昨日のブログの続きです。

スリランカに青年海外協力隊員として2年間、
村の女性たちとパッチワークやキルティングなどの手法で
手工芸商品を作り、行商を続けました。

私は、村の女性たちに、
原価計算、
在庫管理、
給与計算、
などなど、私の知る限りのことを教えて
スリランカを離れる日まで女性たちといっしょに
活動していました。

ちょうど内戦やテロ活動が活発化した時期だったこともあり
首都で開催される予定の帰国前の報告会やJICA事務所などへの行事が
すべてキャンセルされたことを幸いに、最後まで村での生活を楽しみました。

日本に戻ったら、OLに早変わり・・・満員の通院電車に長時間揺られ~
帰りは終電で・・・ぐったり・・・

そんな私に1通の手紙が・・・

「スリランカでいっしょに仕事をしませんか」と願ってもないオファーが
舞い降りてきました。

その手紙をいただいてから、2か月後には、私はスリランカに再び滞在していました。

仕事が休みの日を利用して村を訪れました。

突然の訪問にもかかわらず、村人たちは皆歓迎してくれ、
隊員の時に戻ったように楽しい時間を過ごしました。

私が一番気になっていた、女性たちの活動はどうなっているのか
聞いたところ、

リーダー格の女性が
「ミス、頑張って続けているよ。でもね、
私たちは、田舎者だし、英語もできないので、
店の人と交渉ができなくて・・・
買値が下がり、続けるのが難しくなっているんだよ」

と話してくれました。

実は、私が隊員だったときに、こんなことがあったのです。
当時JICA事務所はコロンボ市内の高級ホテルの中にありました。
ボランティアの私が事務所に行くときは、
Tシャツにジーンズ、ビーチサンダルだったとしても、
ホテルではとても丁寧に迎えてくれます。

ある日、私たちの商品を事務所の所長や所員の方に
見ていただく機会を得、JICA事務所を訪問することになりました。
村のお母さんたちは一張羅のサリーを着て、緊張しています。

ところがホテルの前で・・・
ドアボーイが、
「この人たちはホテルには入れない」と言ったのです。
私が訪問の理由を言ってもダメです。

でも、村のお母さんたちは、それがわかっていたようで、
私に
「ミス、私たちは外で待っているから、ミスだけ行ってきて」と
言うのです。

私は納得が行かず、ホテルのマネージャーに掛け合いに行きました。
でも、答えは同じ・・・

そしたら、別の女性のスタッフが
「JICAの所長さんからマネージャーに電話して入れるように
言ってもらったら」とアドバイスをしてくれました。

早速、内線電話を借りて、事務所に電話をして、事情を話し
所長からマネージャに言ってもらいました。

マネージャは、村のお母さんをホテルに入れるように
してくれました。

同じ国に住み、同じ言葉を話すのに、差別があります。

南南問題。
フェアトレードはそもそも南北問題から端を発して
起こったMovement(活動)ですが、
実は、南の国の中でも同様のことがあります。

日本人の私が村のお母さんたちといっしょに活動していたので、
よい条件で商品を買ってもらったり、
店主と対等に交渉できていたのです。
でも、私がいなくなったら・・・
状況が一変し・・・

「買いたたき」が始まりました。

その時の私はまだフェアトレードを知らず、
村のお母さんたちが作ったものを私が買い取り、
知人たちにあげたり、買ってもらっていました。

結局問題解決をすることができず、
村のお母さんたちの「行商」は終わってしまいました。

長くなりました。
本当は2回で書き終える予定でしたが、
明日につづきます・・・。