沖縄 読谷村・摩文仁の丘 義烈空挺隊慰霊 全日本空挺同志会 沖縄支部

沖縄 読谷村・摩文仁の丘 義烈空挺隊慰霊 全日本空挺同志会 沖縄支部

摩文仁の丘に建つ、「義烈空挺隊慰霊塔」読谷村にある「義烈空挺隊玉砕之地」の慰霊碑をお守りし、毎年慰霊祭を実施し、義烈空挺隊を顕彰し、慰霊・鎮魂して、後世に伝える。

9月4日から6日まで、旧暦の盆にあたり、亡くなった方が

それぞれの自宅に戻ってきます。

沖縄は、旧盆が主流です。

この3日間は、亡くなった方の霊をお迎えしています。

亡くなられた義烈空挺隊員の中には、

その御霊を慰霊するご親族がいなくなってしまった方もいらっしゃいます。

今日のお盆の中日に、沖縄支部長が、「義烈空挺隊玉砕之地」を訪れ

義烈空挺隊員の御霊に哀悼の誠を捧げました。

 

9月5日、旧盆の「義烈空挺隊玉砕之地」

 

晴天に恵まれた旧盆中の日

 

線香を捧げる

 

 

 

 

 

戦後80年目の終戦の日。空挺同志会沖縄支部の桃原支部長が

「義烈空挺隊玉砕之地」の慰霊碑に参拝して、ここに眠る

義烈空挺隊の御霊を慰霊しました。

 

慰霊碑のある地域は、屋内運動場の建設の建設が始まり

今まで、雑草がが生え、荒れていた地域が、

草刈り清掃の後、重機により、平らに均され

以前は、道路からは慰霊碑や掩体壕が見えなかったが、

良く見える状況にあります。

 

陸上運動場の門の前に 掩体壕出入口の看板がある

 

 

陸上運動場の入り口前の道路

正面に見えるこんもりとした処が掩体壕の裏側

 

陸上運動場の入り口

 

入り口を入ると右手に掩体壕と慰霊碑がある

屋内運動場の工事の為、フェンスが設けられている

これから工事が進むであろうと思われます。

 

終戦の日の「義烈空挺隊玉砕之地」の慰霊碑

 

工事のフェンスが迫ってきています。

 

 

義烈空挺隊の御霊に祈りを捧げる沖縄支部長

 

 

青い空に、映える「義烈空挺隊玉砕之地」の慰霊碑

戦争は終わりました。安らかにお眠り下さい。

 

 

 

「義烈空挺隊玉砕之地」周辺の地域が、複合施設の建設工事に入っています。

以前から、空挺同志会沖縄支部は、慰霊碑周辺の地域に複合施設が作られることを

事前に承知しておりましたが、8月に入り急速に工事が始まりました。

 

沖縄支部は、読谷村の土木建築課から8月6日に工事の概要について

説明を受け、状況を確認するとともに、慰霊碑への影響を把握いたしました。

 

慰霊碑周辺の工事は、屋内施設建設であり、

慰霊碑周辺はこの施設の駐車場になる予定です。

 

今まで使えた慰霊碑への接近ルートが、

工事関係者以外は立ち入り禁止となりますので、

新たな接近ルートを確保していただきました。

このルートは、文化財である「掩体壕」の接近ルートと

同じになります。

 

慰霊碑に参拝される方、見学される方々には、

大変ご不便をおかけいたしますが、宜しくお願いいたします。

 

忠魂碑の前の道路は、工事関係者以外は

立ち入り禁止となっております。

 

以前の接近ルートは閉鎖されております

(草刈り前)

 

草刈り後もそのまま

立ち入り禁止となっています

 

忠魂の碑のある道路を直進すると

右側に陸上運動場の入り口があります。

入り口を入ります。

入り口を入り右側に仮設の道路があります。

白く映っている道路は工事用の道路で

工事用の道路直ぐ右に仮設の道路があります

道沿いに進むと左にカーブします。

掩体壕の裏に通じています。

 

慰霊碑と掩体壕のある地域に出ます。

 

慰霊碑と掩体壕周辺の地域は、暫くはこのままです。

 

周辺の土地が、草刈りを終え、屋内運動場の建設の為

開豁地となり、遠くからも慰霊碑を見ることが出来ます。

 

陸上運動場の門は、土曜・日曜は閉鎖され、

車両の乗り入れはできませんが、

徒歩にて入門は可能です。

 

慰霊碑周辺の道路は、まだ仮設の為、悪路となっておりますので

お気をつけ下さい。

 

工事により周辺の地域が変化していきますので

ご心配をおかけいたしますが、

読谷村と十分に連絡、協議を実施しておりますので

ご安心ください。

 

 

 

 

「義烈空挺隊玉砕之地」の慰霊碑周辺で

読谷村は、複合施設を建設するために

工事を始めたようです。

 

残念ながら、当方には正式には連絡はないが

8月に複合施設建設工事担当者から説明があるようです。

 

現在、「義烈空挺隊玉砕之地」通じる道路が閉鎖されています。

 

「義烈空挺隊玉砕之地」に向かう道路が

閉鎖され、車両等は進入できない状態にある

 

同じく、慰霊碑に通じる道が

閉鎖されている

 

空挺同志会沖縄支部は、現状についてメールで 読谷村役場の

慰霊碑を担当する教育委員会に連絡したところ

 

今回の道路閉鎖は、重機を使って、掩体壕周辺の草刈り等を実施するとのことで

安全管理対策として閉鎖したとのことでした。

 

当該作業終了に伴い、当該作業については7月末には一旦終えるとのことです。

その後は、道路封鎖は解除されるとのことです。

 

「義烈空挺隊玉砕之地」には、現在、進入できませんのでご承知下さい。

ご迷惑をおかけいたします。

 

 

6月23日は、沖縄県の慰霊の日です。

沖縄戦によって、県民を含む多くの尊い命が奪われました。

主義、主張を語る日ではなく

亡くなられた方々の冥福を静かに祈る日です。

多くが亡くなりました。

義烈空挺隊の隊員と沖縄戦で亡くなった方々の冥福お祈りいたします。

慰霊の日 快晴に恵まれました。

 

国旗を掲げました。

 

沖縄県出身の沖縄支部長が

義烈空挺隊と沖縄戦で亡くなった方に

祈りを捧げます

 

空挺の同期が参拝に訪れていました。

偶然に義烈空挺隊玉砕之地で会いました。

30年ぶりだそうです。

亡くなった方々が会わせてくれたのかもしれません。

 

 

 

 

 

慰霊祭終了後 空挺同志会会長賞授与と

沖縄支部長の感謝状贈呈がありました。

 

令和6年度全日本空挺同志会会長表彰を受ける

桃原玲子さん

 

長年の「義烈空挺隊玉砕之地」の管理と慰霊祭開催の功績

沖縄支部発展寄与に対する功績

 

表彰状と記念メダルの授与

 

義烈空挺隊 山城金榮中尉ご遺族 前田様に対する

沖縄支部感謝状

 

長年にわたる沖縄支部主催義烈空挺隊慰霊祭参列

に対する感謝状

 

義烈空挺隊 稲津少尉御遺族 吉野キヨミ様

に対する感謝状

 

熊本県からご参加して下さいました。

 

 

 

御遺族の方々と関係団体の方々との記念撮影

 

 

 

 

 

沖縄支部長の祭文奏上

空挺同志会会長の追悼の辞

第1空挺団副団長の追悼の辞

の後、献花を行った。

 

副団長の献花

 

献花する参列者

 

 

義烈空挺隊 稲津少尉御遺族

吉野キヨミ様とお孫様

の献花

 

 

 

菊池ミュージアム館長

永田様の献花

 

 

 

 

 

 

主催者代表として祭文を奏上する

沖縄支部長

 

 

 

本日ここに、令和七年度 義烈空挺隊慰霊祭を挙行するにあたり、

全日本空挺同志会 沖縄支部を代表して、謹んで 追悼の言葉を申し上げます。

昭和二十年四月一日、米軍は、猛烈な艦砲射撃のもとに、四個師団を並列して、嘉手納海岸に殺到、

「ありったけの地獄を集めた」と言われた 沖縄戦が開始されました。

 

沖縄を守る、第三十二軍は、大本営の 戦争指導の迷走から、度重なる作戦の変更を余儀なくされ、

防衛体制が未完成なまま 強大な米軍を 迎え撃たねばなりませんでした。 

大本営は、沖縄周辺の 制空権・制海権を 早期に奪取された為、

部隊を増援することも 武器・弾薬を補給することも 全く出来ず、

航空決戦のみに 沖縄戦の勝機を見出していました。

しかし、肝心の航空機の増産は間に合わず 作戦構想の要となる 読谷、嘉手納飛行場を、

早々に、米軍に占領され、航空決戦構想は 根底から崩壊してしまいました。

 

強力な火力と物量に勝る米軍は、必死に戦う 守備隊を 次第に圧倒して行きました。

首里司令部の保持も 困難となった 沖縄戦の終盤 大本営は、この絶望的な戦局を 挽回すべく、

起死回生の特攻作戦、義号作戦を発令しました。

この作戦は、義烈空挺隊を 戦闘機が展開する 読谷、嘉手納両飛行場に 強行着陸させ、

飛行場を制圧し、米軍の迎撃能力を 一時的に機能不全に陥らせる間、

特攻機の突入を成功させるものであり、特攻作戦のための特攻でありました。

 

義烈空挺隊の戦闘は、それに遭遇した米兵を恐怖のどん底に陥れ、

読谷飛行場は阿鼻叫喚の大混乱となりました。

米軍の戦闘記録では、 「義烈空挺隊員は極めて高い訓練練度を誇り、

射撃班と破壊班がそれぞれの役割を果して、混乱する実戦においても、冷静にそれぞれの任務を実行している。」

「射撃班は正確な射撃により、圧倒的多数の海兵隊員に損害を与えると同時に、破壊班の活動を防護している。」

「また 破壊班は、破壊する航空機の機種をしっかり見極め、的確に爆薬を設置し、

更に数種類の爆薬を使い分けて、少人数で最大限の破壊効果を 実現できていることが確認できる。」 

と極めて高い評価しています。

 

少数で、これだけの大戦果が挙げられたのは、隊長である奥山大尉の卓越した統率と、

実戦的な訓練、周到な準備、空挺隊員としての矜恃と落下傘の絆、 

任務達成に邁進する強固な意志、そして、隊員の識能の高さによるものと思われます。

 

今日、帝国陸軍挺進部隊は消滅してしましたが、

いかなる困難も克服して任務を完遂すると言う「空挺魂」は、精鋭無比の第一空挺団に引き継がれ、

挺進赴難の精神は、「空挺精神」として、この「義烈」の碑の前に参列する

第一空挺団隊員、空挺予備員一人一人に、確りと、受け継がれております。

 

令和四年に始まったロシアのウクライナ侵攻は大国の思惑が絡み、終結の目途さえありません。

世界は、残念ながら、二十世紀に経験した、戦争の時代に確実に入っています。

今日、戦争を経験した方々は殆どが鬼籍となり、戦争の凄惨さを真に知る方はおられなくなりました。

戦争を知らない我々は、 今日が 最早、平和を 

当たり前の様に享受してきた時代ではないことを自覚し、覚悟をしなければなりません。

しかし、沖縄県においては、県民を守る最低限度の防衛力ですら、沖縄戦の凄惨な記憶から、

受け入れることが出来ず、国防と言うものを理解していただけない人々もおられます。

非常に、残念なことです。

 

沖縄支部は、昭和四十八年に、当時の第一混成団の空挺予備員有志によって、

読谷の地に「義烈空挺隊玉砕之地」の慰霊碑を建立し、慰霊・顕彰を目的として、支部を立ち上げました。

そして、発足以来、五十有余年、義烈空挺隊の慰霊と顕彰を行なってまいりました。

そして、昨年度、八重山に石垣分会が発足し 支部に頼もしい仲間が増えました。 

本日の慰霊祭にも参加しております。

 

沖縄支部は、今後も、先人の熱い思いを受けつぎ、

沖縄支部の「義烈空挺隊玉砕之地」の碑と、ここ摩文仁の丘の慰霊塔を守り、

義烈空挺隊の末裔として、今後も慰霊・顕彰を続けて行くことをお誓い申し上げます。

 

義烈空挺隊の御霊よ、

我々は決してあなた方を忘れることはありません。安らかにお眠りください。

 

最後になりましたが、義烈空挺隊山城准尉ご遺族 前田様

 同じく熊本県から、稲津曹長ご遺族吉野様、

空挺同志会会長火箱様、空挺団副団長高倉様と空挺団の方々、

第五十一普通科連隊長伊藤様 

特攻隊戦没者慰霊顕彰会様 

菊池飛行場ミュージアム様

 他、多くの方々をお迎えして、

令和七年度の慰霊祭を、無事、挙行できましたことを心から御礼申し上げ、追悼の言葉といたします。

 

令和七年六月七日

 

全日本空挺同志会 沖縄支部 代表  

桃 原 浩太郎

 

 

 

追悼の辞を奉納する

火箱 全日本空挺同志会会長

 

 

早朝の読谷村「義烈空挺隊玉砕之地」の献花式を終えた参列者は

それぞれに摩文仁の丘の義烈空挺隊慰霊塔に向かった。

 

摩文仁の丘では、沖縄支部の会員が慰霊祭の準備を整えていた。

 

義烈空挺隊のご遺族

空挺関係者

各団体からご供花をいただきました。

 

献花式参加者と合流して

午前11時に義烈空挺隊慰霊祭が開始されました

 

参列者全員で黙祷を捧げる

 

空挺同志会沖縄支部長の祭文奏上

 

 

 

 

 

 

 

 

令和7年度 空挺同志会沖縄支部主催の 義烈空挺隊慰霊祭が行われた。

令和7年6月7日、8時半より 読谷村掩体壕の前にある 「義烈空挺隊玉砕之地」の慰霊碑で

献花式が行われた。

 

沖縄は、この時期梅雨入りしており、例年は雨の中での献花式となりますが

天祐に恵まれ、晴天の中ので行われた。

 

 

「義烈空挺隊玉砕之地」に黙祷を捧げる参列者と

空挺同志会長と沖縄支部長

 

梅雨明けの夏の太陽の下

参列者が黙祷をささげる

 

参列者の献花

 

 

 

 

 

 

慰霊碑に菊を捧げる 沖縄支部長

 

「義烈空挺隊玉砕之地」の慰霊碑を囲んで写真に納まる

中央の女性は、義烈空挺隊12番機 稲津少尉のご遺族吉野様とそのお孫さん