t_jetronicの学べない郷土史・第2回 ~白銀川(銀水川)~
近ごろ郷土史にハマっています。
郷土史を研究された先人方が執筆された本を拝見すると、身近な川一つにも私が知らない歴史が有ったんだと知りました。
郷土史を研究された先人方が執筆された本を拝見すると、身近な川一つにも私が知らない歴史が有ったんだと知りました。
福岡県大牟田市を流れる二級河川・堂面川水系・白銀(しらがね)川です。
私など地元の人間は、銀水(ぎんすい)川と呼んでいます。
私など地元の人間は、銀水(ぎんすい)川と呼んでいます。
(この白銀川の源流部には吉ヶ浦溜池が有りますが、別の機会にご紹介したいので今回は割愛します。)
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20191027/20/teejetronic/f6/11/j/o0526035914625200970.jpg?caw=800)
先日天気が良い日に、上内小近くの喫茶店「ろーかる」の南側から下ってみました。
この川には沢山の井堰が設けられています。
昔から周りの田畑にとって無くてはならない川なのです。
昔から周りの田畑にとって無くてはならない川なのです。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20191027/20/teejetronic/41/ae/j/o0564040314625200978.jpg?caw=800)
見てください。美しい鯉が沢山泳いでいますよ。^^
鯉は放流されているのだと思いますけど。上坂井地区の皆さんの愛情が伺えます。
鯉は放流されているのだと思いますけど。上坂井地区の皆さんの愛情が伺えます。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20191027/20/teejetronic/65/11/j/o0627037014625200985.jpg?caw=800)
川砂もキレイです。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20191027/20/teejetronic/c7/da/j/o0520034814625200989.jpg?caw=800)
川沿いの酒屋さんの犬は昼寝タイム。
私と思いっきり目を合わせたのに、眠り込みました。^^;
私と思いっきり目を合わせたのに、眠り込みました。^^;
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20191027/20/teejetronic/6d/e4/j/o0638042714625200993.jpg?caw=800)
田んぼの中に大きな岩が二つ。「岩本の長者岩」です。
~むかし、この地に岩本長者の屋敷があった。
歳月は流れて長者は亡くなり屋敷も荒れ果てたが、この岩だけはそのまま残っていた。
後世になって田んぼの岩が邪魔だというので取り壊す事になった。
石工がのみを当てて金槌で叩くと、岩から赤い血が流れ出たので石割りは中止された。
それ以来、触ると祟りがあるといい、今も岩本の田んぼの中に据わってこの世を見守っています。~
歳月は流れて長者は亡くなり屋敷も荒れ果てたが、この岩だけはそのまま残っていた。
後世になって田んぼの岩が邪魔だというので取り壊す事になった。
石工がのみを当てて金槌で叩くと、岩から赤い血が流れ出たので石割りは中止された。
それ以来、触ると祟りがあるといい、今も岩本の田んぼの中に据わってこの世を見守っています。~
・・・という岩本の地名起源の伝承があります。
(岩本のセブンイレブンからでも、三池山方面を向くと何とか見る事が出来ます。)
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20191027/20/teejetronic/18/dd/j/o0619040414625200999.jpg?caw=800)
しばらく下ると、九州新幹線・新大牟田駅が見えてきました。ついに来月開業ですね。
また、ここから橋脚に沿って南側へ細い道を上ると茅葺屋根の立派な御屋敷・白仁家住宅が見えてきます。
与謝野鉄幹・晶子夫妻に師事した歌人、白仁秋津の実家です。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20191027/20/teejetronic/ba/6b/j/o0570035414625201004.jpg?caw=800)
この辺りが、白銀地区になります。
川も澱みはじめ、ゴミも時々見受けられます。 ーー;
ここでは鴨が常駐しているようですね。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20191027/20/teejetronic/01/af/j/o0638042714625201010.jpg?caw=800)
ず~っと下りまして、手鎌の忠屋橋に来ました。
ここで二手に分かれます。
ここで二手に分かれます。
画像左手のクネクネ曲がった流れが本来の白銀川(銀水川)です。
では、右手は何かというと、江戸時代に柳河藩が灌漑水路として掘った「新川」と呼ばれる流れなんです。
だからこちらは、ほぼ真っ直ぐな流れなんですね。
では、右手は何かというと、江戸時代に柳河藩が灌漑水路として掘った「新川」と呼ばれる流れなんです。
だからこちらは、ほぼ真っ直ぐな流れなんですね。
因みにこの灌漑工事の設計・監督を行われた人物は柳河藩普請役で宮部村(現大牟田市宮部)の
今村五郎兵衛という方です。
この方は黒崎開の干拓や宮部の灌漑用水路なども整備されました。
こちらも現在調査を行っていますので、いつかご紹介したいと考えています。^^
この方は黒崎開の干拓や宮部の灌漑用水路なども整備されました。
こちらも現在調査を行っていますので、いつかご紹介したいと考えています。^^