遠方より知人が訪ねてくれました。

お土産と言って渡して下さったのは

とっても懐かしい本の日本語版でした。

スリランカに滞在していた時に

お世話になったおじいちゃんから

”Kilali Crossing”

という本をいただきました。

おじいちゃんの親友である

Suriyakumaran(スーリヤクマラン)教授が書いた

スリランカの内戦に翻弄された若者の

絶望と希望の物語です。

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少し長くなりますが、

今日は、この「おじいちゃん」と私の出会いを

書こうと思います。

今から15年以上も前のことですが、

当時、私はスリランカの電話会社

スリランカテレコムに勤務していました。

いつものようにオフィスで仕事をしていると

電話がなりました。

”Yes、Imai speaking" (はい、イマイです)

と答えると

”Are you Japanese?" (日本人か?)

私が ”Yes, I am" (はい、そうです)

と答えると・・・

その電話の主は、

私に電話がつながるまでのいきさつと

なぜ、私と話がしたいのかを

淡々とでもとても厳しい口調で

話し始めました。



スイスに住んでいて、スリランカの自宅には

休暇で年に1ヶ月くらいしか滞在していないが

滞在している間だけ電話をつなげるのは手続きが

煩雑なので、継続して使用料を払っている。

にも関わらず、

テレコムは、私がスリランカでビジネスをしていると勝手に思い込み、

毎月の基本使用料をビジネスのカテゴリーで請求し続けている。

もう何年も、帰国するたびに苦情を言っているが

誰も何もしてくれない。

今回帰国したら、テレコムが日本人のマネジメントなったと

知り、きっと日本人なら、なんとかしれくれると思い

5回も6回もたらいまわしにあったが

やっとあんたと話ができた。

さあ、どうしてくれる・・・


私は、そこで

「わかりました。ご住所を教えてください。

これから伺いますから」とだけ言い、

お名前と住所を聞き、早速ご自宅に

伺うことにしました。

お名前から、その方は、タミル人だとわかり、

英語の話し方から、きっと弁護士か大学の先生かと想像し、

その電話の主はとっても気難しそうな方のように感じました。


さあ、どう電話の主の不満と向き合おうかと考えると

ちょっと憂鬱になりましたが、

これも大切なお客様サービスと思い、

意を決して、ご自宅のインターホンを鳴らしました。

自宅はスリランカの高級住宅街の中にある

外国人が多く住むアパートの1つでした。


ドアを開けてくれたのはタイ人の中年女性。

電話の主のパートナーのようです。

書斎に案内され、そこには、

大きな背もたれの革の椅子に座り、

葉巻をくゆらしている

初老の老人がいました。

壁は本で埋め尽くされていて、

机の上には、テレコムの請求書が散乱していました。

私は、「あ~~これはえらいことになった・・・

他のスタッフといっしょにくればよかった」と内心思いましたが、



私がまず、

「テレコムの対応に不備があり、申し訳ありませんでした。」

と言い、続けて、加入電話の種類に関してのヒアリングをしようとすると

その初老の老人は

「いやいや、よくきれくれた!!

こんなの初めてだよ。あんたは面白い。

電話をしてから30分と経っていないよ。

どうだ、一杯!」

と言って、私にウイスキーを進めようとします。

私は、勤務中ですからとお断りすると

「まじめな日本人だな。」

と、コーヒーを出してくれました。


緊張しきっていた私もリラックスでき

タイ人のパートナーの女性もいっしょになって

1時間くらいおしゃべりをして

加入電話のビジネスから住宅用に変更するための

手続きを必ずするとお約束をし、

ご自宅を辞しました。


おじいちゃんの名前は、Dr.Kingsley。

おじいちゃんのパートナーはSupa。

それ以来、

彼らがスリランカに滞在している間は

週に3、4回は夕食をともにし、

私がお宅へ伺えないときは、

Supaがタイ料理を私のアパートに届けてくれました。

私がスイスに出張した時は

空港まで迎えに来てくれ

ご自宅に1週間も泊めてくれました。

ジャフナ出身のDr.Kingsleyは

スイスでの仕事を早期退職して

ご自分の出身であるジャフナ(Jaffna)に

戻りたいとずっと言っていました。

内戦中だったジャフナにも一緒に

行きました。

Dr. Kingsleyを慕う人たちといっしょに

ジャフナに住むタミル人の未亡人や子供たちのために

小さなボランティア活動もしました。

私はパソコンを教えました。

でも、電気が来ないことが多く、

折り紙や紙飛行機を作って

子供たちと遊びました。



私の10年間のスリランカ滞在は

Dr. KigsleyとSupaなしでは

あり得ません。


他の国に滞在していている間も

ハガキを出したり、

電話で話をしたりしていましたが、


ここ3年くらい全く連絡がとれなくなって

しまいました。


Kilali Crossingを久しぶりに手にとって

お二人のことを思い出し、

元気でいてくれるといいな・・・と

しみじみ思っています。




Dear Kinsley and Supa,

I hope both of you are fine.

I miss you a lot.

Hope to see you somewhere.


Nahoko