臍帯血移植後4年経過 | タイ人と日本人のアジアンライフ

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中華系タイ人の夫、9才娘と日本で生活。一時住んでたタイが恋しい日々。2016年急性骨髄性白血病、発覚時余命二日の抗がん剤効かない予後不良から臍帯血移植を経て癌サバイバーに。

こんばんは。
全然ブログを更新していなくて、すみません。

 
実は、今年の7月5日で
臍帯血移植をしてから4年が経ちました。爆  笑
移植を受ける前は、そんなに生きられ ると思わなかったです。
1年が生きられればいいと思いました。
(実際、移植後、1年の間に何度も死にそうになり、
1年を生き抜くのが一番大変でしたが・・・)
 
移植を受ける前、受けた時、
他の人のブログで4年とか経過してる人を見かけると
羨ましくて、夢みたいな話で、キラキラして見えました。
でもね、4年、生きることができました。
 
嬉しくて、携帯でスクリーンショット。チュー
 

 

あの時、まだ1歳で11ヶ月で、
泣きながらお別れしたナーちゃんは、
今では、すっかり5歳のおねえさん。
来月には6歳になります。身長は116㎝。
ちびまる子ちゃんと、ちこちゃんに憧れて、
スーパーロングだった髪の毛をバッサリおかっぱに。
 
 
もうすっかり日本語はペラペラに。
タイ語は、リスニングが日常会話30%くらいの理解度。
英語は、挨拶+α程度。

 

 
そして、今でも甘えん坊で、
シャキシャキ何でもできるのに
ペターっとくっつくのがすきです。
 
↑コロナ式握手?笑
今日、小籠包屋さんの前にいたパンダ
 
ちなみに、時計はまだ読めません。笑
長い針が読めないらしい。www
来年は小学生なのに大丈夫???
 
 
4年たち、ふと今日、自分のブログの病気のとこだけ
読み直してみました。
あまりの壮絶さにびっくり。びっくりあせる
 
でもねー、
苦しいこともあったけど、
毎日呻いたことととか
苦しかったり、辛くて眠ることもできなかったこととか、
このまま無菌室で娘に会えずに死んでしまうのかと泣き叫んだこととかあったけど
 
でも思い出すので、なぜか病室にお見舞いに来てくれた母との会話とか
担当の先生とお互いの家族の話で盛り上がった話とか
担当医先生に「新人は処置が下手だからやだ!担当医先生、こっそりやって!」と
わがまま言ったこととか。(担当医先生は嬉しそうに笑ってた)
兄が「俺が病気をかわってやりたい」って言ってくれて泣きそうになったこととか
タイから、夫の友人、兄妹、義両親がお見舞いにきてくれたこととか
なーちゃんがクリスマスに雪だるまの着ぐるみ着てお見舞いに来たこととか、
 
そーんな楽しいことしか思い出せないんですウインク
 
 
今、病気と戦っている人たち
絶対にいつか、そんなこともあったよね。って笑えますよ。
大丈夫。今頑張ったことは、未来へと繋がってますよ!!
きっときっと大丈夫。
 
 
コロナでお見舞いが禁止されていたり、
町を歩くだけでも、不安に襲われたりするけれど、
できるだけ笑って過ごしたいですね。
笑って免疫を上げて、病気もコロナも乗り換えよう!
ちなみに、私は病院にwifiを持ち込んで
移植時は「さまーず」をずっと見てました。にやり
24時間寝ることは人間できないから
痛くて苦しい起きている時間、何とか気を紛らわせたくて。
(そうそう、電気カイロをずっとお腹に当ててました。これ、大切)
 
 
祝4年!!!
臍帯血くん、先生たち、家族のみんな、ありがとう。
ブログを通して支えてくれた人たちも、ありがとうございます。