お久しぶりです。

突然ですが、わたしは思いついたことをとりあえずスマホのメモに残すという習性があります。

それを定期的に見返すのですが、先ほど見返していたら、「こころのカメラ」というメモが出てきました。


おそらく絵本で形にしようとしたと思うのですが、これからもしばらく埋もれている気がするので、なんとなくこちらにあげてみようと思います。
(思いついたまま殴り書いたものなので、大したものではない)

 

  こころのカメラ

 

じつはね、だれもが一台カメラを持ってるんだ。
パパのでも、ママのでもない、きみだけのカメラ。
それをこころのカメラっていうんだ。

こころのカメラは、はじめましてのものが大好き。
もしそういったものに出会うと、こころのカメラは大はしゃぎ。
飛び跳ねていつもよりたくさん写真をとっちゃうんだ。

そうしてとった写真は、こころのアルバムに行く。
そしてぼくたちはその写真を見て、「あー今日は楽しかったなー」とか「あのときは悲しかったなー」とか思うんだ。

その写真の数をとおして、ぼくらは時間の長さを感じるんだ。


そしてこれからいうことはとても大切なこと。

じつは、一日にとれる写真の数は、ずっと一緒ではないんだ。
みんなのカメラは、大人たちよりたくさんの写真がとれるんだ。

逆にいうと、大人になればなるほど、一日にとれる写真の数はへっていく。

どれくらい違うかっていうと、きみが大人になるまでにとれる写真が100枚だとすると、

大人になってから一生かけてとれる写真も100枚くらいしかないんだ。

だからおおくの大人たちは、毎日こころのアルバムを見返しては、何もないページを見て、「時間が過ぎるのは早いな〜」って悲しむんだ。
それに大人になると、だいたいは同じような写真ばかりになってきて、アルバムは退屈なものになる。

だから今きみの持ってるカメラはすごく特別なんだ。
今たくさん使わないと、もったいないんだ。

気づいたらカメラはあっという間にボロボロになって、とれる写真の数も少なくなってる。
こころのアルバムもすっからかんになるんだ。

だから、
たくさんいろんな人と会って、お話して、笑って、遊んで。
たくさんいろんなものを見て、触れて、楽しんで、感じるんだ。

そしてそれは、大人になってもわすれちゃだめだ。

みたい、知りたい、行きたい、やってみたい。
その気持ちを忘れなければ、きっと大人になってもこころのアルバムは、いっぱいのままだ。