このブログは、

最近のことを書いたり

何年も前のことを書いたりと、

時間が行き来しています。


時系列が書いてある、もくじ代わりのブログの

リンクを貼りますので、

よかったらご参照ください。

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(“肌が合う”に関して、

質問サイトやブログで見つけた内容の続きです)



曰く「なんだか怖いと思いつつ惹かれ、付き合い始めましたが、肩や背中を触られただけで自分の身体のコントロールができなくなりました。大好きではないのに、身体を重ねるとこの人とは離れられないかもしれない、と時々怖くなります。私は淫乱になってしまったのかと悩みましたが、石田衣良“sex”の中の“ソウルの夜”、原田梨花の“満月の夜”というマンガを読んで少し安心しました。


曰く、理性がふっ飛んでしまうほど、自分の身体がコントロールできずに相手に反応してしまうのです。エッチなことを考えているのではないときでも、その人に触れられると体が反応してしまうのです。催眠術にでもかかってしまったみたいに。やっぱり、“肌が合う”人とは出会わない方が幸せだと思います。

 

曰く「肌が合う人、いました。その人とは、肌が吸い付くような、というより、本当に吸い付いていましたし、絡み合って、痺れました。理屈じゃないんですよね。抱かれるってこういう事なんだ、と思いました。

 

曰く「出会った瞬間や、手が触れた瞬間にわかる。カップル双方が互いにそう感じ合う。愛情や経験の多さとは無関係、テクニックや駆け引きなど必要ない。例えば久保田利伸の“Indigo waltzの歌詞“背中も 髪も指も どちらのものでも 構わなかった”という部分のような

 

もう、どれもこれもそう。

ひと文字残らず全部共感できた。

私もまさにこういう感じだった。


自分がおかしくなったのかと思ったけれど

どうやら世の中には、

こういうことがあることらしい。

それが分かって安心した。

(そして、おこがましいけれど、

自分もそんな風に

いつか誰かを安心させることが

できるかもしれない内容を書けたらいいなと

思ったりもした。

難しい本とか教科書とかを読んでも

全くピンと来なかったのに、

ネットで見つけた内容を読むことで救われたから)


まさにこれらの“肌が合う”という症状が

出ていたわけだ。それに、“恋の病”という症状も。

(そういえば、園子温の、そういうタイトルの映画も一緒に観た…)


おまけに、“愛”や“情”に移行しそうになっていた。

(あるいは脳がバグってそう思ってしまいそうになっていた)


それと、最初から分かっていたことだが、

マニアックな読書体験と、

それに基づくビジョンが

彼と私はオーバーラップしている部分が多い。

それは最後のセックスの後の会話や

LINEのチャットで

改めて明らかになった。

 

彼の結婚後、

“ずっと会わない”あるいは

“会ってお話はするけれど、一線を越えない”ことを守れるのだろうか…?


でも、

“肌が合う”について書かれた文章を何度も読み、

【どうやら彼にはもう会わない方が

私は幸せでいられるに違いない】と判断して

それを貫こうと決めた。


そして、しばらくの間は

どんなに彼にしつこく誘われても

【会わない】ということを実行することができた。


私はもともと、

けっこう頑固で真面目な人間なのだ。

だから、彼に会わずにいられる自分に

満足していた。


彼と会わなくなった分

セックスがしたくなって

夫とするようになったかというと

全然そうではなく、

セックスレスが続いていた。

でも、それは私が望んだことだったので

そのことにも満足していた。


彼とのセックスで

あんなに強烈な快感を覚えてしまったのに

一気にそういうことが皆無の生活になった。


でも私は、もう彼に心乱されることなく

私は自分を律することができていて

平穏な日々が戻ってきたことに

満足していたのだった。