【もう1人の自分】
 
 
20代の私は人生謳歌していた
なりたい学校にも自分で資金作りし
ローンを組んでスキューバダイビングに
ハマり海外の海を潜り

 
 
仕事も次婦長を真っ向から蹴って
自分を向上させようと転職した時
日本のトップだと思う場所に行った
ずっと凄い人に憧れてた
ずっと出来る人になりたかった




 
 
 
何でも心配しながらも
いつもそのままで
良いんだよって
受け入れてずっと母親に
叱られる事なく育った私
 
 
 
 

それとは正反対の父
常に凄い人と比べて
何をやってもやり遂げても
上があるで常に自分の不足感に
目を向けられてた
完璧主義者
叩かれて育った

 
 
 
 
次期婦長の時も
私はまだ上を目指したい
人を育てるよりも自分が
まだまだ成長したいんだ
そう思ってそれを蹴って転職を選んだ
 
 
 

とても可愛がってくれた院長に
最後辞める時に
「いいかユートピアは自分で作るんだぞ」
と意味深に言われた言葉
本当に可愛がって貰い
職場環境も最高だったから
後ろ髪を何度も引かれた
 
 
 
 

憧れて転職した場所は
とても厳しかった
講演会をすれば全国から人が集まる
患者さんからの信頼もあり
この人みたくなりたい
 
 

のびのびやってきた自分が萎縮した
とにかくこの凄い人になりたいと
言う思いが自分の声を聞けなくした

 
 
 

本当はこうしたい
本当は、、押し殺して働いた
前職場の同僚が講演会の懇親会で
もっと私らしく働いてるのかと思ったって
心配そうに隣の席で言った

 
 
 

ある時80代のお婆ちゃんが
初めて来られて問診票を記入する時に
歳で目が悪いから読んでほしいって
一つひとつ読んで私が代わりに
記入しますねって時間がかかった

 
 
 

そんな事はいいからって周りを見てって
言われた時に目が悪いから記入が難しい
でも返事は変わらなかった
もう悔しくてトイレに駆け込んで
涙が出てきた

 
 
 
 
全部を押し殺して
凄い人になりたかったけど
凄い人が正しくて
私は間違ってるを繰り返した2年半
不足感から行動すれば
不足感が膨張される
何かが違うと思って退職

 
 
 

外注で外から来てた
これまた凄い人にw
あの人には出来なくて
私にできる事って絶対にあると
思うんです
その貴方らしさをぜひ次で
活かしてくださいって
その言葉が全てだった
 
 
 

凄い人って
ただ自分が作り上げた人なだけ
不足感から凄い人が出来上がる
何なら貴方も誰かの凄い人
何なら貴方も誰かの凄く無い人

 
 
 

ふとした事から出た海外で
移民の国と言われるオーストラリアで
いろんな国から色んな人が集まった場所で
私が大嫌いだった「普通は」「常識」
がぶち壊された
全部私が作ってたもの

 



 
 

世界は私の為には回ってないけど
自分の見てる世界は自分を
中心に回ってる
だからその中心の自分を変えたら
見える世界が一変する

 
 
 

ユートピアは自分で作るんだぞ
ユートピアは空想の世界
不足感を満たす為に
無い世界を外側に求めていた
きっと何処かにある私のユートピア
そんな風に院長は辞めていく
20代の私に言ってくれたのだと思う

 
 
 

自然が大好きで
ありのままに在る大自然から
沢山の言葉と笑えるくらい自由な国で
22年過ごしてどの自分も全部自分

 



 
 

追い求めるとかではなくて
そのまま直視して
何処かで付けてしまった
不必要な物思い込みを
落とすだけ

 
 

その繰り返し
だからどんどん軽くなる
落とせば落とすほど
自然に私らしさが浮き上がってくる
私らしさって追い求めるものじゃない
 

 
 
 
自由を謳歌してる自分も
本当の自分はこんなもんじゃとか
やってる自分も自分
本当の自分は居なくて
どの自分も全部自分だし
どんどん変わる

 
 
 
不足感に目を向けた時に
出来ない自分に
「ない」の世界に足を入れると
本当の自分は、、って
面倒くさいなんかもう1人の
自分が出てくるだけ
で、そのもう1人は居ないよ
 




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