毎月第3月曜日に

地元放送局SBSラジオで

15分間、お話しさせていただいています。

フェアトレードの紹介をしたり、

私が暮らしてきた海外の国々での出来事などを

パーソナリティーの中村こずえさんと

おしゃべりしています。


今日は、スマトラ沖地震により発生した

スリランカで体験した津波について

お話させていただきました。



19年前の1995年1月17日は阪神淡路大震災が起こった日です。

その時、私はスリランカにいて、

地元の新聞で震災があったことを知りました。

当時はテレビがなかった(実は今もないのですが・・・)ので、

同じ年の3月に両親がスリランカを訪れた際に持ってきてくれた

その時の新聞で、高速道路が寸断された写真をみて

とてもショックでした。

同じ年の3月に地下鉄サリン事件があったので、

スリランカでは

「こんにちは」「さようなら」と言う日本語に加え

「コウベ」「サリン」と言う言葉が広まりました・・・。



さてさて、本題ですが、

2004年12月26日には、スマトラ沖地震があり、

スリランカも津波の被害を受けました。

5000人以上の方が亡くなり

80万人以上の方が家を失いました。


この日は、スリランカではBOXING DAYと言って

クリスチャンの人たちにとっては特別な日です。

スリランカは仏教徒が多いのですが、

殺生が禁じられているので、

漁師はキリスト教徒かイスラム教徒の人たちです。

津波の1波目は数10センチだったのですが、

引き潮が強く、沿岸からかなり先まで潮が引き、

砂浜に取り残された魚がピチピチはねていたので、

漁師たちは、”ミラクル”が起こったのかもしれないと思い、

家族総出で、バケツを持って、魚を取りに行きました。

夢中で魚を拾っているときに、1波目よりも数倍の高さの第2波が

襲ってきて、多くの人が、波にさらわれてしまいました。

"TSUNAMI"を知らなかったために被害が拡大してしまったと

聞きました。


また、この津波で80万人もの方が家を失いましたが、

なんと1年で仮設住宅で暮らす人がいなくなりました。

「仮設住宅で暮らすんだったら、狭いけど家においで」

と、親戚の家などで暮らすようになったからだそうです。


津波のあった日、私は仕事をしていたのですが、

津波の被害があまりにも大きかったので、

翌日からしばらくは会社をお休みにしました。

会社のスタッフは親戚や友人で連絡がとれなくなってしまった人を

探しにいったり、

私自身は、日本から援助に来られた方たちのアシストをしていました。

機材持ち込みの許可をスリランカ政府に申請したり、

宿泊先を確保したり、

食事の手配をしたりしました。


自然の力はとても脅威で、

その破壊力に当時は無力感も抱きましたが、

でも、人は助け合い、協力しあうことにより

乗り越える力を持っていると言うことも

スリランカの津波体験から身を持って学びました。


東日本大震災からもうすぐ3年です。

まだ、大勢の方が仮設住宅で暮らしていると言う状況は

日本人にとして、改めて現状をしっかりと考え、受け止め

できる行動を起こしていかなくてはと思います。

小さくてもできることを継続していこう!と。