本日もお読みいただき、ありがとうございます。
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今日は朝から厚い雲に覆われている東京です。
冬らしい凛とした寒さですね。
久しぶりに10キロ走ってきました。
トレーニングの成果か、10キロでは今年最速のタイムが出ました!
その分、バテています(笑)。
午後も走りきります!
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昨日、映画監督の森田芳光さんが61歳で亡くなられました。
若かりし頃、映画の制作に携わっていた私としては、
『えっ・・・・・・・・』
という感じです。
森田監督といってもなかなかピンとこないかもしれませんが、80年代の日本映画界を支えた一人と言っても過言ではありません。
日本映画界の時代の寵児です。
『家族ゲーム』という映画なんか、とても印象的でした。
90年代以降はそんなに見ていませんが、『39 刑法第三十九条』や『黒い家』なんかは、非常に見応えのある
映画でした。
森田監督と言うと、私のイメージでは、自主映画出身の監督ということですね。
かつては、映画監督というと、撮影所に入り助監督などを経験して、何年も下積みを経験した上で、やっと一本映画を撮らせてもらうというそういうシステムしか存在しませんでした。
そこに、自分たちで映画を作って、その能力を認められた人が、そのまま映画監督になるという一つの流れを作った人だとも言えます。
そういう意味では、私の憧れの一人だったとも言えます。
ただ、森田監督のよさは何かと聞かれると、すごく答えづらいんですね。
例えば、森田監督が自主制作で作った『ライブイン・茅ヶ崎』という映画を観たことがあるのですが、何がいいのかさっぱりわかりません(笑)。
ただ、そこに登場している人物の、温かさや息遣いはすごく伝わってきます。
おそらく、映画的表現は後天的に身につけることが出来るのでしょうが、人への眼差しや人物の切り取り方は、その人の感性や感覚に大きく委ねられるものです。
そういう意味では、その部分で人の心を動かし、可能性を感じさせる監督だったのでしょう。
結果的に、日本を代表する監督の一人となったのですから。
90年代以降は監督をすることについていろいろと悩まれていたみたいですが、もっと長生きして、もっとたくさん映画を作ってほしかったです。
森田芳光監督のご冥福をお祈りします。
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2001年12月22日の『食事日記』
この日は、お昼に和風弁当を食べています。
おそらく幕の内弁当みたいなものでしょう。
きっと、時間をゆっくりとれずに、誰かに買ってきてもらったものを食べていたんだと思います。
なぜなら、10年前のこの日、私はある映画館でアルバイトをしておりました。
そして、『殺し屋1』という映画の初日だったんですね。
その映画館では出演者の舞台挨拶が頻繁に行われていました。
この日も、舞台挨拶が行われています。
こういう日は、舞台挨拶用の舞台のセッティングと映写の仕事でいっぱいいっぱいになります。
初日は映写トラブルがないか、すごく神経質になります。
ご飯はゆっくり食べられないんですね。
そんな日もありました。