後日談④ともに

 

今回話す内容が、おそらくペルー旅、最終章である。

ただこの話をするには、少し説明が必要な人物がいるので、まずその方についての話をしたいと思う。

 

恩人との出会い 

 

私にはここ2年くらいお世話になっている方がいる。
年齢的には60半ばのおじさんなのだが、見た目は正直その10歳も20歳も上に見える方である。
というのも私と出会ったときには、もう余命宣告を受けているような状態だったからだ。
抗がん剤治療によって、日々身体を蝕んでいく癌と闘いながら、毎日を過ごしていたのである。

そんな彼は、息子さんがわりと有名な「霊視芸人」で、
息子さん曰く父は自分以上に力が強いと豪語する程、父にあたる彼はお化けの見える体質だった。

元々はお化けの見えるタクシー運転手として有名だったようだが、
余命宣告を受け仕事を続けられなくなった彼は、
そこから息子さんの薦めもあり、YouTube活動をはじめることになる。

 

今ではもう数万人のチャンネル登録者を持つ、立派なユーチューバーだ。

そんな彼を、周りは愛称を込めて「パパさん」と呼んでいた。

そんなパパさんと私の出会いも、たまたま見かけたパパさんのライブ配信がきっかけであった。

パパさんの「見えないものは見えない、わからないものはわからない」ときっぱり言い切る姿勢。
一般的に霊能者と聞いて感じるような近寄りがたさとは真逆の、人間味あふれるおっちゃん感
それでいて、とても大きな愛で包み込んでくれるような懐の広さ
自らを低霊能力者、妖怪数珠まみれと卑下するユーモアさ
多くの部分に惹かれ、いつしかスタッフとしてお手伝いをする間柄にまでなっていた。

お化けが見えることを抜きにしても、人として尊敬できる、人生の師匠のような存在である。
それから見えない存在について受け入れられるようになったのも、確実にパパさんのお陰である。
もちろん変な新興宗教ではないし、壺を売られたりするようなこともない。

スタッフとしては、イベントのお手伝いをしたり、
学生時代に学んでいたこともあり、動画撮影のカメラマンをしたり編集をしたり、みんなでカラオケに行ったり、数々の時間を共にしていた。

2回目のアヤワスカ体験で少し話をした、侍のご先祖様が見守っていると教えてくれたのも、パパさんである。
正確には、お殿様系の風貌をしているようなので、ただの侍ではないらしいのだが、そこはまあ置いておく。

そんなパパさんだが、私が出会ってからも身体は確実に少しずつ弱ってきており、以前までは杖で歩いていたのが、
ペルー旅行から戻り去年の12月に会った時には、車いすが必須の身体になっていた。
 

  摩訶不思議な沖縄旅行

 

そんなパパさんを含めたスタッフ達と、2023年1月の中旬に沖縄旅行へ行ってきた。
メンバーはパパさんとママさん、そして私を含めたスタッフ4人6人
そしてその沖縄旅行で、パパさんからアヤワスカに関する衝撃的なことを聞くのだった。

パパさん含めた4人は木曜から沖縄へ旅立ち、私ともう一人のスタッフは、金曜の朝一から合流した。
そこから2泊3日で日曜に帰宅する流れとなっていた。
沖縄滞在中はレンタカーを2台借り、日中は観光、夜はみんなでコンドミニアムに泊まり、お喋りをして過ごしていた。

その1日目の夜のことである。
 

  ぴったりとくっつく、謎のトルコ人!?の霊

 

話は私のペルー旅行へと移っていた。
ペルーどうだった?
そんなはじまりから、ひとしきりペルーで体験したことを話し終えると、

パパさん、○○(私)くんはどう?ペルー帰ってきてから何か変わった?

スタッフの一人クミさんが、そうパパさんに聞いてくれたのである。

するとパパさんは、
なんかね~外国人の方一人連れて帰ってきてるんだよね~
と不思議そうに呟いた。

外国人?絶対ペルーで連れて帰ってきたじゃん。
一同は大盛り上がりである。

どんな感じの人なの?
クミさんが畳み掛ける。

見た目はトルコ人みたいなんだよね~。その方がピッタリとくっついてるよ。でも全然悪い人じゃないね。

トルコ人!?行ったのはペルーなんだけどな...
頭にクエスチョンマークが浮かぶ。

続けてパパさんが口を開く。

多分ぼくと同じような仕事してたんじゃないかな~。
それとね、腰の曲がった老婆みたいな人もいてね、何か得体のしれない重いものを、必死に引っ張ってるように見えるんだよね~。


ちんぷんかんぷんである。またしても頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
もはや老婆に関しては、意味がわからない。というかそれだけ聞くと少し怖い。
ただ怒ってるわけでも恨んでるわけでもなく、重いものを必死に引っ張っているというのが、謎をより深めさせていた。

私同様、みな混乱していたのだが、だれかが気が付いたように言った。

それ、シャーマンじゃないの?

パパさんと同じような仕事をしていた、つまり霊能力的なことを使える人を考えた結果、シャーマンではないかと考えたのだ。
それにアヤワスカを体験してきたことも関係しているだろう。

なるほど、トルコ人みたいというのはよくわからないが、納得感はある。
そもそもトルコ人みたいというのが、パパさん独特の感性かもしれないと思えば、より納得ができる。
ただもう少し確信が欲しい。何か手はないだろうか。

少し考えてあることを思い出した。
あっそうだ!ペルーでシャーマンの絵、写真に撮ってたじゃん。

マチュピチュに行った後、数日クスコに滞在していたのだが、
その時にジェーミー夫婦がアヤワスカのタトゥーを入れたいというので、ついていった時があった。
そのときのタトゥーショップに、シャーマンの絵が沢山飾られてあり、それらの写真を撮らせてもらっていたのだ。

急いでスマホを取りだし、シャーマンの絵を探す。

あった!

急いでパパさんの元へ駆け寄り、写真を見せる。

これ、ペルーで撮ったシャーマンの絵がなんですけど。こんな感じの人ですか?

すると、

うん、そうそうこんな感じの雰囲気。もうちょっと服はボロボロだけどね。

何がトルコ人やねん..とは思いつつ、やはりぴったりとついているのはシャーマンらしき人らしい。

何か言ってるの?

誰かがそう尋ねた。

するとパパさんは、口をすぼめながらこう答えた。

何か必死に話しかけてきてるんだけど、早口だし外国語だからよくわからないんだよね。

まさかの外国語だったようだ。
しかし、続けてこうも話してくれた。

でもね、なんとなくだけど、まだまだ重たいもの背負ってるし、乗り越えなきゃいけないことも沢山あるけど、
ちゃんと導くし、手助けするから頑張って乗り越えよう!と言っている感じはする。


その言葉に、思わず胸が熱くなる。
一言一言噛みしめていると、周りもよかったじゃん!と言ってくれた。

ただあるスタッフが一つの疑問に気付く。

でもさ、同じタイミングでアヤワスカを体験した人が他にも結構いたわけでしょ?
どうして○○(私)を選んでついてきたんだろうね。それがちょっと気になる。パパさんその辺もわかったりするの?


ん~そこまではやっぱりね、なんせ早口だし言葉が何言ってるかわからないからさ。

と、そこまではわからない様子だった。
しかし、先ほどの言葉を聞けただけでも満足である。
その後も軽く話をしたあと、パパさんは大好きなタバコを吸うため、一人ベランダへと向かっていった。

私はというと、とても貴重な話を聞けて、そしてシャーマンがついてきてくれていたことを知れて、喜びから少し余韻に浸っていた。
ただしいていえば、ピューマに関することは聞けなかったというのが、少し残念ではあった。
確かにアヤワスカの中で繋がった感覚があっただけに、もしかしたらついてきてくれているかもと、期待していたのだ。

ただまあこればかりは仕方がない。そう自分に言い聞かせた。
 

しかし私にはまだ、一つ聞きたいことがあった。

 

  戦士とピューマの絵についてのパパさんの見解

 

以前親友に会った時に見せた、戦士とピューマの絵のことだ。
親友があれだけ興奮して伝えてくれたものを、パパさんにはどう見えるのか、どう感じるかを知りたかった。


迷惑だろうか、図々しいだろうか、たばこタイムの邪魔になるだろうか、
色んなことが頭によぎったものの、直接こんなこと聞ける機会も早々ないと思い、意を決してベランダへと向かった。


ガラガラ

パパさん、ちょっと見てもらいたい写真があるのですが、大丈夫ですか。

うん、全然いいよ。見せて。

快諾してくれたことにホッとし、スマホをパパさんに手渡す。

以前ちょっとそういうのが少し視える友人に見てもらって、この絵はすごいよ!と言われたものなんですけど。
アヤワスカでピューマと繋がったときがあって、それからずっとピューマの絵を探してたらこの絵を見つけたんです。
それで一目惚れして買ったんですけど、パパさん的に何か感じたりしますかね...


そんな感じのことを聞いたと思う。

するとパパさんはジーッとこの写真を見つめた後、ピューマが写った部分を拡大し、
えっ、あっそういうことか。」とつぶやいた。

気になりつつも黙って待っていると、少ししてようやくパパさんが口を開いた。

この絵はね、力の象徴だね。
それから『
もっと上にこいよ!なにしてるんだよ!』と、○○(私)くんを激励している意味もあるんじゃないかな。
それからね、さっきお婆さんがついてるって言ったけど、
ピューマだったね。
実はお婆さんの方はぼやーっとシルエットしか見えてなかったんだけど、これ見てピューマだとわかったよ。
ほら動物って重い物運ぶとき、引いて運ぶでしょ。
だからこのピューマが、○○(私)くんの中のトラウマとか、殺してきた感情とかがぎゅっと集まった得体のしれないものを、
○○(私)くんから引き離そうと必死に引っ張ってくれてたんだね。


細かいニュアンスは置いといて、こんな感じのことをパパさんは教えてくれた。

やはりピューマはついてくれたのだという喜びと共に、
今もこうして一生懸命、私から得体の知れない何かを引き離そうと必死に引っ張ってくれている。
そのことに感謝と申し訳なさと、一刻も早く生まれ変わらなくてはという思い、様々な気持ちが襲ってきた。

 

  パパさんが伝えてくれたこと

 

それからもパパさんは、色々な話をしてくれた。

今は例えば戦に出たとしても、人なんて斬れないよ...と怯えてしまって負けてしまう状態。
でも大切なのは、それでも何回も戦という名のチャレンジを繰り返すこと。
そしていざとなりゃ相手を斬り倒すくらいの気持ちの強さ、粗暴さを持つことで、トラウマ解消に繋がっていくと言ってくれたり。


でも思っているよりも○○(私)は強いよ。僕なんかよりも全然強いよと励ましてくれたり。

今興味あること、今魅力を感じること、今楽しいと思うことを仕事にしてみたらとアドバイスをくれたり。

そして何度も言っていたのが、家族を大切にということ。
パパさんに母との確執について一度も言ったことはなかったが、そこは何かを感じ取っていたのだろう。
何度も
家族だけは大切にね。それさえ守っておけば、悪いことないから。本当にそこだけは。家族だけはね。
と優しく伝えてくれていた。

普段であれば耳を塞ぎたくなるような言葉だが、パパさんの優しくも、芯のこもったその言葉に思わず
はい、わかりました。」と返事をしていた。

ただこれは適当に流したくて言ったのではない。
パパさんの言葉を心から受け止めた上で、覚悟をもって「わかりました」と返事をしたのである。
男に二言はない。これはある種、パパさんとの約束だった。

そうしてその日はぬるっと終わり、日付を超えたころ、各々就寝したのだった。
私は今夜あったことを忘れまいと、必死にメモをとってから就寝した。

 

  パンケーキ屋での出来事

 

翌日、お昼ご飯を食べに一同はパンケーキ屋さんへと向かった。


運よく6人席が空いており、スムーズに入ることができた。
店内はいかにもアメリカンといった内装で、お客さんも米軍関係者なのかわからないが、欧米系の人が多かった。

ここでの出来事といえば、各自注文を終え、パンケーキを待っているときのこと。
隣に座っていたパパさんが、突然私の左肩に手を添え、ドクドクと何かを吸い取るような動作をしたのだ。

えっどうしたんですか?」と驚きながら尋ねるも、何も答えないパパさん。

そして何度かドクドクという動作をしたあと、最後は何かをキャッチしたかのように手を握り、
それを自分の胸の前へと持っていった。


そこでようやくパパさんが口をひらく。
今ね、昨日言ってたどうして○○(私)くんについてるんですかー?っていうのをね、聞きました。
言葉だと何言ってるかわからないから、もっと根底にある、本質的なところのお気持ちっていうのをね、受け取りました。
これをまたこれから解析する作業が必要だから、明日になったらまた言うね。


どうやらパパさんは昨日の会話を覚えてくれていたようで、わざわざなぜ私についてくれているかというのを聞いてくれたらしい。
こういった力を使うのは、かなりの集中力と体力を消耗するというのは、前々から聞いていたし、
なにより今は体調もお世辞にもいいとは言えない。
そんな中、連日こうやって私のことを気にかけてくれ、力を使ってくれていることに、ただただ感謝するばかりだった。


周りも「よかったねー
と言いつつ、
絶対パパさん明日忘れてるから、また明日自分から聞いた方がいいよ
なんて笑いつつアドバイスをくれたりした。

パパさんも聞こえていたはずだが、ただニコニコして笑うだけだった。

その後、美味しいパンケーキを食べ、その日も一日観光をして遊んだ。
沖縄旅行では、パパさんの車いすを押す機会が多かったのだが、
こうしてパパさんの役に少しでも役に立てていることがうれしくて、それが本当に幸せな時間だった。
 

  沖縄最終日

 

翌日。本日は最終日である。
時間はあっという間に過ぎ、一同は最後に道の駅でお土産を買っていた。
私はパパさんの車いすを押しながら、一緒にお土産を見ていた。

案の定、ここまでパパさんが昨日のシャーマンの件について話す気配はなかった。
まあ無理に聞くのもなーとは思いつつ、本当に忘れている可能性もあるなと思い、一応パパさんに確認してみることにした。

パパさん、あの~昨日話してたシャーマンの件って覚えてますか?

あ~覚えてるよ。ただもうちょっと時間かかりそうだから、またわかったらメッセージ送るよ。

どうやら覚えてくれていたようだ。ただ確かに思い返せば、そんなことに時間を割く余裕などなかったように思う。
もちろんそこで急かすのも違う話なので、
わかりました。楽しみにしてます。」と返事をした。

またパパさんは心配させないように、こうも言ってくれた。

普段は忘れっぽいところもあるけど、大切な人に関することは絶対忘れないから。
そこは安心して。絶対連絡するから。


力強いその言葉が、とてもうれしかった。
たとえ昨日の件について話を聞けなくても、そう言ってもらえただけで正直満足だった。

こうして全く予想だにしなかった、一生の思い出に残る沖縄旅行は幕を閉じた。


そしてその後、なぜシャーマンが私についてきてくれたのか、その答えを私が知ることは、永遠になかった。
 

 

突然の訃報 

 

2023年1月29日、パパさんが逝去したのだ。

沖縄旅行からたった二週間、突然の出来事だった。

長きにわたる闘病生活で、身体が徐々に弱っていってることはもちろんわかっていたはずで、
心の準備もしていたはずだった。
それなのにとても急な出来事のように、心がキュッと締め付けられたような気持ちになった。
沖縄旅行の感じからすると、きっとまだ当分は大丈夫だろうと高を括っていたのだろう。


だからこそその訃報を聞いたとき、とても驚いたのを覚えている。

やはり人の命とは、炎のようなものである。
炎が消える直前に大きく燃えるのと同じように、人も亡くなる直前に、不思議と力がみなぎるのかもしれない。


そんな風には思うものの、正直まだ実感がないというのも事実であった。

その訃報から少しして、告別式の日程が決まった。
YouTube活動をしていたことから、その知らせはSNSを通じ、広く多くの人に伝えられた。

告別式はパパさんが亡くなった日から、1週間以上先だった。
そのため喪服やら香典やら、準備に費やす時間は、有難いことに十分にあった。

その期間に告別式のことを考えながら、私の中にはある気持ちが生まれていた。
 

  決意

 

告別式はパパさんとお別れする場。
ならそれまでに、パパさんとベランダで交わした約束、それを必ず果たしたい。
そうして、安心して天国へ旅立ってほしい。


嘘偽りない、心からの想いだった。

そしてそれはイコール「実家に帰る」ということを意味していた。家族を大切にするための、第一歩だ。
パパさんとの約束を抜きにしても、おそらく私が今回の旅で最も変わるべきところであり、
最も成長したことを証明できるものであった。


実家に帰る
そう思った途端、使命感に加えて、不安やら嫌悪やら恐怖やら、いろんな感情が一斉に襲ってきた。
しかしそれは、自分の中で一つ覚悟ができた証でもあった。

そんな心に渦巻く様々な感情を無視し、久々に母親に連絡をとると、珍しく日曜と月曜が連休とのことがわかったので、
日曜に実家へ帰ることを決意した。
自分から母に連絡を取ること自体、それだけでもかなりの成長ではあるのだが。


このタイミングしかない。このタイミングを逃したら、絶対にダメな気がする。
そう直感し、これまでの自分と決別することを誓った。


とはいえ実家を離れてから、初めての帰省。
素っ気ない返事や必要なことだけ話すということを除けば、母とまともに話をしていたのは、おそらく15年以上前
不安な気持ちはどうしても拭えなかった。

実家に帰る」という客観的に見れば大したことのないこの行動を、
どうすれば私にとっていかに過酷なものであると伝わるのか、少し考えてみた。

自分の中で最も触れられたくない、そして自分も向き合いたくない部分に、正面切って向き合い、それを受け入れる感覚。

もう絶対に許さないという気持ちを、何回も何回も重ね、一生関わりたくないとさえ思う相手を許す感覚。

色々考えてみたが、単純な話、15年以上まともに口をきいていない相手と、また普通に会話をするようになるということだけでも、ある程度は伝わる気がしてきた。


こう思うと、あれだけの経験をアヤワスカでしておきながら、本番はアヤワスカが終わってからな気さえしてきた。
それほどまでに、トランプがメキシコとの国境につくった壁に引けをとらないくらい、大きな大きな壁が、私の心には存在していた。

それにこの話が誰かに伝わること自体、薄情なやつだとか、親を大切にしない酷いやつだとか思われるのが怖くて、
ほとんど誰にも言ったことがなかった。


でもどこかで罪悪感もあったのだろう。

いつかは向き合わなくてはいけないと、ずっと心のどこかでは感じていたからこそ、今回このような決断をしたのだと思う。
 

  帰省当日

 

帰省当日は、朝から変な気分だった。

また変なことを言われないかとか、また嫌な気持ちになったらどうしようとか、自分がどう接すればいいのかとか、
色んなことが胸の中をぐるぐると駆け巡っていた。


昼過ぎになり、準備を始める。
飼っている猫も連れて帰るため、トイレやらご飯やら色々と準備が必要になる。

背中に猫の入ったリュックを抱え、猫関連一式と地元の友人に渡す荷物とで、かなりの大荷物になっていた。

いよいよ出発。


駅まで徒歩10分。電車で40~50分揺られ、そこから普段ならバスを使うが、荷物が多いのでタクシーを使う。
10分ほどかけて降り、そこで地元の友人にまずは荷物を渡す。
その友人は職場がたまたま同じビルだったこともあり、そこまで久しぶりではない。

少し話をしてその友人と別れ、いよいよ実家へと向かう。
もう日は沈んでいた。

実家に帰るだけだというのに、なんだか戦場にでも向かう気分だった。
気を抜くとすぐに心に壁を作ってしまいそうだったので、なるべく無心で歩くことにした。

そしてついに、実家に到着。
ピーンポーン
インターホンを押し、出迎えを待つ。

ガチャッ

ドアが開く。母親だった。

ただ随分顔を見ていないこともあって、自分の知っている母親の顔より、随分と老け込んでいたことに驚く。
それだけ長い間、自分は母親の顔を見ていなかったのだと、実感する。


はい、おかえりー。

それでもいつもと変わらぬ笑顔に、私が一方的に壁をつくっていたのだと思い知る。

それからは、母がいつも通り接してくれたこともあり、私も自然体で過ごすことができた。
それに猫を連れて帰っていたこともあり、話題に困ることはなかった。


ただ心の奥底でざわざわとした感情はあったようで、
寝る前、私はメモに「心の形が変わってしまうような、違和感。」と残していた。


なんだかこれまで自分を築き上げてきたものを崩してしまうような、自分じゃない何かになってしまうような感覚。
そういった感覚があった。

でもこれはきっと間違ってない、そうも感じていた。

もしも万が一心が嫌がってるとしたら、それはきっと私が心の中に生み出してしまった悪魔が、
居心地が悪いと嫌がっているのだろう。


こうして一世一代の大決心は、特別何かあるわけでもなく、あっけなく終了した。
 

でも、これでいいのだ。

このきっかけ、この一歩が大切なのだ。
立ち止まった状態からの一歩と、一歩からの二歩では、難しさは全く違うのである。

普通に接することができた、その事実があるだけで、次の一歩が容易になるのだ。


ただ今振り返ると、きっとお自分ひとりではできなかったのだろうと思う。
直感だがきっと陰でシャーマンやピューマ、パパさんがサポートしてくれていたのだと思っている。
本当に頭が上がらない。ただただ感謝するばかりである。

 

  パパさんが亡くなった日の不思議な話

 

ここで少し思い出した不思議な話がある。


話は少し戻るのだが、パパさんの訃報を知った日のこと。
その日の夜、私をペルー旅行記をパソコンでまとめていたのだが、
その時にふと、背中と腰の間あたりを誰かに触られたというか、そっと手を添えられたような感じがしたのだ。

驚いて振り返るが誰もいるはずがない。
ただシャーマンがついてきてくれてるとパパさんから聞いた後だったこともあり、
シャーマンが大変だったな、と慰めてくれてるのかもなー程度に考えていた。

その後、時刻はもう深夜。
そろそろ寝るかと、スマホに手を伸ばし、そこではじめてパパさんの訃報を知ることになる。

私がその不思議な体験をしたのは、パパさんが亡くなった後のことだった。
もしかしたらあの時の手は、シャーマンではなくパパさんだったのかもしれないと、そのときに感じたのだった。
実際のところは気のせいかもしれないし、何なのかはわからない。


ただそう思った方が幸せなので、きっとパパさんが挨拶に来てくれたのだと思うようにしている。
 

  告別式当日

 

話は戻り、いよいよパパさんの告別式当日。
その日だけ、突然の大雪だった。

直感で「これはもしかしたら、天がパパさんの死を惜しんでいるのかもな~」と思った。
後で調べてわかったことだが、こういうのを「なごり雪」と言うらしい。

文字にすると少し宗教じみていて気持ちが悪いかもしれないが、

実際に途切れない参列者、供花の数、供花の早々たる芸能人の名前だけ見ても、
本当に多くの人に愛されていたのは明らかだった。


なぜ芸能人の方から供花があったのかといえば、おそらくパパさん自身がテレビに出演する機会があったこともそうだし、
息子さんが芸人だったことも関係しているだろう。

とりあえず誰が何と言おうと、私にとっては本当に素敵な人だった。それだけは間違いない。

式は順調に進み、いよいよ出荷前の最後のお別れになった。
お花をもらい、棺に入ったパパさんのもとへと歩みを進める。

一歩一歩、ゆっくりと近づく。
段々と顔が見えてくる。
そして、棺の前へとたどり着く。

そこにいたのは、生前のパパさんよりも随分と若く見える姿で、けれども確実にパパさんだった。

そこでようやく、本当にパパさんが亡くなったのだという現実が、一気に襲ってきた。

正直告別式当日になっても、式の途中パパさんの遺影を見ていても、どこか実感がなかったのだが、
棺に入ったパパさんを見たとき、はじめて現実を突きつけられたのだ。


その瞬間、一気に何かが込み上げてきた。

パパさんに近づき、そっと頬を触る。
...冷たい。
でもその表情は、とても安らかだった。



パパさん...そんな幸せそうな顔されたら、戻ってきてなんて言えないね。
でもきっとそれは、今までたくさん頑張ってきたからなんだよね。
実はね、こっちも頑張ったんだよ。パパさん。本当に頑張ったんだよ。
今日こうしてパパさんに報告するために。

どうかあっちでも元気でね。

本当に今まで、ありがとうございました。
僕もパパさんのように、絶対に最後まで、必死に生き抜きます。


気付けばマスクの中は、涙と鼻水でびちゃびちゃになっていた。
なんとも情けない顔で、パパさんの新たな旅路を送り出してしまった。




人生つらいこと、悲しいこと、本当にたくさんある。
惨めで、情けなくて、数えきれないほどの後悔がある。


それでもわたしは、人生という旅を、最後まで必ず生き抜く。決してあきらめない。

私を変えられるのは、わたししかいないのだから。



こうしてまた一つ、長くきつく、苦しく悲しく、楽しくうれしく、温かく学びのある、
不思議で、夢のような旅が終わりを告げた。

でもすべてはプロセス。
ここからまた新たな旅が、はじまっていく。

 

  さいごに

 

ペルーから帰って何か変わった?と言われることがよくある。

もちろん心が軽くなったことや、考え方が変わったことなど、一時的でもたくさん変化はあった。


しかし目に見えて変化したこと、アヤワスカを体験してなければ絶対にできていないことを挙げるならば、
おそらく実家に帰省したことだと思う。
これだけは自分の中で、ありえないことだったからだ。

それに未だにお腹は壊すし、なんであんなことしてしまったのかと自暴自棄になったり、
不安や恐怖から人に対して壁をつくってしまうこともある。


それでも自分を変えられるのは自分しかいないのだと気付くことはできた。

だから今後何があっても、そんな自分を受け入れつつ、あきらめずに前を向いて頑張っていこうと思う。


最近になり、やりたいことがたくさん見えてきた。


やりたいことができたというより、元々やりたかったことを思い出しているに近いのだが。
どかでみた「自分を変えるというのは、自分に還ること
という言葉が、今重く胸に突き刺さる。


待ってろアヤワスカ!またいつか。