で小さく手を振った。

 

(あれ? また、って言ってしまった

  (私、また、なんて言っちゃ

 ダメだったんじゃなかった…?)


そのあとは、何事もなかったかのように

ひとりで美術展を見に行った。


ずっと見たかった作品の実物を見ることができて

とても満足した。


この日本画家の絵は

私が小学生の頃からとても好きだった。


淡い色で、清らかで、無駄がない感じ。


(小学生の頃は、まさか自分が将来

こんな風に既婚者とあんな関係になると思わなかった。。)


美術展のチラシにも使われていた、

薄桃色の桜が大きく描かれた絵の

幻想的な雰囲気と

彼との久しぶりのセックス後の

甘いもやがかかったような気怠い気分が

重なる気がした。


子どもの時に、

清らかな印象を受けて好きになった画家の絵を、

既婚者同士で激しいセックスをした直後に見る。


それは、私の中では矛盾している行動で、

いたたまれなくなったり

自分を恥じる気分になりそうなものだったのに、

その絵を見ていると、

どういうわけか

大きな薄桃色の桜に許容されて

包まれているような不思議な気分になった。

理屈ではない部分で。


私はその絵の絵葉書を買って家に帰った。


そして、いつも使っている手帳の

この日のページに挟んだ。

 

理屈をつけるとしたら、

桜の花が咲いて散るのも自然の摂理で

誰もそれを変えることも止めることもできない、

そんなことを思ったのかもしれない。


自然、という言葉は

もともと

自ずから然り(おのずから しかり)、という文章から来たのだという

誰かの話を思い出した。


あるがまま、とか、本来の性質、とか

そういうもの。

抗っても無駄、、?

ある意味、解脱の方向に近づいたのかもしれない。