少し前のブログでミャンマーと日本のボディーランゲージの意味の
違いについて書きました。
今日は、ミャンマーで驚いたことを書きます。
ミャンマーは1948年に英国から独立しました。
その時に大きく変わったことがあります。
ミャンマーの空港に降り立って、
出迎えてくれた現地スタッフのクルマに乗って、
大学近くの宿泊施設まで移動中に気が付きました。
幹線道路をかなりのスピードで走っていくのですが、
助手席に座っていた私は、何だかとても落ち着かず、
足に力が入ってしまうというか、ずっと踏ん張っているような
感じでした。
と、言うのも、対向車がとても近いんです。
行き交うクルマのほとんどは日本車なので、
ハンドルは右にあります。
そして、走っている側も同じく右側なのです・・・
植民地の時は英国式で、クルマは左側通行だったのですが、
英国から独立した時に右側通行に変わったのです。
運転手さん曰く、
「やっぱり、独立したんだから、
何か大きく変わらないとね!」
だそうです。
そんな訳で、助手席側が道路のセンターよりになるんので
助手席に座っていた私は、緊張して、怖くて足を踏ん張っていたのです。
特に左折をするときなどは、運転席から対向車がみにくいので
かなり交差点の中心部まで出て待ちます。
助手席のすぐ近くを直進していくクルマが通過していくので
座っている人はヒヤヒヤです。
更に驚いたのは、
路線バスです。
乗り降りするドアは車道側です。
バスから降り立つのは
道の真ん中です。
ミャンマーの人たちは慣れているので、
降りたら、直ちに前後を確認して、
歩道側に渡ります。
私は、立ちすくんでしまったことが
何度かあり、そのたびに後方から来るクルマが
止まってくれましたが、
クラクションを鳴らされることもしばしでした。
そう言えば、私が2008年まで滞在した
サモアも2009年にこれまでの右側通行から
左側通行に変わりました。
人口18万の国、確か信号機は3つくらい??
混乱はなかったのかしら???
私は助手席に乗っていて、
違いについて書きました。
今日は、ミャンマーで驚いたことを書きます。
ミャンマーは1948年に英国から独立しました。
その時に大きく変わったことがあります。
ミャンマーの空港に降り立って、
出迎えてくれた現地スタッフのクルマに乗って、
大学近くの宿泊施設まで移動中に気が付きました。
幹線道路をかなりのスピードで走っていくのですが、
助手席に座っていた私は、何だかとても落ち着かず、
足に力が入ってしまうというか、ずっと踏ん張っているような
感じでした。
と、言うのも、対向車がとても近いんです。
行き交うクルマのほとんどは日本車なので、
ハンドルは右にあります。
そして、走っている側も同じく右側なのです・・・
植民地の時は英国式で、クルマは左側通行だったのですが、
英国から独立した時に右側通行に変わったのです。
運転手さん曰く、
「やっぱり、独立したんだから、
何か大きく変わらないとね!」
だそうです。
そんな訳で、助手席側が道路のセンターよりになるんので
助手席に座っていた私は、緊張して、怖くて足を踏ん張っていたのです。
特に左折をするときなどは、運転席から対向車がみにくいので
かなり交差点の中心部まで出て待ちます。
助手席のすぐ近くを直進していくクルマが通過していくので
座っている人はヒヤヒヤです。
更に驚いたのは、
路線バスです。
乗り降りするドアは車道側です。
バスから降り立つのは
道の真ん中です。
ミャンマーの人たちは慣れているので、
降りたら、直ちに前後を確認して、
歩道側に渡ります。
私は、立ちすくんでしまったことが
何度かあり、そのたびに後方から来るクルマが
止まってくれましたが、
クラクションを鳴らされることもしばしでした。
そう言えば、私が2008年まで滞在した
サモアも2009年にこれまでの右側通行から
左側通行に変わりました。
人口18万の国、確か信号機は3つくらい??
混乱はなかったのかしら???
私は助手席に乗っていて、